中秋の名月に添えて/後編
――令和XX年 十五夜――
一昨年は八十六名、昨年に至っては百名を超えております……
十年来の流行り病で、仲間はとうに死に絶えもうした。魔法の薬を打ったとて、我々には効かぬようでございますね。
まさか、あなた様までもかかってしまうとは。永遠の命と言ったは情けない……
砂上の楼閣の如く、いとも簡単に。
たぶん、あなた様にとっては、今宵が最期の
変身する際のあの膨大なる衝撃に、もはやその
……この、わたくしとても。
後悔してはいぬと。
なんと……有り難きお言葉。
ええ、楽しゅうございましたとも。
あなた様と出逢えてからのこの百年は、それまでのながい人生の全てをもってしても、比べものにならぬ程……
幸せで、ございました。
わたくしは今でも、月夜を見上げる度に出逢った頃を思い出しまする。
藍染めの江戸小紋に、半幅博多帯を締め、黒いレース地の日傘を
眼下を流るる多摩川の清流が、キラキラと輝いておりましたっけ。
あの時あなた様は、ハイキング客を装っていたのでございましたね。そんなことも露知らず、岩間の
家につく頃にはどっぷりと日が落ちて、西の空には宵の明星が
刹那、あなた様は、顔を出したばかりの上弦の月を見上げながら
「月が、綺麗だ」……と。
あぁその時のお美しい横顔に、わたくしもまた、見惚れておりました。
軍部の執拗な追っ手から
感謝のしようもございませぬ。
広い東京恋ゆえ狭い、
いきな浅草忍び逢い。
シネマ見ましょうか、
お茶のみましょうか 、
いっそ小田急で逃げましょうか。
変る新宿あの武蔵野の、
月もデパートの屋根に出る…… (※4)
この地もすっかり、様変わりしたものでございます。
あの高層ビル群に月の光が遮られ、いわんや、街の灯りによって、届く光も
全ては、懐かしい思い出でございます。
えっ……
ふふっ、随分と頑張ったこと。
この男女二体の、AIと申すカラクリ人形に、わたくしたちの記憶が詰まっていると?
へぇ、そうなのでございますか。
……いいえ、わたくしにはわかりかねまする。
どんな仕掛けかなどとは、あなた様の専門でごさいましょ。
互いの命が尽きた頃に、人形らが起動する手筈なのでございますか……
しかしまぁ、綺麗につくってくだすった。
わたくしはこの
あら、この胸も、お尻もマシマシでございますよ。
えっ、そんなに笑わなくても……
ふふっ、わたくしだって近頃の言葉は知ってございます。
あなた様も随分とイケメンにされて。自身の理想を全て、かたちにしたようで。
ハハッ、ハハハハッ…………
なんだかお互いに、照れてしまいますね。
線で繋がれたこの
さあ……
いよいよでございます。
来世でも、
一緒でございますね。
「ラッシュアワーに拾った薔薇を、せめてあの娘の思い出に」(※4)
それは……
「どれだけ時代が変わろうと、武蔵野の月とあなたの、美しさだけは変わらぬ。僕は、あなたを愛せて幸せでした」
あぁ……
なんと…………
・・・
武蔵野は
月の入るべき山もなし
草より出でて草にこそ入れ
……詠み人知らず……
時の流れ、歴史の歩みと共に変化を強いられた武蔵野。その原野の記憶は遠く忘れられて久しいが、「武蔵野」という言葉は、大自然を
了
※1
大口真神とは日本神話に登場する聖なる神の一柱。
※2
陸軍軍医学校防疫研究室は、旧大日本帝国陸軍の医学科系機関。1932年(昭和7年)に開設され、1933年には近衛騎兵連隊の敷地(現在の東京都新宿区戸山)を譲り受け、研究施設が完成した。また、日本の勢力下にあった満州への研究施設、関東軍防疫給水部本部(後の731部隊 : 細菌戦に使用する生物兵器の研究開発機関)を設置し、それを統率した。
※3
東京都青梅市(旧武蔵国多磨郡)武蔵御岳山。山上には
※4
「東京行進曲」より一部引用
西條八十作詞・中山晋平作曲/1929年(昭和4年)
参考音源「東京行進曲」
参考音源(近況ノートより)
https://kakuyomu.jp/users/2951/news/16817330652242651665
中秋の名月に添えて 麻生 凪 @2951
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