第二章 五夜~若手舞~

夕方近く。座頭、座長、青藍と八広の4人は本二階の桟敷の一角に座った。

八広がさりげなく見回すと、この桟敷席にいるのはみるからに大店の主人や裕福な武家だ。

いつもなら、客を引き連れての芝居見物を決め込み、幕間も料理や酒とともに賑やかに過ごしている連中が今日はこじんまりとしている。とはいえ、異様な熱気を肌で感じる。

彼らは贔屓のみを見に来ている、つまりは、若手たちの特に大切なお客様、というわけだ。

事情がよく飲み込めていない八広を除き、3人は複雑な顔をしている。

幕間休憩も終わり、最後の演目として若手らの歌舞が始まった。

得意の曲を踊る趣向という形式を取ってはいるが、その実、座頭ら有力役者が指定した曲を序列に応じて踊るのだ。

既に本芝居でも役を得ている者や、今日の芝居でも大きな役を演じている者には比較的難曲が、まだあまり舞台に立てていない者にはあまり難しくない振付の群舞を割り当てている。

いつもはこうした芝居中に試験をすることはなく、今時分から夏頃の稽古の時に行われる役者の格付試験の中で行われていることだという。

若手芝居とはいえ、興行演目に試験を入れるというのは珍しいと、後で青藍が八広に教えてくれた。

舞が始まると、座頭と青藍は真剣な顔つきになり、話かけられる雰囲気ではなくなった。

座長も緊張した面持ちをしている。

舞は下位の者たちの群舞から始まり、最後になるほど役者としては上位になる。

舞台ではまだ子どもと言ってもいいような年少の役者たちが踊り始めた。扇を取り落としたり、振りを間違えるのも愛嬌、といったところだろう。

曲が終わると、座頭は首を振ったが、笑顔を浮かべている。

続く曲も少年たちの舞ではあるが、先ほどの子供たちよりも少しだけうまい。

八広が眺めていると、舞台の中央で舞う、女物の着物を着た二人の少年が目についた。

二人で一組となって踊っているが、なかなか息もあっている。しかも、ただ振りをなぞっているのではなく、曲に合わせて動作の速さを変えている。

それゆえに舞の所作が優雅に見える。

まだまだ初級向けの拙い曲ではあっても、目を惹きつける。なんとなく青藍の舞に似ているような、と八広は思った。

青藍の方を見ると、座頭と二人何やら深刻な顔をして小声で話している。

話しかけるのをあきらめ、あたりの客を観察すると、曲の合間の余韻を楽しむこと無く話し込む彼らを咎めようとしてこちらを睨んでいる客がいた。

話し込む者たちの顔を見て驚いたその客は、何も見なかった振りをして前を向いた。

この小屋どころか、江戸での芝居興行では最も影響力のある有名役者ばかり3人が並んでいるのだから、そりゃそうだろう。

そんな重鎮の隣で素人一人座っているのはどうも場違いな気がした八広は落ち着かなくなった。不安そうな顔をしていているのを見た座長は気を使って笑顔を向けた。

「あの二人は特に舞には厳しいから見るところも違っているし、いつも真剣だからね。気にしなくていいよ。八広殿は推せそうな役者を見繕ってくみてくれ。」

「はぁ。」

八広は舞台と傍にいる重鎮役者らを交互に眺めながら、最後の曲を見終わった。

…若手らの舞は二人の名手の目にはまったくなっていないんだろうことは、素人の八広にも伝わった。確かに青藍が舞うような、あの引き込まれるような舞は無かったような気がする。

でも、そんな中でも、八広の目を惹いた先ほどの二人は多分、これからもっと上手くなるんじゃないかと思った。

群舞の中にいるのにその二人は花のように目立ち、その所作は絵にしても映える気がしたのだ。けれど、あの二人以外は印象に残っていないのが不思議だった。

決して下手だと思ったわけではないのに。


 芝居が終わり、舞台の若手たちが客に挨拶を済ませ、小屋の入口で見送りをしている。見送りがてら、上客らと約束を確認したり、新たに誘われて行く彼らだが、今回は皆おとなしくしている。

上客には舞台前の出迎えの際に座頭から厳重に外出を止められていることを話し、平伏して次回の約束を取り付けていた。

特に武家はお上の取締を承知していることもあり、あまり強く非難することは無かったようだが、当の若手としては他の座の者に奪われるのでは、とかなり心配していることはありありと見えていた。

芝居小屋から完全に客がはけるのが見えたこともあり、八広は青藍に断りを入れて帰ろうとした。が、なぜか座頭が八広に声をかけ、引き留めた。

「八広さん、と言いましたか。彼らの舞はどうでしたか?」

八広は自分は舞の経験もなく、素人目だと断ってから、2曲目に踊った群舞の中に花のある舞手がいた、と告げた。

他の者がどう、と言われたところで良くわからないが、絵にできる、と思い浮かんだのはその二人だけだったと素直に答えた。

それを聞いた座頭は苦笑いを浮かべた。

「舞の筋が一番良いのはウチの若手らより八広さんのようだね。良い目をお持ちだ。」

八広が驚いた顔をすると、自分もその二人以外は及第点は出せないと思った。傾城君も同じことを言ったよと座頭は困り顔をした。

「ほかの連中の意見も聞いてみないとならないがな。」

今回見ているのは座頭だけではない。立役や女形の主役を張る一座の有名役者たちも色々な席に隠れて観ているはずだ。若手たちの評価は彼らと意見を交わして決まる。

ただ、傾城君こと青藍は客演であるので、一座とは一線を画している。座頭が参考として意見を聞くが、直接結果に左右しないし、一座の者として話に入ることもない。

その青藍と共に下の階からは目に付かない本二階の桟敷に居残って、共に最後まで顛末を見ていくようにと八広に言い、座頭は座長を伴い桟敷から降りて行った。


がらんとした桟敷に取り残された八広は身の置き所がなく、立ち尽くしていた。一方青藍は身動きもせずまっすぐ舞台を見つめていた。

青藍は桟敷に居残ったものの、居心地悪そうにしている八広に気が付くと、手招きして自分のそばに呼び寄せた。

「お前が認めた二人はオレが指導したんだ。…あの二人を筋が良いと最初に目をつけたのは座長だったんだけど。でもあの子たち、来たばかりの頃ははいじけていてね。

なかなか実力が発揮できなかった。新入りはいつもは少し年上の先輩役者が面倒を見るんだが、座長は何故かあいつらをオレに押し付けてきた。」

八広は何も言わず、青藍の方を見た。

「若手の連中は本当に役者を志望してる奴だけじゃなくてね。中には女郎と同じように、陰間として売られた挙句に一座に来た子もいる。

今の座頭はそうした売られてきた子にも「役者」という芸人として成り上がる機会を平等に与えるべきだ、と言ってたよ。だからだろうね。

出自や一座へ来た理由よりも精進が物を言う芸を見ている。だから厳しいんだ…オレは座頭の立場なら正しいことだと思ってるよ。」

青藍は一旦話を切った。

「あの二人はさ、色子として売られてきたのを引き取った子だったんだよ。」

「…え?」

「けど、今のあの子たちは芸事の神様に気に入られているからね。」

青藍はにぃ、と八広に笑って見せた。

「それは?」

「あいつらに直接聞いてみればいいよ。」


ほどなくして、舞台下の土間に一座の者たちが集まってきた。

舞台には主だった立役者と座頭が並び、若手たちに一通りの労いの言葉をかけた。

が、座頭はすぐに厳しい顔つきになった。一座全体に苦言を呈すると皆、渋い顔をした。特に若手らに対しては厳しい。

「お前たち、役者を名乗るならそれなりの芸を見せたらどうだ。お前らを指導する本芝居の役者たちとも話をしたが、お前たちは浮かれすぎだ」

座頭が睨みを利かすと、少年たちは亀のように首をすくめていた。

座長が引き継いで声を張り上げた。

「今回の試験の昇格者は2名のみとする。六太、与一。」

二人の少年はハイっと元気のいい返事をして立ち上がった。あの二人だった。

「よく頑張ったな。秋まではこれまで通り傾城君にお前たちを任せるつもりだ。これからも精進しろ。」

少年たちは嬉しそうにハイっと返事をしていた。が、八広の隣にいる彼らの指導をする師匠は思いきり渋い顔をして舞台を見下した。

「げ。なんだって。勘弁してくれよ…」

座長の隣で座頭はニヤリと意地悪そうな笑顔をして上を見上げており、上階の二人と視線が合ってしまった。

「やれやれ。やられたなぁ…。座頭には敵わねぇわ。」

青藍はそういうと正座を崩し、胡坐をかいて頭をかいて、本気で嫌そうにつぶやいた。

座頭の説教はしばらく続き、解散を命じたのはそれから四半時ほど経ってからだった。

土間の若手の大半はまだ座り込み、先輩役者らと何やらずっと話している様子が上からも見えた。

青藍は壁際の暗がりへと隠れて、身構えている。

「あれ?青藍さん?」

青藍は口に人差し指を立て、静かにしろ、と合図した。何がなんだかわからずにいると、桟敷に上がる階段からバタバタと身軽に駆け上がってくる音がした。

少年二人が顔を出し、きょろきょろ一通り見まわすと、目の前にいる八広に元気な声を出した。

「あれれ?ねぇ、お兄さん、傾城君しらない?」

「え??」

「ここにいるって教えてもらったのになぁ。」

八広がきょとんとして青藍を見ると…少年たちも八広の視線を追った。

「ああ~っ!!見つけたぁ。なんで隠れるんですかぁ??」

一人の少年が指差し、もう一人が青藍の腕をつかんでいる。

「八広、このバカ!」

八広に八つ当たりを言いながら、少年たちに引っ張られる青藍は、まんざらでもなさそうだった。

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