第二章 七夜~舞の神様~

大部屋主導の若手芝居の前日。六太と与一は先輩に呼ばれ、明日は小屋外で客引きをするよう命じられた。二人は引きつった顔で頷いた。

先輩は二人の反発を予想していたようだったが、拍子抜けしたのか、すぐに二人を解放して練習に戻っていった。先輩が離れたと見ると、六太は与一を引っ張り、傾城君の楽屋へと走っていった。

傾城君は部屋で二人を待っていた。先輩から小屋外で客引きをするよう言われたことを楽しそう話した。

「先輩はさ、オイラ達に意地悪をしたつもりらしいんだけどさ。もう、可笑しくて。笑いをこらえるのが大変だったよぉ。」

与一もこくこくと笑顔で頷いた。

「そうか。そりゃよかったな。さて、ちょっと下へ行くぞ。」

傾城君はそう言うと二人を連れて楽師のいる部屋へと向かった。

楽師の部屋に傾城君が顔を出すと、楽師の一人が手招きした。

「なぁ、悪戯をしかけるんだってな?おもしれぇじゃないか。私が付き合うよ。」

傾城君はへへっと笑って、後ろの二人を紹介した。

「こいつらは六太と与一。明日の真の主役さ。明日の朝、この曲でいつも通りに鼓を打ってほしいんだ。」

傾城君は楽譜の一枚を取り出した。

「あぁ、初心者向きだが華やかな奴だな。このチビさん達にはちょうどいい。で、傾城君も舞うのか?」

「まさか。そりゃまずいだろ。大部屋芝居は大部屋の奴らだけだからな。…オレは楽師のフリして外で龍笛を吹くつもりなんだが、まだ1回も合わせてないだろ。どっかで練習できないか?」

「あぁ。あんたは笛も得意だったよな。明日はそれも聞けるのか。ちょっと得した気分だ。あ、練習はな、天気がよけりゃ両国橋のあたりの川原を使ってる。あのあたりは火避地だから、人が棲んでない。多少大きな音を出しても文句を言われないからなぁ。」

「そりゃいい。ちょっと暗いが、こいつらは目隠しで練習させる段階に来てるから構わないよ。よし、早速行こうぜ。あ、その前にガキども連れ出す許可もらってくるわ。ちょっと待っててくれ。」

傾城君は身軽に本2階の座頭の部屋へ行き、練習のために二人を連れ出すことを伝えた。

傾城君の計画を知る座頭と、ちょうど部屋にいた宗十郎は笑いながら、明日寝坊はさせるなよ、とだけ言った。

両国橋の袂は暗いが、平らになっており、確かに歌舞の練習にはうってつけだ。しかもまだ日が落ち切っていない時間はまだ明るくなおさらに良い。

傾城君は懐から笛を取り出すと口に当て音を出した。それに鼓が合わせた。

軽く流しただけだが、二人の楽師はもう十分なようだ。

「おい、与一、お前がちゃんと鼓の音をきいて合わせろ。六太、お前は音に流されないで、与一に合わせるんだ。最初の2小節は繰り返しだが最初は笛だけだ。聞いて待て。同じ節が来たら、鼓が入る。そこから舞い始めだ。」

傾城君は笛を奏でだした。鼓を打つ楽師は傾城君の笛を聞き、最初の2節が終わると鼓を打った。与一はそれを聞き、舞いをはじめた。

いつもは傾城君が小さく鳴らす音で拍を取り稽古をしてきた。それが、こんな楽で踊れるとは思わず、二人は楽しそうだ。

傾城君の笛の音に合わせ、少しずつ動きの速度を変える小技も使えるようになっており、楽師も驚いたようだ。

一曲を2回繰り返し、笛の音が止み、二人も舞を止めた。

傾城君は笛を下すと楽師にどう思うか聞いた。

楽師はこれならイケるよ、と請け合った。明日が楽しみだ、と。

傾城君も、だろ?と笑って言った。

「よし、何とかなりそうだな。明日はお前らが主役なんだからちゃんと気張れよ。」

二人は、元気よく、ハイっ!と返事をした。

少し前までのイジケた顔はどこかへ行ったようだ。

薄暗くなった川原で、もう1回通し練習をしたのち、今日は終わりにした。

傾城君と楽師と六太、与一の4人で段取りを再度打合せると、楽師は自分の部屋へ先に戻っていった。三人も小屋に向かって歩き出した。

小屋の裏手からまだ明かりが漏れているから、大部屋の若手はまだ芝居の稽古をしているのだろう。傾城君は小屋を素通りして、小屋の横道から堤防に上がってから、町屋側へ降りて行った。二人は慌てて追いかけてきた。

「ししょー、どこに行くんですか?」

「湯屋と腹ごしらえ。お前らも行くだろ?」

「…手拭も着替えも持ってない…。」

「まだ店も開いてるからな。その辺で調達できんだろ。」

三人は街中へと繰り出した。傾城君は閉まりかけの雑貨屋に声をかけ、三人分の下帯と手拭を買い、湯屋へ向かった。

男湯の暖簾をくぐると、ちょっとした騒ぎになった。今日に限って三人とも小屋にいるときの女形の装束…つまり女装したままだ。絶世の美女が美少女二人を引き連れて男湯に入ってきたように見えたのだ。六太と与一はすまし顔をして傾城君の袖をつかんでいた。

すでに面白がっている。しばらくは可愛らしい仕草をして傾城君にじゃれついていたが、急かされて着物を脱ぐと…なんだ、役者か、とすぐに静かになった。ここら辺は芝居小屋が点在しているので皆慣れているのだ。

二人は「つまんねー。」と声に出して言うと、湯処へ飛び出していった。

少年二人は身体を洗うと湯船でひとしきり遊び、短気な傾城君に怒鳴られてようやく上がってきたが、今度は風呂上りで暑くて下帯一枚のまま走り回り、また怒鳴られておとなしくなった。

傾城君は子ども二人を連れて居酒屋には行けないから、と湯屋の2階の座敷で何か食べさせてもらえないか頼むと、湯屋の主人は笑って引き受けてくれた。

腹ごしらえも済ませ、小屋へ帰る道すがら、傾城君は二人に今夜は大部屋では寝辛いだろうから、中二階の自分の部屋へ布団を持って来るように言うと、二人とも嬉しそうにした。

小屋に戻ると、大部屋ではまだ稽古をしているようだ。

二人が楽屋に布団を持って来るまでの間、傾城君は座頭の部屋へ顔を出した。

座頭の部屋では相変わらず宗十郎が話し込んでいたが、傾城君が明日の段取りを伝えると、

「これは楽しみだ。その上お前が笛を吹くのか。思わぬ楽しみも増えたな。」と笑った。

この部屋の住人は悪戯好きなのだ。


傾城君が楽屋に戻ると、六太と与一が四畳半の楽屋に布団を敷き詰め、寝支度をして待っていた。

「よし、寝るか。明日の朝、天気が良ければ、舞の神さまはお前らを見ててくれてる証拠だ。で、お前らの舞を神様が気に入ったら、人垣っていうご褒美をくれるからな。」

傾城君が二人にそう言うと、二人は頷いて布団に潜り込んだ。するとすぐに寝息が聞こえてきた。

「…初めての本番前でもう寝られるのか。大物の素質十分だな。」

そう苦笑いをすると、自分も布団に潜り込んだ。


翌朝、いつもと違う喧噪で3人は目が覚めた。大部屋の役者達がかなり早い時間から準備を始めたようだ。

慣れないせいか手際もまだまだ。

化粧に四苦八苦している者もおり、仕方なく先輩役者が手伝ってやっているようだ。

三人も水で顔を洗うと、傾城君は早速二人に軽く化粧を施し、髪を結って二人を愛らしい町娘の姿にに仕立てた。

傾城君は黒い地味目な装束を着て、髪を頭巾のようなもので隠すと二人を先に部屋の外へ出し、大部屋へ行くように促した。

町娘の恰好をした二人が大部屋へ顔を出すと、客引きでも気合が入ってるな、と先輩に揶揄われたが、もうすぐ七つ半になるから、仕事を始めるようにと言われて、あわてて小屋外へ走り出て行った。

桜が終わったばかりで、早朝の空気は肌寒いほど冴えている。今朝の空は雲一つない快晴だ。

既に傾城君は大人同士で何やら話をしており、本芝居の役者や楽師連中も朝の余興の噂を聞きつけ次々と集まってきていた。

日の出と同時に始めるぞ、と傾城君が言うと、二人はこくん、と頷いて、小屋の門の近くに扇を持って陣取った。

東の空が朱に変ると、傾城君が笛に口を当て音を奏で始めた。門のそばで待機していた宗十郎がすかさず門を開く。

六太と与一は傾城君の笛を聞き、鼓が鳴ると、愛らしい舞の披露を始めた。

傾城君の竜笛に誘われ、芝居を見に向かっていた客らが急いて小屋の門に集まってきた。

小屋前で踊る二人を見つけると、そこに見物の輪ができ、それはいつの間にか大きな輪になった。

今日の舞台はここ。先輩になんか絶対負けるもんか!

お互いに目配せしたり、時に観客に笑顔をふりまいて、二人は傾城君らの奏でる音に合わせて扇を振り、夢中で踊り続けた。


傾城君が打合せ通り同じ曲を三周して音を止めると、二人も最後の形を決めた。すると、見物人の輪から一斉にわぁっという声と拍手が起きた。

二人は傾城君に教えられた通り、にっこり笑って可愛らしくお辞儀をすると、客を導くように小屋の入口を開けた。

観客たちもかわいらしい二人のお出迎えに気を良くして小屋へと入って行った。


朝一番の余興を見終わった一座の本芝居役者の面々は、こりゃ、先輩連中も気合が入っただろう。お手並み拝見だな、と笑った。

傾城君は二人のそばに行くと、笑いながら手を出せ、と言い、小さな包みをそれぞれの手に乗せた。

「あちらさんから、お前らへのおひねりだそうだ。」

と、座頭の方を見た。二人がお辞儀をすると、座頭は頷き、小屋へ入って行った。

小さな包みには紙風船や手毬の模様の綺麗な飴が入っており、口に入れると甘かった。

二人は顔を見合わせてにっこり笑った。

「思ったよりご褒美、たくさんもらえたようだな~。」

二人にとっての舞の神様、傾城君は笑顔を向けた。

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