第4話 集え、海鼠教信者達!

さて、今回は前回話した通り、宗教的な内容になる。と言っても神仏がどうだ戒律がどうだをタラタラ書くつもりは無い。

簡単な話だ。筆者はここに宣言する。


海鼠教を作り、教祖として教えを説く。


一体全体コイツは何を言ってるんだ?とうとうアタマがおかしくなったか。読者諸君はそう思っている頃合だろうが少し待って欲しい。宗教を作る.......といってもお遊びのようなモノだ。例えるなら子供達がやるおままごとの様なモノ、あくまでそれの延長線上のような感じでやろうと思っているのだ。それに、まだアタマはおかしくなっていない。


筆者に質問?ではそこの方、どうぞ。

「海鼠を宗教に組み込めるの?」

答えはYES。恐らくとても組み込みやすいだろうと筆者は考えている。前回も話したがナマコは目や鼻や心臓、脳が無い。それなのに誰かから奪う事もなく、己の不遇を憂う事もなく、平穏に暮らしている。彼等は与えられた環境に文句も言わずそこに在るのだ。それに比べて現代の人類はどうだろうか。普通の生活を送れているにも関わらず、やれ金だ女だ権力だ、欲のままに次から次へと奪い合う。既に必要な物は十二分に与えられているハズなのに、だ。現代人よ、これで良いのだろうか?筆者は今ここに現代の人間社会に警笛を鳴らす。与えられているのに奪い合い、争奪戦に負けた物は落ちぶれる。それがどうした。良いじゃないか、落ちぶれたって!もし読者が何らかの争奪戦に負けた時は、是非この言葉を思い出して欲しい。

君の中にある幸せは奪われた訳じゃない。

見えていないだけで確かにそこにある。と。

海鼠のように何も無くても生きているだけで素晴らしい事ではないか、と!

海鼠教とは、要するに何も持っていない者達の集まりだ。心にキズを負った者が海鼠を通して自分を見つめ直す為の避難所だ。それは決して落ちこぼれの吹き溜まり等ではない。何故なら私達は何も持っていないように見えて、その心の中に全てを持っているから。



今ここに海鼠教を成立させる。

教徒になりたい!と思った物好きの中の物好き読者達がもし居たらコメントをしてくれ。

あまり作る気が無かったが、もし海鼠教の教訓10ヶ条とかを作って欲しいと言われたら考えてみることにする。

では、また次回。

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