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 昨日、あいつの教育方針でついに、夫と対立した。もう後戻りは出来ないと思う。

 なぜあんな所に行ってしまったのか。なぜあんなことをしてしまったのか。いくら自問自答しても、全てが後の祭りのように思う。

 でもなぜだろうか。一日経ってみると、奇妙なほど頭がすっきりしているのだ。頭がすっきりして、思考力も戻ってきているように思う。なぜだろう。よく眠れたからだろうか。

 ‥‥‥事の発端はこうだ。昨日、ショッピングモールで日用品の買い物をして、昼過ぎに昼食を取った。私達はラーメンを食べていた。あいつが自分のを食べた後で、私の味噌ラーメンも食べてみたいと言ってぐずったから、私はフードコートのキッチンスタッフに一回り小さい器を借りて、あいつの分を取り分けた。途中でスマホのバイブが鳴った。夫からだった。食事を中断して座りながら話そうとしたが、周囲の喧騒のせいで電話の声が聞き取りづらい。特に私達が座った直後に真向かいに陣取ったママ集団がうるさかった。電話で話すこと自体久しぶりだったからか、当たり障りのない挨拶のようなことを、場繋ぎがてら話す夫に適当に合わせながら、視線を合わせないようにして、辺りを見るともなく見た。

 テーブルと同系色のどす黒くくすんだ色合いの集団がそこにいた。ボスママの趣味に合わせているのだろうか。貸し切りかと思うほど厚顔無恥な様子で、そこにいない誰かの噂話に夢中になっていた。集団内に笑う時に手をテーブルに打ち付けるのが癖の人間がいるようで、話が盛り上がる度に空間が振動するかのような騒音が沸き起こっていた。

 周りの人間達は、無表情を装っていた。自ら透明人間のようになって、なすすべもない犠牲者である自分達の存在を否定することで、自分の尊厳を保とうとしているかようだった。

 それはうんざりするほどのデジャブを孕んだ、大人の賢明な対応だったように思う。だが、沈黙の抗議が攻撃力を持つのは、迷惑を掛けている人間が、その透明人間になった人間に、普段から一目を置いている場合のみで、心の底ではそれを分かっている彼らの影は、ただただ薄かった。大人なんだから、嫌なら逃げればいいのに。何らかの理由で、そこに留まり続けなければならない人々は、永遠に虐げられ続ける存在に等しかった。

 下手に注意したら睨まれて、数倍にしてやり返されることを知っているのだろう。フードコートは、完全に彼女達の独壇場だった。彼女達に注意が出来る者はスタッフも含めてこの空間にはいないようだった。

 まともな人間がいられる空間ではないと思った。スーパーのフードコートは、どんなに新しくて洗練された空間デザインでも、ある種の家庭の台所の流しの中のぬめりの延長のような、淀んだ空気が漂っていると思う。それでも、建て前上でもそれを上手く隠して、お仕着せの家庭以上レストラン未満の雰囲気を演出するのが、フードコートという場所ではなかったか。だからこそ、出されるのがファミレスで出されたら失望する、大学の学食レベルの料理だったとしても、雰囲気補正が入って、これで子供の機嫌が良くなるならと、それなりに我慢して食べられるというものなのに。

 何でこんな目に遭わなきゃいけないの。こんなの味以前の問題。こんな空間にいること自体が苦痛。その後は、またいつもの理性と感情の魔のワルツだった。‥‥‥人の姿をしているが人ではないもの達が蠢いているという意味で、あのフードコートは楽しい憩いの場とは程遠い、不気味で暴力的な「クウクワレル」の蟲籠の中の餌場に思えた。獲物を求めて蠢いているという点から、大蜘蛛が群れを作って、それぞれの個体が吐いた糸を幾重も重ねて巨大な巣を張るという、現実を超越したおぞましい連想が私の脳裏に浮かんだ。

 小学生くらいの子供が二人ほど、集団の周りを、奇声を上げながら走り回っていた。あいつも、‥‥‥うちの子も、もう少し大きくなったら、ああなるか、否、きっともっとすごいことになるに違いない。見る角度によっては、子供にも小蜘蛛にも蠅にも見える子供ら。加害と被害の狭間で生かされる異形の子供の影が視界の隅でちらついた。見ようによってはその存在自体が現代社会の歪みの犠牲者のように思えなくもない。が、私は自分の背負っているものだけで精一杯。そんなものに同情する余裕は無いし、仮に同情出来たとしても、それが私が捕食対象にされる理由には絶対にならない。

 朝食はとっくの昔に消化されてしまって、ラーメンを食べる前はお腹がペコペコだったはずなのに、食欲はみじんも湧いてこなかった。食とは無縁の、胃の奥に酸性の胃液が湖のように溜まっていて、身体を動かす度にそれが荒く波打って動いているような、孤独な風景画じみたイメージだけが頭の中にはあった。こんな所でものを食べる位なら、心の中の幻想の霞を食べていたいとでも思っているのか、だがいずれにしてもそれは実現不可能という意味で、それ自体が吹けば飛ぶ幻想に等しい願望だった。

 一人なら、絶対にこんな所では食べないのに、今の私には、拒否権はない。

 せっかくの気分転換の外出だったのに、途中までは頭もすっきりしていたのに、結局、またおかしなことになってしまった。また目を開けたまま悪夢を見始めたようで、頭がくらくらしそうだった。最近、何でもないのに目が覚めてから、ずっと明け方まで眠れない時が続いていた。あの時の夫の声は珍しく落ち着いていて、まるで結婚前のような間延びしたエコーを伴っていた。たまたま仕事の隙間時間が出来て、その時間を私との電話のために充てているのだろうか。別世界から笑顔で、こちらに呼びかけているような、のどかと言ってもいい声だったように思う。まるで湖の中に自身の顔を映して覗き込んでいるような。夫の声をはっきりと聴きたかった。連日の育児の疲れも相まってこの空間から一瞬だけ離れたいという思いが、私の脳内を過った。言わば救済の直訴に等しいその思いは、そのまま脳内で溜まりを作ると、不吉な時を刻むように、沸々と煮詰まっていった。

 ‥‥‥ちょっとパパと電話してくるから、ここで自分のを大人しく食べててね、と言い残して、私はフードコートの脇にある階段に移動した。多忙な夫は電話を途中で切ることを好まない。夫が嫌いなものは数える位しかない。喧嘩をしたく無かった。小言で無駄なエネルギーを消耗したく無かった。電話が来ること自体が、もう滅多にないことでもあった。

 電話の要件は、飲み会で帰るのが遅くなる、ということだった。そういう連絡はラインでする約束だったでしょう、と言わなかったのは、夫が歩き始めて、焦り出したのが分かったから。移動する時間が惜しいのか、夫は歩きながら電話していた。結婚前はこんな時、そんなに忙しいなら、電話を切ればいいじゃない、とよく皮肉を言って、彼が爆笑して、ゆりちゃん酷いな、と言うオチが、当たり前だった。まだ結婚すらしてなかったのに、そんな夫婦漫才みたいなやり取りで、互いの距離を確かめていた。今思えば、あんな危ない綱渡りみたいなことを、二人とも平気で出来ていた。あれが若いということなのか。あの頃の自分に、今では、こんな時間に久しぶりに声が聞けただけでも、嬉しくて、それだけで舞い上がってしまっていると言ったら、果たして、どんな顔をするだろうか。

 夫の声を聞きながら、心の中で助けて、と呟いてみる。呟いた瞬間に目が見開くのが自覚出来た。発作的に助けを求めたのは良かったものの、助けを求めたものの実体が分からなかった。自意識はいつの間にかもやの中で漂い始めていて、私は見える態の演技で電話をしなければならなくなっていた。あれはまるで、夫に助けを求めたというより、夫を象徴するものに助けを求めたという感覚だった。混濁したエゴに汚染された理性では、正常な判断が出来なかったのだろうか。それでも助けを求めたことで気持ちが落ち着いたように思った。電話口の夫は最後まで私の動揺に気づかず、私はその夫の鈍さを優しさと捉え、心の底から、それに安堵した。

 私は手短に電話を済ませるとフードコートに戻った。

 例のごとく、事件が起こっていた。私は薄々気づいていたのかも知れないな、と今では思う。あの時、事件が起こらないで欲しかったのか、本当は起こって欲しかったのか、正直な所、分からない。私は自分の子供のことをよく知っている。そして私は自分が世間からどういう母親に見られているかも知っている。ならば、いっそのこと、そう振舞ってやろうと開き直った末の行動なのか。世間が求めるバカな母親を演じて、育児放棄をしてやろうと思った末の行動なのか。事実、あの時逆に何も起こっていなかったら、その何も起こらなかったという事実に発狂していたかも知れない、そんな思考に陥ってしまうことすら、たまにある。

 席に近づく私の目に、真っ先に飛び込んで来たのは、味噌色に染まったテーブルクロスの上で無残にひっくり返されたラーメンだった。

 ‥‥‥私の子供は、あいつは、ラーメンの麺の前で、誰よりも大きな声で、ぎゃんぎゃん喚きながら泣いていた。まるで世界全体が自分を責めているのが悲しくて仕方ないという感じの、感情を剥き出しにした泣き方だった。

 つい数分前までは間違いなく食べ物であったはずのラーメンが、具も麺もスープもぶちまけられて、いとも簡単に残飯になり果てていた。数分前は麺に違いなかったものが今では不潔な細長い生ゴミになって、床まで落ちていた。辺りには時間が止まったような重苦しい静寂が流れていて、インスタント食品特有の籠ったような臭いと、床の埃が混じったような臭いが合わさった、不快な異臭が辺りには立ち込めていた。あの時の給食の臭いみたいだな、と思った。私は給食が嫌いな子供だった。遥か昔、あの学校の給食の配膳後にも同じ匂いがしていて、そんな空間でものを食べること自体が苦痛で、目の前にあるものは食事ではなく、食べ物に床の埃が混ざったものだと思いながら食べていた。ある種の吐き気を感じながら、最低限のものだけを口の中に詰め込んでいたあの頃。そういうものだと諦めて、拒否することも出来ずに、ただ生きるための行為としての食事をしていたあの日々のことが、遺影のような静止画像の形でフラッシュバックした。

 それは食べ物が遊ばれたと言うよりも、知性の無いものになぶられたような光景だった。食べ物が一度生き返った後でまた惨殺されたような光景。日常の延長の無残絵。絶対にあってはならない光景が、目の前に展開されていた。この状況を呼び寄せた自己に対するふがいなさも相まってひどく情けない気分になった。時を超えてやってきた給食のイメージが、眼前の汚物に重なった後で、混ぜられて、その混合物を何者かの手によって無理やり口に押し込まれるような、おぞましい妄想が私の心を襲った。目の前の景色が陽炎のようにゆらゆらと歪んでいった。実体の無いものが仮の身体を得ようとするように、ワンテンポ遅れて目の奥から熱が立ち昇ってきた。炎の蛇は、私の瞼の裏で執拗に蠢いていた。

 子育てなら、普通の子育てなら、よくあること。よくあることだから、落ち着こう。どうせ周りは皆敵なんだから、動揺した方が負けなんだと、自分で自分に言い聞かせた。でも、せめてこれが家の中だったら良かったのにという後悔が、私の理性の柱に、何度振り払っても絡みつこうとする。この後悔を起こさせる不安は、一体何なのか。一体、何によるものなのか。いくら考えても、分からなかった。

 遠巻きに無数の粘りつくような視線を感じた。例のごとく、いつもの、好奇心の混じった、断罪の視線だった。舐めるような視線が私達の肌に染み付いて、凝固する。全身に、他人の好奇の目の斑点が出来る。ひりついた肌のあちこちに、他人の目を無理やり皮膚に移植されたような感覚があった。まるで自分が百の目を持つ化物になった気分だった。好奇心で見開いた無数の目がぎょろぎょろと辺りの皮膚をかき分けて、私を内外から舐めるように観察しているようだ。

 ひたすら気持ちが悪かった。一番嫌だったのは、最悪のタイミングで、私達が異物であることが知られた、ということを、内外の目を通して嫌でも自覚するという所だった。

 ここは職場とは違う。こんな派手な形で本性を晒してしまったら、もうリカバリー出来る時間なんかない。より旧弊で、陰湿で、本能的であるという意味で、私には職場よりもこの世間の方がより厳しく思えた。

 あの職場で起こっていたことを、もう一度、正確に思い出してみた。

 社内いじめの餌食になって辞めていった仲間達。心を壊さないで辞められる方が珍しく、性格の良い子ほど見るも無残なほど派手に壊れていった。まだ新人だった私達は、あれが社会の厳しさで、あのやり方について行けなかったんだから仕方ない、それにうちみたいな人気企業は、はるかに恵まれている方で、他社はもっとひどいという、上司の酔いに任せた説明を受け入れなければ生き残れなかったから、理性で合理的にそう考えて、仲間ではなく他人と思うことにして、そして忘れた。あれは本当に合理的選択だったのか。消極的とは言え、ただ仲間を見捨てただけではないのか。酷い言い方をすれば、その行為自体が否応なしに上への点数稼ぎになっていたと、言えなくもない。一連のからくりを黙認することで、あの体制を補強してはいなかったか。そして、そこまで感づいていたのなら、それは、仲間を売ったのとどう違うのか。

 今更考えてもどうなるものでもないが。

 あの職場では、私が新人の頃から効率教が蔓延していた。仕事が出来る人間が正義の世界では、未経験の人間は、立ち回りが下手な新人も含めてすぐに潰された。

 目の前に無条件で見下せる相手が現れたら、これ幸いとスケープゴートにする。抵抗するようなら、皆で取り囲んで喋れなくしてしまえばいい。それでも文句を言うようなら、その輪をどんどん狭めて潰してしまえばいいと思う。いけにえが抵抗するなんて生意気だという怒りが根底にあるから、虐げている自覚などない。むしろ忙しい自分達を怒らせたことに対する贖罪のために、その位して当然だと考える。

 新人の私達は目上の彼ら彼女らに迷惑を掛けるだけの存在だと悟られないように必死だった。上層部が優秀な社員である彼らを、更に馬車馬のごとく働かせるためにばら撒いた、あの毒霧のせいで、あの人達は仮面の下で煮詰めた凶暴性を、個々の基準で格下認定した人間の前では剥き出しにしていた。

 あの凶暴性が元々あったものなのか、後からやってきたものなのか。誰も知らない。そもそも知った所で何になるというのか。

 卵が先か、鶏が先かを論じて、今さらどうするという開き直りが蔓延していた。関わる人間は皆、何も知らない振りをしなければならない。むしろ、知っていることを悟られたら、生意気だと目を付けられて、その状態でミスでもしようものなら‥‥‥。

 時間を金よりも大事にしているあの人達のことだ。格下の人間に欺かれていたという事実と、そんな人間を自分達が今まで、知らない振りをして「信じてあげていた」時間のロスに対して、猛烈に怒り散らした後で、火あぶりの刑だ。仕事に関係の無い人間性の否定から、存在の罪を断罪されて、集団同一視のレンズで起こされた業火の中で、自分から辞めたいと言い出すまで炙られる。

 ‥‥‥はははは。

 理性が通じない分、あの時よりももっと酷いことが起こるに違いない。

 昨日は久方ぶりの猛暑だった。が、フードコートの中は冷房が効いていて寒いほどだった、はずなのに。油照りの外気の延長のような空気が、いつの間にか私の周囲に漂っていた。耳たぶがかっと熱くなった。右。少し遅れて左。鬱憤に晒された空気から引火したかのような痛みを伴う激しい熱だった。身体は正直で素直だ。でも、その素直さが命取りだということが、なぜ分からない。

 自覚できるがゆえの苦しみがこれほど人の自意識を苛むのなら、こんな風に独り相撲をしながら苦しむのが人間の本当の原罪ではないかと思った。自分の中で常に裏切りが起こっているのに、自分以外の人間のことなんか信じられるわけないのだ。名実ともに泣きたくなった。耳たぶの柔らかな皮膚を起点に沸き起こった熱が脳に回った。頭がぼうっとする。白痴のようになっていく。複雑なことを考えないようにして、また、見たいものだけ見ようとするつもりなの? そんなの皆同じだから、会社で出会った私を虐げた人間達も含めて、同じだから、なんて慰めにならない。これは私の問題で、他人が介在する余地なんかないのだ。自分が生きるために一番なりたくないものにならなければならない、それが悲劇だと私は「わたし」に、言っている。

 脳の熱は血の流れを介してみるみるうちに全身に回っていった。  

 全身が羞恥の炎に包まれていくようだった。身体全体が暑くて堪らない。ここまで暑いのなら、私の周囲にも眼前にあるのと同じ陽炎が出来ているはずだ。

 思えば物心ついた時から、私の心はいつも蹂躙されていたように思う。それを認めてしまえば堕ちていくだけだから、そうではないと自分に暗示を掛けていただけ。私は自分に都合の良いように改変した記憶に縋る形で今まで生きてきただけなんだろうか。もしそうなら、なんて情けない生き方をしてきたの。

 全身を巡る血が、羞恥心で沸騰し出したのが、分かった。これまでの社会の理不尽に対する嘆きを含んだ怒りが、文字通り、火に油を注ぐように私の炎を煽った。

 目の前の細長い残飯を口の中に押し込まれる妄想が、また不意に過り、吐き気を催した。吐き気を宥めるために気持ち大きく息をしていた。味噌色の海はビニール製のテーブルクロスの端からぽたぽた垂れて、床に埃交じりの水たまりを作っていた。

 フードコートの全ての目が、私達を捉えていた。喰う側も、喰われる側も、この空間で最弱の存在となった私達親子の様子を無言で観察していた。透明な手に押されて崖から突き落とされたみたいな気分だと思うと、自然と呼吸が浅くなっていった‥‥‥。

 私はしゃがんだ。

 息も絶え絶えな自分自身を抱きしめるために、しゃがんだ。社会的に死ぬならせめて見えない場所に行きたい。死に場所位自分で選びたい。それに大前提として、私の死は、見世物じゃない。

 まるで檻の中の実験動物になった気分、という思いが湧いたが、すぐに打ち消した。

 意識的に打ち消したのだった。見られるという行為が、自分が見られていることを自覚するということから始まるのなら、自分がそれを認めなければ、他人は見ない。だから、私は本当は、誰にも見られていないことになる。

 詭弁か。でもそうだとしても、実際にそうなんだからいいじゃない。そんなことを自分に言い聞かせながら、しゃがんだままリュックを床に下ろした。リュックからタオルを出すと、もう一度立ち上がってラーメンの残滓をテーブルの一角に集め始めた。私はリュックの中に、捨ててもいいタオルを、いつも常備している。でも今の理屈で考えるなら、じゃあこれは、本当は何のためだろう。

 どうでもいい。同じ人間にちょっと注目されているだけだ、と自分に、漫然と、心の奥底では恐らく必死に言い聞かせながら、視線を下に向けて作業に集中した。脳の持ち場を離れて、私の背中に勝手に移動した客観の目が、嘘か本当か分からない情景を伝えていた。

 図らずも記憶の壁で出来た思考の迷路をさ迷っていたせいか、無数の目の斑点はいつの間にか消えていた。実際に視線も逸らしていたせいか、幸いなことにあれが本当のインターバルにもなっていたのだろうか。

 私の身体も、私の目も、遅れて若干の正気を取り戻したようだった。

 向かいの「ママ集団」の面々は、しばらくはあっけに取られた顔で固まっていたようだが、すぐにトンボのように目をぎょろぎょろと動かして彼女達の獲物に等しい間抜けな親子の観察を始めたようだった。

 苛立ち、同情、憐憫。全て弱者に対する見下しが根底にあり、それゆえに他人に向ける時には快感が伴う感情だった。さぞや気持ちが良いことだろう。私を見た後に子供、子供を見た後に私。まさに親の顔が見たい、がすぐに叶うおいしい状況だった。

 ふーん、これが躾のなってないクソガキの母親の顔か、という声がどこからともなく聞こえてきそうだった。

 自分の子供の出来の悪さは、母親である私が一番良く分かっていた。だからこそ、一直線上に、同類として、嘗め回すように見られているのが屈辱だった。居ても立っても居られなかったので、こちらもあんた達を見ているのだ、と視線で主張すると、フードコートのスタッフの中に臆病な小動物のようにそそくさと目を逸らす者がいた。そんな風に嘘でも毅然とした態度が取れないんだから、いつまでも喰われる側なんだと、自分を棚に上げて思った。

 ママ軍団のメンバー達は目を逸らさなかった。数の利で守られている安心感からか、自分が常に捕食者であるという絶対的な自信でもあるのか、無遠慮に私の動揺を観察したままだった。安易に近づいてこないのは、ここが隣町のフードコートで、私が面識の無い、グループ外の人間だからだろう。埒が明かないので視線を逸らして観察を止めると、その隙を突くような鋭い視線が刺さった。中央で腕組みをしながら、私を睨むように見ている茶髪セミロングの所帯じみた母親。ボスママに違いなかった。座っているだけで賛辞のシャワーを浴びられたはずの憩いの場が、不躾な見知らぬ子供によって壊された。怒りの原因はそんな所だろうか。

 私は視線でボスママをけん制したまま、あいつに泣かないで、と声を掛けた。若干声が震えていたのに自分でも驚いた。ここまで現状を把握出来てもなお、私の身体はまだ恐怖を感じていたのだ。

 ‥‥‥これって、あれみたいじゃん。ほら、新人の頃に一時間前にやれって言われて、部内ミーティングで初めてパワポでプレゼンをやらされた時の、あのテンパリまくった感じ。あれにそっくり。

 あの時、なぜ私はあんなことをもう一人の「わたし」に対して言ったのか。きっと過去の、はるか遠くの無関係になったことを考えながら、無数の視線の網を解くための隙を作ろうしていた。自分で自分を鼓舞しようとしていたのだと思う。自分を慰められるのは自分しかいない。だから理性で感情を騙す。意識的におどけることで、悲惨な光景も一時的には笑える光景に変質させられるから。

 だとしたら、あれは多分、転職したての頃の夫の真似。転職したての夫も、こんな心境で毎日ピエロを演じていたはずだ。

 空しい、けど愛おしい。ラーメンの残滓を機械的な動きで集めながら、背中の目で周りの人間の光景を読み取っていた。自覚して笑われる人間は笑う人間よりもずっと賢い。なぜ笑われているかを完全に知っている状態で笑われている場合は特に。そしてそれが自分の過失であることを理解している場合は常に。

 でもこれを、何十回も何百回もこれから繰り返すのだとしたら、それらが終わる度に、それでも愛しいと、思えるだろうか。

 私は理解していた。これは、笑えるハプニングなんかじゃなくて、必然的に起こった事故なんだと。そしてこの事故は、うちの子の場合、100%予防することなんか出来っこないのだ。

 手を握った後、しゃがみ込んで小声で、ママと話をしようね、と言ったら、あいつは喚くのを止めた。一回で言うことを聞いたのは初めてだったから、少し驚いた。言葉が分からないなりに雰囲気に気圧されていたのだろうか。釘を刺す言い方になっていたのかもしれないと、私は内心反省した。後々自分が不利になるので、教育上良くないという建前で、こいつに対しては理詰めでしか怒らないことにしていた。手を挙げたことも一度もない。あの時も叩きたいとは思わなかった。むしろその記録を、よりによってこんな人前で、破ってはいけないと、強く思っていた。

 集めたラーメンの残滓をゴミ箱に捨てて、床の泥色の水たまりを全てふき取ると、テーブルはこぼす前とほぼ変わらない状態にまで回復した。ようやく、「大丈夫ですか?」と声を掛けてくる人間がいた。はきはきとした声だが、語尾に給湯室ではしゃぐ腰かけ派遣のような無邪気な好奇心が滲んでいた。ようやくボスのお許しが出たのだろう。

 声を掛けてきたのは、使い捨ての白マスクをした女だった。異様に艶のあるセミロングの黒髪。額に前髪がわかめのように張り付いていた。一重の切れ長の目は、丹念にメイクされていたが、そこに原色の色味は無かった。詳細な年齢は分からないが、ひょっとしたら年下かも知れなかった。

 顔の作りには、取り立てて醜い所は無かった。が、好奇心で濡れた黒目が海の妖怪のようにぎらぎらと光って不気味で、近づくのが憚られる禍々しい雰囲気があった。八方美人であることを恥だと思っていない目。そしてボスの伝令であることに歪んだ誇りを持っている目だった。いつもその目でボスの代理を気取っているのだろうか。マスクの下が不自然に盛り上がっていた。仲間にも見せられない歪んだ口元で、快感にほくそ笑んでいるのだろうか。  

 私の後であいつ、あいつの後でまた私。妖怪じみた黒目が無遠慮に動いていく。隅から隅まで舐めるように観察されたのが分かった。判断基準は身なりと顔だろう。世にも下種なオーディションの後で、その濡れ女は、まあこの子ちょっと変だけど、私達優しいから、特別に仲間に入れてあげてもいいわよ、という目で微笑んだ。目の奥が笑っていない、暗黙知を孕んだグロテスクな笑い方だった。マスクの下は、八方美人の言葉を吐く長い舌で舌なめずりでもしていそうだ。どんな風に遊んでくれるつもりなんだろうか。うちの子のためにわざわざピエロ枠を作ってくれるのだとしたら、本当に優しい。けど、私達にも選ぶ権利があるの。そんなの、こっちから願い下げよ。

 ものを言う異形。蜘蛛の脚に牛の顔が付いた牛鬼の子供と、その母親の濡女。濡女は蛇の身体に女の顔が付いている。これでも少しは進化しているのだろうか。

「大丈夫です、すみません」

 笑い方を真似してみた。バレる訳ないと思ったから挑発したのだった。この皮肉が分かるのなら、最初からこんなことにはなっていないはず。だからあなた方とは関わり合いになりたくない、という意味の笑顔を作って返答した。その直後に、バカにすんじゃないわよ、と思った。


 仲間内の汚物みたいなエゴを、私の鼻先に押し付けないで欲しい。あんた達の躾のなってないクソガキのおむつみたいなものを、私達の鼻先に押し付けて、仲間に入れてあげてもいいって、それどの口が言ってるの? 


 もっと気を使え、と言いたいのでもない。もっと早くに声を掛けてこいと言いたいのでもない。現にそうされても、私は同じ返答をして手助けを拒否しただろう。目は口ほどに物を言う。私が感じているのは、もっと単純で基本的な怒りだ。だから窮鼠猫を噛むを平和的に実践してみた。ただそれだけだ。


 汚れたタオルをゴミ箱に捨てると、まだ未練がましそうなあいつを連れて足早にフードコートを後にした。半ば引きずるようだったと思う。力づくでなければいけないのだ。本気で友達になれると思っていたら、とんでもないから。嘘だと思うなら、一時間あの子供らの中で、手助けなしで遊んでみればいい。別れる頃には、文字通りボロボロにされているだろうから。今まで、同じような目に遭ってきて、叩かれたり、引っかかれたり、服をボロボロにされたり、散々な目に遭ってきたのに、なぜけろっと忘れてしまうか。あんなに狂ったように泣いていたのに、憎しみすらも覚えておけないとは、我が子ながら情けない。

 いい加減、どんな方法でもいいから、他人の悪意に気づけるようになって欲しい。そうしないとあんた、安全に生きていくことすら出来ないわよ。将来犯罪に巻き込まれることにもなりかねないわよ。それも一生無理な話だろうか。そんなこと言ったら、子供の友達を選別するこっちが鬼だ、毒親だと言われるだろうか。


 こっちが一生管理しろと言うなら、私はそんな人生、嫌だわ。

 一生この子の奴隷ってことよね。


 出る直前にフードコートのスタッフの前を通ったが、あえて何も言わなかった。店の制服を着た置物にかける言葉はないし、こぼす前の状態に客が身銭を切って原状回復したのだから、向こうだって文句はないはずだ。

 お腹が減ったとぐずるあいつをなだめすかして家に帰り、買ってきた材料で夕食を作った。お腹が減っていると言った癖にあいつは食い散らかしただけでまともに食べない。聞くとラーメンが食べたいと言って泣く。バカバカしかったので、今日の晩ごはんはこれよ、とだけ言って自分の分だけを食べて片付けた。


 ママがいない時に、勝手に大人のものを触らないこと、特に熱いものは火傷するから絶対にダメよ。この言葉を何十回言い聞かせたことか。あいつは何回痛い目に会ったら気が済むのだろうか。失敗する度に諭して許してきたが、ここまで愚鈍だと、本当に私と夫の子供かと疑いたくなる。今日はラーメンで良かったものの、もしラーメンじゃなかったら。派手に火傷されて、最悪なことに後に残りでもしたら。母親の私は、子供の火傷は親の責任という名の下で、世間に殺されてしまう。こんなに理不尽な話はない。言うことを聞かない子供の過失で、一人の人間が社会的に殺されるということが、容認される。そんなのが世間が求める理想的な親子の枠組みなのなら、自分の子供を育てるのも毎日命がけだ。


 結局、あいつの食事は寝るまで食い散らかされたままだった。

 私はわざとそのままにして、夫へのメモを残した。今日会った出来事の報告。思ったことをもうこれ以上薄くならないほど薄めたオチのない話。例えるなら、そう、Twitterでよく流れている、子育てのあるあるネタのバズツイート程度の、反応した数時間後には忘れる、本当か嘘か疑うのすら面倒な、対岸の火事のような話。他人の堕ちた後の不幸話は蜜の味でも、身内の、堕ちている途中の愚痴話や怨嗟を無条件で聞きたい人間なんていない。だから、こんな風に加工しないと読めたもんじゃない。それにここまでしないと、あの忙しい人はどうせ、真面目に聞いてくれない。


 俺だったら、ラーメン食べさしちゃうかもしんないなあ(笑)

 まあこのことは今週末話しよう。


 これが翌朝の夫の回答だった。

 文字が震えていたが、なぜかは考えたくなかった。こっちも考える気力が無かったのだ。

 代わりにもう終わったと思うことにした。そう仮定してみることにしたのだ。

 

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