第5話

 再び来てくれたリージは、プレゼントだと言って、紙きれをくれた。

「ハイルは携帯端末持ってないでしょ? だから、この紙をなくさないように持ってて」

「なに? これ」

 誕生日でもないのになんだろうと、ハイルはその小さな紙きれをまじまじと見つめた。なんらかのコードが印刷されている。

「多言語パッケージ記憶」

 リージは言った。

「え?」

 ハイルは目をしばたたく。

「これを持ってクリニックに行けば、いくつかの言葉がわかるようになるんだよ。ハイルも、記憶をダウンロードするための記憶埋め込み装置は入れてるでしょ?」

「うん」

 小さい頃に、父に病院に連れて行かれて、頭の手術を受けたことは憶えている。それも、いつか悟りに近づくためだと言われた。

「でも、なにも記憶を買ったことはないんだよね?」

「うん。いつか使うからって言われて手術したんだけど、なにも買ってないよ」

 せっかく入れた記憶埋め込み装置は、一度も使われていない。

「ハイルのために記憶を買ったんだよ。これがその記憶なんだよ」

 リージは紙を示す。

「そうなんだ。ありがとう」

「この記憶があれば、もっと違う仕事ができるんだよ」

 いつものようにベッドに腰かけたリージは、ハイルの手を握った。

「違う仕事?」

 いきなりなにを言いだすんだろうと思った。

「違う接客の仕事とか。観光ガイドとか」

「それってほとんど機械がやってない?」

「そうだけど、人間の仕事もゼロじゃないし」

「そうだよね。わたしのお父さんは派遣の機械メンテナンスの仕事してるよ。お母さんは、家庭教師アンドロイドの補助の仕事してる。お兄ちゃんは、記憶クリエイターなんだ。

「記憶クリエイター」

 リージの表情は曇った。

「あんまり詳しいことは教えてくれないんだけど、注文を受けて、記憶をつくる仕事みたい。わたしも記憶を売るけど、お兄ちゃんはもっとたくさん売ってる」

「ハイルも記憶を売ってるの?」

「うん。前はたくさん売れたんだけど、今はあんまり売れなくなっちゃった。飽きられちゃったみたいで」

「記憶を売るのって、嫌じゃないの?」

「別に。痛くないし、時間もかからないし」

一度装置を頭に埋め込めば、クリニックにある専用の〈記憶部屋〉に入り、購入した記憶を脳にダウンロードすることができる。記憶を売る際も同様だ。

 浮かない顔をしているリージを見て、話題を変えたほうがいいかと思った。

「リージは確か、土木作業ロボットの補助の仕事してるんだっけ?」

「そうだけど、えっと、とにかく、いろいろな言葉がわかれば、いろいろな場所に行けるし、いろいろな人と話せるでしょ。そうすれば、もっと違う世界が見えると思うんだよね」

「違う世界ってなに?」

「自分とは違う考え方をする人たちがいる世界のことだよ。そうすれば、別の見方ができるようになると思うんだ」

「別の見方?」

「お父さんとかお母さんとか、悟りとかそういうのとは違う考え方もあるってことだよ」

「ふーん。まあ、とにかく、ありがとう」

「ちゃんとクリニック行ってね。それで、記憶を埋め込んでもらうんだよ。この紙を出すんだよ」

「……わかった」

 その時は、リージの言う通りにしようと思った。でも、リージが帰ったあと、別の客の相手を何人かして、いろいろ考えた。わたしは、家族と自分のために、仕事を頑張っている。お金が必要だから。

 この紙きれも、売ればお金になるんじゃないか。

 一度思いつくと、それしか考えられなくなった。売ればお金になる。お金を稼ぐのはいいこと。なにもいらない。お金は欲しい。

 仕事帰り、ハイルはリージからもらった紙きれを握りしめ、金券ショップへ向かった。

「お姉ちゃん」

 途中の道で話しかけてきたのは、フレジャイルだった。

「わあ。こんばんは」

 一度別れて、もう会うことはないと思っていたのに。フレジャイルは、前と同じワンピースを着ている。

「フレジャイル、元気?」

「うん。お姉ちゃん、どこ行くの?」

「金券ショップ。これを売りに行くの」

「それ、記憶だよね? どうしたの?」

「お客さんからもらったんだけど、いらないから売りに行くの」

「そうなんだ」

 フレジャイルは、またついてくる。

 記憶コードは、思ったよりもいいお金になった。ハイルは心の中でリージに謝り、感謝した。

「お姉ちゃん、記憶埋め込み装置は持ってるの?」

 ハイルは家に向かって歩きながら、フレジャイルにうなずく。

「うん。静杯会に入るには、装置を持ってなくちゃいけないんだって」

「せいはいかい?」

「あ、うちの家族が入ってる会」

 ハイルは、フレジャイルに静杯会のことを説明した。家族で、その会に収入のほぼすべてを会費として納めていること。それを続けていれば、いつか悟って幸せになれるということ。

「装置を持ってなくちゃいけないのは、それが悟りに必要だからだよ。記憶を大量にダウンロードすることで悟るんだって。会員みんなで頑張ってお金を貯めて、みんな平等に悟りの機会を得られるようにするんだって」

 ハイルは、静杯会のパンフレットを読んで勉強したことをフレジャイルに教えてあげた。

「フレジャイルも入る? 誰でも歓迎されるんだよ。フレジャイルだったら、すぐにたくさんお金稼げそうだし」

 この可愛らしい外見は武器になるだろう。体の機能がどうなのかはわからないけれど、この外見だけで、一部の男の人たちは大金を使ってくれそうだ。

「あたし、アンドロイドだよ?」

「アンドロイドでも多分入れるんじゃないかなあ。だって、自由なんでしょ?」

 ハイルの認識では、自由アンドロイドは人間とほとんど同じ存在だった。

「お金稼いでほしいから、入ってほしいってこと?」

「ううん。全然そんなことじゃなくて。フレジャイルも幸せになりたいでしょ?」

「アンドロイドにも心があると思ってるの?」

「ないの?」

「さあ。どうだろうね」

 一瞬、子供ではなく、年上の大人と話しているような気持ちになった。なぜだろう。

「静杯会に入れば、幸せになれる?」

 フレジャイルの言葉にハイルはうなずいた。

「うん。きっとね」

「そっかあ。その話、もっと聞きたいな」

「本当? フレジャイルはリージとは違うんだね」

 ハイルは嬉しくなり、なぜフレジャイルがそんなことを聞きたがるのかは、考えなかった。


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