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           💐お母さんに捧げる子育てアドバイス🌈

             パパと喧嘩する自分を責めないで。

             人の心は器。感情は水。

             溢れ出る感情をため込んでいると

             器が壊れてしまいます。

             むしろ、喧嘩していいんです。

             喧嘩しましょう。

             明日の幸せな日々を勝ち取るために

             思う存分、喧嘩しましょう!

             #傾聴保健師

             #子育てハック #子供は天使

             2022/12/23    ♡1万7千


          みか@rusi_f _24時間

          返信先:@mayuibuki123さん 

                 喧嘩は前向きに生きるためのもので、けして悪じゃ

                 ない・・・改めて目から鱗が落ちました。

                                      ♡44


          lily@フラワーアレンジ勉強中💐@_LoF _24時間

          返信先:@mayuibuki123さん 

                 (´;ω;`)ウッ…

                                   ♡4


          さかな♪_🌀_ @uzu2 _20時間

          返信先:@mayuibuki123さん 

                 まゆ様😭

                                   ♡8


          リエ@noanoa@cat_of_hornplayer _16時間

          返信先:@mayuibuki123さん

                 喧嘩した後はバルちゃんを見て仲直りですね。

                                   ♡


          レッドパンサー@ DH_sx_EP0 _16時間

          返信先:@mayuibuki123さん 

                 女神様!!今日も名文ありがとうございます!!!

                                      ♡20


          ASUMO_@sari-e_love_8時間

          返信先:@mayuibuki123さん

                 男も疲れてるんですけど笑

                                   ♡6


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          ⚡れみ💗える⚡@ASAP_from_U_4時間

          返信先:@sari-e_loveさん @_MUMAさん

                 お前には聞いてない

                                   ♡6


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          らぐ/トランぺッター@Tfnkdntmbtktsn_K_4時間

          返信先:@sari-e_loveさん @_MUMAさん

              @ASAP_from_Uさん

                 個人的には男性がコメントすること自体は問題ない

                 と思います。

                 あと、当たり前のことだから言っても価値がないと

                 いうのは違うのでは?

                 現にあなたは気づいて実践できてたんですか?

                                      ♡12


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          らぐ/トランぺッター@Tfnkdntmbtktsn_K _2時間

          返信先:@sari-e_loveさん @_MUMAさん

              @ASAP_from_Uさん

                 私が聞きたいのは、あなたが実践できてたのかとい

                うことです。

                上から目線のメタ認知とやらの講義を聞きたいので

                はありません。

                そういう自己満足はよそでやって下さい。

                                      ♡20


 夫は約束を守った。彼は私との約束を破ったことが一度も無かった。肝心なことは笑い話にして誤魔化す癖にこういう所はきちんとしている。夫はプライベートの約束も仕事の契約と同義に考えている所があった。後で責められたら面倒だから形だけはきちんとしておく。最低限の礼を尽くすことで己の地盤を固めた後で、感情論で押し切る。

 今でも子守唄のように思い出す。ゆりちゃんは疲れてる。疲れてない。疲れてるよ。疲れてないってば。

 止めてよ。止めてよ、止めてよ。

 ほら、と夫が言う。いつも疲れた顔でほら。夫はほら、を得意げに言ったりはしない。ただ道端の石に気づいたみたいに言う。ほらゆりちゃん、そこ石あるよ。危ないよ。自分の気づきを吹聴しないし他人を攻撃する道具にもしない。バリアにはするけれど。だから余計に腹が立つのだ。目が死んでる、どっちが患者なのか分からないカウンセラーに勝手に弱者認定されて、上から目線で事務的にカウンセリングをされている気になるから。

俯いたまま頬杖ついて話を聞くの、止めてと言いたい。でもこれが夫の話の聞き方。戦術なのだ。会社にいた時からそうだったから分かる。相手が正論を言っていて、都合の悪い時はわざと目を合わせない。これは失礼でも何でもないのだ。疲れているという事実の上に、よそ行きの演技を被せているだけなんだから。俯きの角度が深くなればなるほど、同情を誘える。その状態で誰にでも当てはまる感情論を吐いて、自分の分身、もとい身代わりにする。

その時の彼の感情論は、鏡面型の防具のようだ。防御と攻撃が同時に出来る万能の盾。本来は世間様を表面に映すだけの機能しかないのに、興奮している相手の目の奥の涙がそれを勝手に水鏡にしてくれる。

これほど残酷な水鏡はない。具現化された相手の感情が水面に歪んで映る。水面を歪ませているのは声音に込められた相手の怒りだ。断じて聞き手の夫ではない。

その状態で夫の口から出た言葉は、彼を主人と認識したまま、その巨大な水鏡の傍で、二重の護衛をするように一人歩きをする。夫に帰属するそれは、一般論の化身のようなもので、それなりに権威のある外観をしているから、厄介なのだ。彼は自分で戦うことすらせずに、待っているだけ。そこを指摘されたら、だって僕は今君の、あなたの話を今聞いてるんだから、と言って流して終わり。だから相手は否が応でもそれを覗き込むしかない。覗き込んで喋り続けなければ、何も出来ない。彼は覗き込んだ相手が自分自身の感情の醜さに引いて怯むのを、あの蟲の殺し方も知らない、と揶揄される目で、じっと待っている。それは攻撃でも防御でもない。ただの傾聴。より高次の世界で、あの職場で、既に市民権を得ている傾聴。だから嫌だと思っても、その傾聴という行為自体も、どうあがいても責めようがないのだ。

「何でも比べようとするよね。それ自分に自信ないって思われるよ。ゆりちゃん何でも出来るし、そんな風に思われるのって嫌じゃない? それに損だよ」

 夫が困り顔を作って囁くように言う。囁きながら諭す。これも夫の定番の防御、もとい宥め方だ。プライドの高い人間の説得には肯定から入れ。本当の肯定のはずがない。こちらが意固地になっていると決めつけた上での寛容の押し付けだ。それを善意に包むことで誤魔化している。つくづく賢い人だと思う。こう言うのを世間一般ではずる賢いとは言わないし、あざといとも言わない。

 能ある鷹は爪を隠す。彼は最初から、自分の甘いマスクの効果に気づいていたのだ。彼は私と違って、相手に舐められることを恐れない。それはすぐにリカバリー出来るからなのだが、彼はその自覚がないようだ。でも彼にもビジネスマンの血が流れているから、過程より結果の方が重要だと確実に考えてはいる。結果を得るためならいくらでもバカを演じるし、相手の気が済むまで頭も下げるという意識位はあるだろう。

目的のためならいくらでも下手に出るけど、それが下品ではないのは、彼が相手の罪悪感を手玉に取っているからだ。下種な笑いなど浮かべなくても、彼の場合は、照れ笑いだけでいい。それだけで、周りが味方してくれるし、自分を舐めている相手も勝手に罪悪感を抱いてくれる。その意味で、バカな相手は彼に爪があることすら永遠に気づかないだろう。

爪など立てずに、彼は相手が自分で自分の身体に爪を立てて、臓物を血まみれの手で自分から引きずり出すのを待つみたいにして、相手にとって一番弱い言葉を言わせる。彼の先読みの配慮で該当部には局所麻酔が掛けられているから痛くはない。相手から一番欲しい言葉を引き出した後で、彼は少し笑う。笑いに悪意はない。だってそれは、「あれ? 何でこれがここにあるんだろうね、変だね」という、単純な手品の観客視座の驚きと、それへの同意を求める笑いだから。

「私の勝手でしょう。いちいち心配してくれなくていいよ」

「するよ、家族なんだから」

 出た、「家族なんだから」これは普通の人間にとっては殺し文句だ。でも、家族愛を理性だけで理解する私には、効かないわよ。

「じゃあ家族として言わせて。しなくていいから。家族の意見なら尊重出来るでしょう?」 

 どう? この切り返しはあなたでも悩まない? それにこれは、ビジネス本にも載ってないでしょう。でもまあ、そのうち類似例が載るかもしれないわね。シリコンバレー式のなんちゃらみたいなタイトルの本に。


 案の定沈黙が訪れた。夫は眉間に皺を寄せて沈痛な顔をしている。「簡単なことだから、そんな顔しなくてもいいよ。老けるよ」と言いたい。普通の男だったら、ここで鬼の首を取ったような下種なドヤ顔で笑ってマウントを取るだろう。でも彼はそれをするほど落ちぶれてはいないし、愚かでもない。だから私は彼を好きになったに違いない。でも笑わずとも次の攻撃準備位は始めているだろう。だから次の言葉を発する前に行動しなければならない。

私はリビングに置いてあった自分のバッグを掴んで玄関に向かった。けして後ろを振り返ってはならない。安易に振り返ったら、あの素を起点にした、悪意がないがゆえに罪深い目と声の演技の餌食になる。

案の定、ゆりちゃん、という言葉が追いかけてきた。躊躇いが絡んだ言葉は、いつも甘い糸を引く。糖蜜のように甘い糸を引いた後で、跡形もなく、空気に溶けてしまう。跡形も残らない、私は、その潔さの方がむしろ好きだ。ずっと憧れてきたもので、かつ今の自分には無いものだから。

追いかけてくるのは言葉だけだ。私達は言葉で追いかけ合う。喧嘩をする時は人間らしく言葉を使う。理詰めで喧嘩をする。物は絶対に投げないし、叩かない。私達は動物じゃないから、そんな野蛮なことはしないのだ。このやり取りにはもちろん、あいつはいない。寝静まってから始めるから。大声を出さないから起きようがない。何も知らずに能天気に寝ているだけ。万が一泣き出すとしたら、それは全然別の、私達が理解出来ない、原始的な理由だろう。

 出ていくのは、私の作戦だ。私はこの人に、もう口では勝てない。だってこの人は今も現役で働いてるから。あの弁舌は更に磨きがかかっているだろうし、今追い詰めすぎると働けなくなって共倒れになる。それに、仕事を辞めた今では、心のどこかで遠慮してもう勝てない。だから、行動で悟ってもらう。つまり、じわじわと身体で追い詰める水際作戦。どれだけこの子育てが理不尽か体感してもらう。夫をこの小さな猛獣と一緒に閉じ込めて、泣きもせずに出ていく妻。世間から死んだ方が良いと思われるだろうか。こんな時に、せめて泣いていれば、かわいげがあると許してくれるだろうか。


 でももう習慣化しつつある、私のプチ家出。


いつも、帰ってきた後で、あいつの泣き喚く声が聞こえると、少し気分が上がる。いつもは気が狂いそうな声なのに、おかしいものだ。残酷だな、とも思う。でも、部屋が散らかっていると気分が晴れる。リビングの薄暗い暖色の光の中に、毛布にくるまって繭か蛹みたいになってる、世界を閉ざしたあいつがいて、その傍らで、あっけに取られたような顔で佇む夫がいる。何一つ嘘が無い所がいい。これが私の幸せの風景かもしれない。もはや誰のことも抱きしめていないリビングのオレンジのただれた光の下で、夫の目のクマが出て行った時よりも濃くなっていることを認めると、もううれしくてうれしくて、おかしくなりそうなのだ。これが感情の暴走と言わずして何なのか。驕りの中に愛情が、愛情の中に欲求不満が見える。後は、底の無い真っ暗な疲労、世間に対する絶望。不気味なのは、それ以外に説明出来ない、何かがあるということ。つまりどれだけこの笑顔を解剖しても、何によるものか分からないものがあるということ。自分で笑っているのに、これが何の笑顔なのか分からない。薄ら寒いのは、これが原始的なイドに属しているものではないかという感じがあるのだ。つまりあいつと同じものが私の中にある。


「俺は似てると思うけどなあ」という夫の声。いつかの夫の声。

そう思わせた自分の中のものを、殺したい、本気で。


‥‥‥私とあいつが同じですって? おかしい。そんなの耐えられるわけないじゃない。血は争えないって? ふざけないでよ、悪趣味にも程があるわ‥‥‥。


この光景をブラックジョークになんかしたくない。だから無表情に見下ろした後で、油断すれば笑い出しそうな口元を塞いで、ただ俯く。いつも。無性に夫を抱きしめたくなるのを堪えて、寝室に行って、鍵を掛けて、一人で布団にくるまる。

私は自分の理性に何をさせているだろうのか。夫に何をさせているのだろうか。

でも繰り返してしまうのだ。何度も。


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ここ数日、夫と話していない時は、いつも話すための予行演習ばかりしていた。徒労に思うが、仕方ないのだ。禁断症状を宥めるみたいに。言葉だけが全てだった。言葉だけが私というものを形作る全てだった。だからいつも確認していた。私を形どるために、そして夫という人を理解するために。練習の場はTwitterだった。でも皮肉なことに、オンラインで他人と話す度に、その言動を通して、夫がまともであることが裏付けられるのだった。140字の表現空間があるのに、ほとんどの人間は、自己の感情を他人に説明出来るように言語化することすら出来ないようだった。だからそれをほんのちょっとだけ出来る人間はそれだけでヒーローやヒロインになれる。そしてそうなれた人間は、棚ぼたで得たその地位を手放したくないから、言葉をオブラートに包んでぼかすか、開き直って炎上で名を売るために先鋭化させる。寝ぼけ眼のリプと脊髄反射的な共感の恐ろしさは彼ら彼女らが一番知っているから、寝た子は寝かせたまま利用するのだろう。140字の制限があったはずの空間にはいつのまにか拡張のツリーが出来て、カナ混じりの呪文よろしく思考の断片のツイートは自然と長くなっていく。

そんな人間が蠢く中で、こちらも蠢きのとばっちりを感じたり、半ばゲームのように好き勝手に振舞って傷ついたりした。傷つく度に夫のことを思い出した。丁寧語で疑問を投げかけただけで、脊髄反射的にタメ口で罵倒する、あるいは無言でブロックする。横入りで質問したことが不快なのか、それとも、先にブロックして逃げた方が勝ちというゲームでもやっているのか。

そこまで考えたら、また夫の顔を思い出した。その顔が頭から離れなくなった。

眉間を苦痛に歪ませながらも、辛うじて理性を保っている顔。彼にしか見えない希望に縋って、まだ平気だ、大丈夫だと思っている顔。私も含めてとっくに堕ちてしまった人々の頭上で、ギリギリの線で落ちまいと綱渡りをしている時の夫は聖なる罰を受ける受刑者のようで、その目にはある種の神聖な光が宿っていた。思えば初めてあれを見た時から、あの目の光をどうにかしてやろうと思っていたのかもしれない。かつて私にも宿っていたかもしれない光。この手ではもう触れないけれど全力で行けば風圧で叩き消すこと位は出来るだろう。私に宿っていたかもしれない光も恐らくそうやって消されたのだ。

でも、何が彼をそうさせるのか。「あなた」をそうさせているものは何なのか。潰す前に知っておきたいと思った。あなたの目には神に見える神以外の何かがいる。それを見たいと思ったから、また私は夫と直接会話するのだった。心の底ではあわよくばあやかりたいのかもしれない。でもどちらの希望も叶わずに、また、同じ結果を迎える。不思議なことに。

もう何度繰り返したことかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 最近では私は夫と喧嘩をしているまさにその時にも不謹慎な思いを抱くようになった。ようやく二人だけになれたと思いながら喧嘩をするようになった。互いを言葉で傷つけあう時だけ、私達は二人だけの世界にいる。

 本当に、何でこんなことになったのか。こうでもしないと私達は二人きりで話をすることすら出来ない。二人っきりになりたい、なんて仕事で戦友として働いている間は考えることすらしなかったことなのに。考えたとしても自分の弱気をらしくないと、笑い飛ばしてしまえるはずだったのに。今まで何でもなかったことになぜこんなに囚われる? おそらく、二人っきりになれないこと自体は大したことないのだろう。でもそれを私が意識しているという事実が私の足かせになっている。私が意識しているという事実が私を内側から蝕んでいく。


 これは、一体、何?


 内側から白蟻に食い殺されている家の柱の気分だ。私はいつの間にか弱くなった。ごめん、ちょっと疲れてた。久しぶりに二人っきりになりたい。そう素直に言えば、夫は一瞬戸惑った顔をするだろう。でもその後で、会社と交渉して、仕事と等価交換で魔法のように休みを捻出する形で、遅かれ早かれ、言うことを聞いてくれるだろう。そんな形で、夫は私を許してくれるだろう。

 でもそんなのは束の間の幸福なのだ。だって根本的な原因を排除せずに、互いに空気を読み合って、薄氷を踏むようにして歩み寄った結果の和解がもたらしたものだから。そして、許し許されの茶番が混じっている分、大嘘だ。そしてどうせまたあいつに引っ掻き回されて元通り。

 どれだけこの徒労を繰り返せばいい。

 私達は束の間の歪んだ幸福を感じた後で、静かに絶望していく。家族を軌道修正するための話し合いで少しずつすり減っていく。

 私はこのままでは、いつか本当に砂になって消えてしまう。あの砂になった王国の後を、私も追うのだろうか。追わなければいけないのだろうか。それは私には死と同義。少なくとも私にとってはそう聞こえる。


「ゆりちゃんが甘やかすからダメなんだよ」と言う声が聞こえた気がした。

今のタイミングでそう言われるのはおかしいし、夫はそれを言えないだろう。それにそもそもそれは夫の声ですらなかったかもしれない。

 でも、空耳だったとしても、反論したかった。

 甘やかしてるんじゃないよ。もうだめなんだよ。どれだけ心を尽くしても、だめなの。私達の心を尽くした成果が100パーセントあの子に伝わったとしても、あの子が返してくれるものは、それに価値を感じる人はいると思うけど、私達が望む性質のものではないのよ。

 だからもう、興味が無いの。もうあの子のためにもはっきり言うけど、あまりに出来が悪くて興味が持てなくてもはやどうでもいいから優しくなるの。‥‥‥これ前にも言ったよね。気づかなかった? オブラートに包んで言ったから気づかなかった? だったら今はっきり言うわね。そうしないと、堂々巡りになるから。こういうの、誰かが悪者にならないといけないんでしょう。だったら、私悪者になる。悪者になるのが嫌で逃げ回る人、どこにでもいるけど、そういうのって私大嫌い。このまま続けていったとしても、絶対に誰も幸せにならないよ。だって違和感を抱えながら惰性で生きてるんだから、どこかしら綻びが出てくるよ。じゃあ綻びが出ないように頑張ればいいじゃんって? ‥‥‥簡単に言うよね。それが出来ないから死ぬほど苦労してるんでしょう? それに、綻びが出ないように弱い所をあらかじめ取り繕うのって、それ偽善以外の何物でもないよね? 要するに間違いを認めずに取り繕うってことでしょう。それは私には、あなたと同じ、世間一般の人達の感性で考える所の、一番罪深い偽善だと思えるのだけど、違うの?


「ゆりちゃん、今だけだよ。辛い時期は今だけだよ」


これは本当に聞いた夫の声だったと思う。何回目かの静かな応酬の後で、夫は確かにこう言った。でもこの展開も、一体何度目なのか。思えばここ数か月、同じ所をずっとループしている、ような気もする。こんな状態、仕事なら耐えられない。私の人生は一歩も前に進んでいない。子どもの笑顔があるから停滞でも耐えられる? 「え? 何で?」と思う。心の底から。こんな状況なのに、あいつの笑顔でこのループが相殺されることは絶対にない。あいつは私達とは同じ次元にはいないし、私達は私達で、ただ成長していないから。


 ねえ、なんでそんなことが分かるの?


「子どものいる先輩とかも言ってる。あの時期は地獄だったとか、いろいろ。けっこう喉元過ぎれば熱さ忘れるじゃないけど、みんなあっけらかんと言ってるよ」


 論点逸らさないでよ。思うことに罪悪感があるとか、そういう話じゃないよ。

 ‥‥‥それに、みんなはみんなでしょう? 今私の話してるの。


「がんばろう、ね。もう少しで楽になるよほら、まりも少ししたら落ち着いてくるよ」


 がんばるって、何? がんばった先に得られるものがもう分かっていて、それに絶望しているのにまだがんばるって何? それ死の行進と同じじゃない? 全然建設的じゃないよそれ。

 ‥‥‥まり? そういやまりっていったわねあいつ? ‥‥‥あの子か? 

 ‥‥‥‥‥‥でも、ははははは。私、何で真理って名前にしたんだろ。最高の皮肉じゃん。何でそのこと言うのよ、ずっと、ずっと、ずーと、思い出さないようにしてたのに。


「あのね、今この話初めてするんだけどね、ずっと前区の検診に行ってきたんだけど、あの子普通の子よりも言葉が遅いみたい。動きも他の子よりもはっきり言ってとろいし、鈍い。障害があるのかも。私何でも障害だって言うの嫌だけど、嫌だけど、もし本当にそうだったらどうする?」

「‥‥‥まりはのんびりしてるんだよ。たぶん俺に似たんだ。‥‥‥いい子だよ」


 なんでそんなにポジティブに考えようとするの。一見優しいけど事なかれ主義って言うんだよそれ。せめて障害があるかどうかのチェックをしてみようかとか言ってよ。


 ‥‥‥あなたは何も知らないから。あなたは何も知らないから。

 あなたは何も知らないから!!!


 眼前の夫は肩を落として項垂れていた。自分の言ったことの欺瞞に自分で気づいたのか。私から目を逸らして、何かをじんわりと噛み締めるような顔をしていた。いつもの困り顔だ。問題に対峙していない者の余裕からか、自分を奮い立たたせるように口角が上がっていたのが、私への当てつけのようで、ただただ腹が立った。


 何とか言いなさいよ!


 この言葉を口に出して言ったのかどうか、もう今では思い出せない。でも気づいているのだった。何度も議論したけど、ループの繋ぎ目はいつもこう言っていたようで、言わないまでもこの台詞をぶつけたくてしょうがなかったということ。ここ数日、自分が人だという感覚がない。ものになった気分だった。

例えるなら、タイヤ。そうタイヤになった気分だった。ループを回る度に自分の感情がすり減って行くのが分かる。そして私は少し消耗した状態でこのループを回り続ける。ループの中にあいつの笑顔が混じることは無かった。当たり前だ。なぜ私達のループの中にあの何も考えてない笑顔が混じるのか。職場での私達の会話にチーム外の他人がいきなり横入りするようなものだ。

 何を排除すればいいかは明確なのに、絶対に排除出来ない。私達には始めてしまったものとしての負い目があるから。その負い目に死ぬまで付け込まれるのだ。

 気持ち悪い‥‥‥PDCAを回せないのが本当に気持ち悪い。どこが詰まっているから先に進めないのか。何を取り除けばいいのか。もう十分すぎるほど分かっているのに。私は理性で、それだけは駄目だと思わなければならない。感情を抑え込んだ後の瀕死の理性でそう思い込まなければならない。そうしなければ、世間様教が蔓延するこの社会では生きていけない。世間と、自分の感情と、私の理性は二つのものを相手にしなければならない。感情はけして嘘がつけない。そして自分を抑圧したもののことを恨み続ける。だからこんなに追い詰められた。でも私は声を上げることは出来ないのだ。ただ淡々と機械的にループを回り、身体が壊れていくのを待つだけ。これは私の心が壊れるまで続く。私の心を犠牲にせずに助かる方法は、当事者の私には分からない。

だから待つのだ。

待つ。待つ。待つーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 どれだけ待っただろうか。


 ついにその時が来た。福音みたいに。


 何週目かのループのクライマックスに差し掛かった時、自分の身体の繋ぎ目がようやくがたっと音を立てた。私は断末魔のような悲鳴を上げた。この悲鳴は本当に上げた悲鳴だ。思えば私が人前で悲鳴を上げるのは、これが初めてだった。悲鳴を上げた後で私はこんな声、出せるんだ、と自分に感心したから、よく覚えている。そして血は争えないと思った後で、歪みながらもまだしぶとく繋がっている親子関係をしぶとい、と思い少し笑ってしまった。 


夫はそれを、私の中の狂人の笑みとして受け取ったらしかった。


夫は四肢を拘束された異常者に対して驚きと同情を示すような目をしていた。君の辛さと不条理さは分かるが助けられないんだ、という目でじっと私を見ていた。咄嗟に目の前に狂人が現れて、このような態度を取れる人間はほとんどいないだろう。だが性善説で生きているであろう夫は、それが出来る人間なのだった。あるいは彼は、私と出会うずっと前に同じような経験をしてきたのかも知れない。でもそんなことは、今はどうでも良いのだった。

彼の上品な同情の籠った視線の奥には、冷然とした判定の光が宿っていた。彼は敵の疑いがある人間を見る時に、最初にこの目をして、その後で相手に対する最後の観察をする。この時に薄っすらと口を開けるのは彼の癖だ。だがその口から何か言葉が発せられることはない。なぜなら彼は相手を半ばものとして見て、直観で最後の決断をしようとしているから。だからものに口を利く余裕など、ないのだ。

彼は程なくして相手に判決を下す。一旦下された判決は私の経験では、絶対に覆らない。世の中には、数十億人の人間がいるんだよ。だから、合わない人よりも、合う人を探した方が建設的だし、楽しい。現に僕はそうしたいと思うな。これは私がまだ働いていた頃に、あのいつもの深夜の気晴らしの後で、会社に舞い戻ったエレベーターの中で彼が言った言葉だった。あの頃、もうとっくに何度も抱かれていたけど、夫は私の身体に一切触れずにそれを言った。真意を問い詰めたとしても、ただ座右の銘を話していただけだよと言うに違いない。でもその言葉は、あの時、実体はどうであろうと金属質な音を伴って、彼と私との間に檻を被せるように響いたのだった。彼はいつも自分の言葉の責任を取らない。結果だけ享受して、それを棚ぼただと言って笑い話にして、煙に巻いてしまう。あの日も、狐につままれたような顔をしている私に笑いかけると、企画部フロアの階数表示の彼方に消えてしまった。


いつもの、あの薄暗いリビングで、間接光のライトに照らされた目で、あいつを見ていた時の夫の目には、そんな光は宿っていなかったと思う。それ以降は、怖いから見ないことにしていた。その罰なのか。あの人は今、純度100パーセントの判定の目で私を見つめていた。夫の、あの白い光のような眼差しが、私の誰にも汚されるはずの無かった一張羅のようなプライドを絹のように、ずたずたに引き裂いていった。

私の心は剥き出しになっていた。私の理性は、もはや瀕死だった。

これをただ繰り返せばいいのだと、私の理性は静かに囁いた。

もはやそれしか方法がない。でもそうすることで、救われるのだと。

それは甘く安らかな誘いだった。

理性はそれを勧めていた。私はそれに乗るしかなかった。

理性は泣いていた。感情は泣きながら喜んでいた。不思議なことに、情けないことに、私の壊れた心の中は、ようやく私はちゃんと壊れることが出来たんだという、生暖かい安堵に満ちていた。

 それは長い演技の終わりだった。

あるいはこれもまた、新しい演技の始まりなのかもしれない。確実に言えるのは、私はここで一度死ぬのだと言うことだった。

頭の中ではずっとこんな声がしていた。

ぼろを纏ったような「わたし」の中で、私が私の名演を絶賛する声が聞こえた。

ずっと共に戦ってきた戦友の声。理性でも感情でもないその声が、今のお前は滑稽すぎるから、もっと、もっと、もっと、心の底から笑えと言っている。


この声援に答える。今答えなければならない。だって、本当に死ぬ覚悟なんて、無いのだから。


 アンコール


  アンコール

   アンコール

  アンコール 

     ア‥‥‥アア


「ゆりちゃん、もう話し合いが出来ない。しばらく距離置こう」


 私は笑ったまま頷いた。咄嗟に顔の筋肉が動かなかった。夫がこの言葉を他人に使うのを、私は見たことがある。金属質な冷たさを持つそれは、最期の猶予の言葉なのだった。つまり夫は、私を首の皮一枚でまだ敵と見なしてはいない。恐らく私への愛が、それを言わせたのだった。

泣く代わりに狂人の武器を使ったんだから、私は人として終わったのだということだけははっきり自覚していた。この瞬間に私は壊れない私からいつ壊れるか分からない私になった。きっとあの時の笑顔は、直視出来ないほど酷い笑顔だったろうと、推測する。

 今、本当は何が起こったのだろうか、これから何が起こるんだろうか、そんな不気味な問いを繰り返しながら、若干の真実の間を挟みながら、壊れた私を演じ続けた。こんなに満面の笑みで笑ったのは初めてだったから、顔の筋肉が硬直してしまったのだろうか。こわばった筋肉を自覚しながら笑うのはひどく惨めだった。反射的に夫から顔を背けたことは、的確な選択だった。夫を見ないで済んだのと、涙が目の奥に引っ込む猶予が作れたのだ。

 自分で自分を褒めてあげたかった。グッジョブ。何て的確な判断だと。思えば私は自分以外の人間に涙を見せる位なら死んだ方がましだと思って生きてきた。夫はこれから優しい言葉を囁くかもしれない。でもどんなに優しい言葉を囁かれても、私は嫌だった。もう二度と私は、他人と自分の境目を売り渡したくはなかった。売り渡した瞬間に自分が消えてしまうからだ。今本当に失いそうになってみて分かった。感情の共有がもたらす幸福なんて幻想に過ぎない。すぐに消える波のようなものに身を委ねても溺れるだけだ。自分を本当の意味で守れるのは自分しかいない。

 たとえ最上の交流が出来た場合でも、相手の心の波は私の心の表面を優しく撫でるだけ。薄っぺらい感動ポルノだけがそこにはある。そんな生き方、空しくはないか。夫も誰も、私の魂までは救ってくれない。皆薄っすらと気づきつつも、感情と共に溺死したいと願う。その同調圧力が、私には感情に侵食された理性を通しても理解出来ない。

 涙のなりそこないが私の喉に絶え間なく落ちていく。外気と結合して酸性になったかのような液体が喉の粘膜を軽く焼きながら流れ落ちていく。涙を流さなかったことを内側から貶されているようだったが、私は無視した。こういうことが出来るのも、私のプライドが高いからだ。ほら、自分のことはやっぱり自分で守らなきゃならない。私が自分のプライドが高いのを悪いことだとは思わないのは、こういうことがあるからなのだ。

プライドは糸のようになっても私の身体から離れなかったようだった。これだけの想定外の中で、自分でそう思えるのならば、私は、私の自尊心を、私の誇りを皮一枚の所で守り切ったと言えるのかもしれなかった。もしそうなら、本当にそうなら、その事実だけは覆らない。ならばそれゆえに重要で、その事実だけで十分とも思えた。

慰めの言葉などいらない。自分が最低なのは自分が良く分かっているから。死んだら全部無くなって終わりだということも、もう全部気づいているから死なない。だから、その代わりに私は自分の行為の責任は自分で取る。私なりのやり方で。

耳当たりの良い言葉を無責任に発して、責任を追及したら個人の見解で逃げる人間の言葉に実体など本当にあるのだろうか。実体を与えているのが世間の忖度なのだとしたら、霊が霊に生を与えているようなものだ。それは本当に将来的に有益なものであると心の底から言えるのか。皆単に、パンドラの箱を再び開ける最初の人間になりたくないから、見て見ぬふりをしているだけではないのか。無いものをあると言い、あるものをないと言う世界に逆立ちをしてまで生きたいと思うことが美徳なら、間引きも迫害も必要ない。そのうち逆立ちしている親の方が、脳出血で死ぬ。そしたら必然的に人の空きが出来るだろうから。


 今度は夫が、あいつを連れて出て行った。どこに行くつもりなのかと思った。今の状況で実家に帰ることなんか出来ないし、そもそも私達の結婚生活には実家を頼るという選択肢なんかないはずだ。

 認めてしまおう。分からないものがあること自体はいいのだ、もう。だけどそれが分かるようになるまでの時間を待つのは、耐えがたい苦痛だ。

 だからこんな風にまた心の中で毒を吐いた。


 あなたの場合、今はホテルにしか泊まれないわよね。まあ親子水入らずで頑張って。自分が思っていることが正しいかどうか、思う存分検証すればいい。


 あの日、私はベッドで一人で眠った。一人だと眠るまで何をしてもいいから気楽だった。せいぜい経験で学べばいいという言葉を反芻しながら眠りについた。夫の目の下の隈が更に濃くなることを想像した。口元からまた何に対してなのか分からない笑みがこぼれた。これからどうなるのか、分からない。壊れてしまったレールの上で、夫とこのまま暮らしていくことが可能なのかも、何もかも分からない。分からないことが気楽だというのは新鮮な感覚だった。皮肉だった。分からないことを認めてしまえる幸せをこんな形で実感するとは。

 全てが壊れたことを伝えたその後で、私はどうしたいのだろうか。

 もう全然分からない。

 それでもあの日は珍しく、泥のようによく眠れた。

 夢は見なかった。

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