第14話 箱根峠
惣兵衛は本坂通りをひたすら歩き続けて、まずは
明日に向かう
しかし、もはや東海道の楽しい旅気分ではなく、なんの旅情も満喫していなかった。
いちいち街道筋から離れて安宿や野宿できる場所を探すのは面倒だった。
「はあ…、ひもじいわ」
そうやって現実の苦労を忘れるため、目を瞑って過去を思い返していると、仲間との楽しい思い出と共に、一緒に働いていた頃の角谷のまじめな性格も蘇ってくる。
掃除から言葉遣いや仕事の行動手順に至るまで完ぺきにこなし、物事の判断基準も厳しかったことを思い出したのである。
なので、余計に奉公話を謝っても破断にならないかと現実の苦労に引き戻されたのであった。
○
その日の晩…、
先を行く源之進は箱根峠の
木々の合間から覗く夜空には月が輝いており、片手には酒の瓶が握られている。
「森は生気を取り戻し~!動物霊もお出迎え~!わしは異界の住人さ!」
謎の鼻歌を口ずさみ、提灯一つ持たずに暗闇を進んでいる。
番所に詰めている
「おい、うつけ!」
少し離れた下草の合間から、何の気配も見せずに怪しい狼は歩み寄っていた。
「わっ!」
あまりに唐突だったので、源之進は久方ぶりに驚いて叫んだ。
その瞬間に必死の逃亡を試みるが、奇妙にも体が思うように動かない。まるで全身の神経を引っこ抜かれたかのように、意識を働かせても硬直しているのである。
「まあ…久し振りに相まみえるのだ。貴殿の苦労でも聞こうではないか?」
「く…、苦労…?」
不思議と口だけは動くようだ。
「本来は暮さざる場所なれば、
「何を言いたのか分からんけど、わしは人間の世に馴染んどるぞ。この満身の疲労は浮世にまみれた証だぜ」
「ふん、なるほどな…」
狼は呆れたような口調で納得していた。
「…それよりも、こっちこそ四百年ぶりに口を利くのだから問いたいもんだ。幾たびもわしを付け狙う意はどこか?」
「ふむ…、ちょっとした興味なのだよ」
「では、あの崖の下に居たのは何故だ?」
源之進は会話に集中させて少しでも狼が近づくのを防ぎたい。
「あの坊主は貴殿に縁でもあるらしいな。なに…、死肉でも漁ろうかと思ってな」
「まだ息はあったのではなかろうな?」
「…さあて?我も世の
「なら…」
どことなく真実ではないと感じる。仇討ちをしようとは思ってないが、父として慕った相手を食われたのなら源之進は知りたいのである。
「微かな血の匂いにつられてみたが、香が臭いので坊主は食わない趣味でな。さすがは仏の道にあると見えて、奴の魂は
その言葉には嘘はないように感じ、問答の矛を収めた。
「ところで貴殿には異界の口を出る前の記憶がないようだな」
「…
「どれだけ霊験を授かっても異界の口は開かぬ、然るべき儀式を踏むのだから」
「儀式…」
「まあ、貴殿には
狼は淡々と会話を続けており、源之進を襲う兆しはなかった。それでも自分と比べ物にならない力を秘め、妖気を納める技はまねできないものだ。霊験を授かるというよりも、その物であるように思えた。
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