其之三

 とはいえ旨趣おもむき如何いかにも物怱ぶっそうゆえ、物言いは官吏つかさびとそうする公文くもん式様しきようかこつけた積もりでその実、何ともなまくらなる文面を書き送るのであった。


 折節おりふし、中鴨では【乱杭らんぐい打って逆茂木さかもぎ引いて】(※一)、敵を待ち構える用害の防禦ふせぎ弥堅やがた翼衛よくえいこしらえも万端、そこへ伝書使ふみづかいの鴉が飛脚して城戸口きどぐち近くまで差し寄ると高声こうしょうを上げて案内とりつぎを請いおる。鷺方の「何事ぞ」と言問こととうに「祇園林ぎおんばやしよりの御書状おふみ」と云うて鴉が書状を捧ぐるので、「何と懲りずに」と鷺もいそがわしく出向かいてくだんの書状を受領した。

 山城守やましろのかみが衆中にてこれを披見すると、如何いかにも拙劣てづつにして以ての外のさかしらなる文面、条々おちおち読み上ぐる度に一同どっと嘲笑あざわらう。「御返事は後刻のちほど此方こなたより」とふくめて伝書使ふみづかいの鴉を帰途に就かせた後、兎にも角にも小癪こしゃくなるこの書状に対して、悪口あっこうを尽くした次のような一筆を以て返報とするのであった。


今朝厳札被投けさげんさつをとうぜられたり則披閲之所すなわちひえつするのところ文章参差志趣不明ぶんしょうしんしにしてししゅあきらかならず蓋以所及推量令返報畢けだしすいりょうのおよぶところをもってへんぽうせしめおわんぬ抑御進発之事そもそもごしんぱつのこと憚大法案落着云々だいほうをはばかりらくちゃくをあんずとうんぬん当恥当義はじにあたりぎにあたりては何廻思案なんぞしあんをめぐらさん速押寄はやくおしよせて浸骸於賀茂川之清流むくろをかもがわのきよきながれにひたし挙名於中鴨森之梢事なをなかがものもりのこずえにあぐること可為勇士之本望之処ゆうしのほんもうたうたるべきのところ為補眼前恥辱がんぜんのちじょくをおぎなわんがため構空穏便詞むなしくおんびんのことばをかまえ為遁傍輩嘲哢ほうばいのちょうろうをのがれんがため寄縡於公人儀ことをくにんのぎによす自元我等非仁非名もとよりわられじんにあらずなにあらず雅意合戦有何尤がいのかっせんになんのとがめあらん兼又募神職かねてまたしんしょくにつのり吐種々自歎しゅじゅのじたんをはくは偏似无鳥島蝙蝠ひとえにとりなきしまのへんぷくににたり耀黒色放様々雑言こくしょくをかがやかしてさまざまにぞうごんをはなつ何異磨粉木風折なんぞすりこぎのかざおりにことならん烏名鳥作者讃之からすはめいちょうにしてさくしゃはこれをほむ鷺鶿賞翫言未聞云ろじのしょうがんのげんはいまだきかずという自称第一也じしょうだいいちなり楓橋夜泊不出云ふうきょうやはくにいでずというとも月光霜色げっこうそうしょく非白色哉びゃくしきにあらざらんや


(今朝方、此方こなたにお寄せのいかしき御書札ごしょさつ、早速に披閲ひえつ致し申したが、文章の参差かたたがい甚だしうて御心算おこころづもりき兼ねるゆえ、おおよそ此方こなたにて推し量り得るばかりのことにのみ御返答つかまつる。そもそ此方こなたへの御進発をば御公法みのりかがみて自制なされ、穏当ならんと望まれるのだとか何とか。はて、恥辱を与えられてはこれをすすぐべき義のある時に、何故なにゆえにか思案を廻らす要あろうことか、急速すみやかに攻め寄せて、むくろをば賀茂川の清麗きよらなる流れの裡に浸し、名告なのりをば中鴨の森の木末こぬれに轟かするこそ勇士ますらおの本懐たるべきところに、眼前の恥辱を鳥繕とりつくろわんがため、事無かれと空談むだばなし虚辞きょじを弄し、傍輩ほうばいよりの嘲哢ちょうろうからのがれんがため、こと官人風かんじんふういつくしう装いたるあの文面、人ならざる我等に仁も名も無かろうものを、ならば私意に発する合戦に如何なるとがめのあろうや。そしてまた神職に在る身と言い募りて種々の大言壮語を吐くとは、これまさしく良禽りょうきんの在らぬ島に飛び交う蝙蝠コウモリの如し、優者すぐれしものなき処に跋扈する卑者いやしきものの所業、黒色こくしょくを耀かして何是なにこれとなく様々なる雑言ぞうごんを放つなど、擂粉木すりこぎ涯分みのほども知らず風折烏帽子かざおりえぼしでもかぶるが如くに何とも滑稽なることかな。鴉は名鳥にして漢詩の作者に褒讃ほうさんされ、鷺鶿サギを賞翫するのげんを未だ聞かずとか云う、それこそ自称の第一、広言こうげんの最たるものであろう。楓橋夜泊ふうきょうやはくの詩に鷺はあらぬと申すが、詩中の月光つきかげも霜色も皆、白色びゃくしきではあらなんだか)


万葉十六、

波羅門之作多留田於咬烏眸腫天幢仁居ばらもんのつくりたるたをはむからすまなぶたはれてはたほこにをり

古今の巻六でも、

烏てふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞきく

烏を大おそ鳥といふ、東詞也、わろき事をおそといふ。物喰きたなしとなり、ころくとは来かしとなり、聞こゆる分はさして烏を褒めたりとは覚えず。我が詩歌には、

蒼茫霧雨霽初 寒汀鷺立、

なんど云、六帖には、

まさる水淀の川瀬に立鷺の立ても居ても鳴ぬ日ぞなき

高砂やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じとあらそふ物を

この詩歌いかゞ、又宇治の浮舟に、

山の方は霞へだてて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所がらいとかしう見ゆるに、宇治橋のなか〳〵とみえわたるに、小柴つむ舟の、所々行ちがひたる

なんどあり。

是は匂兵部卿、三君に逢へる所の詞也、和語のやさしきは以源氏為本げんじをもってもととなす作者白楽天さくしゃにはくらくてん歌人江口白女かじんにえぐちのしろめ黒谷花白川之中也くろたにのはなもしらかわのうちなり花是云雲云雪はなはこれくもといいゆきとのみいいて譬喩全体白色也たとえもぜんたいびゃくしきなり


(万葉の巻十六には【「波羅門之作多留田於咬烏眸腫天幢仁居」】(※二)、曰く婆羅門僧の耕せる田を食い荒らす鴉はまなぶたを腫らして旗鉾はたぼこに止まっていると無様に詠まれ、古今和歌六帖にも【「烏てふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞきく」】(※三)、曰く鴉とは粗忽そそかしき鳥で、真実まことは来たらぬ君を如何いかにも来た来たと鳴いているよなどと詠まれておろう。鴉を粗忽者おおおその鳥と云うはこれ東詞あづまことば、善くないことを「おそ」と云い、飲食おんじききたならしいと云うぞ。「ころく」とは「児ろ来」という鴉の啼声が虚言うそに聞こうるのであろう。にしても承った分の詩歌とて指して殊にも鴉を称揚するものとも思われぬ。我等、鷺の詩歌には晩唐の張読が【「蒼茫霧雨霽初そうぼうたるぶうのはれのはじめ 寒汀鷺立かんていにさぎたてり」】(※四)などと作り、和歌六帖に載る二首【「まさる水淀の川瀬に立鷺の立ても居ても鳴ぬ日ぞなき」「高砂やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じとあらそふ物を」】(※五)など、其方そなたでは如何いかがお心得あるか。また宇治十帖の浮舟の巻にも「山の方は霞へだてて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所がらいとお《を》かしう見ゆるに、宇治橋のなか〳〵とみえわたるに、小柴つむ舟の、所々行ちがひたる」などとあり、これは匂兵部卿宮におうひょうぶきょうのみやが、宇治八宮うじはちのみや三君さんのきみなる浮舟に逢いし折のことば、和語の優艶やさしきは、源氏を以て規模てほんとする。漢詩には名人に白楽天、和歌の名人にも江口の白女しろめあり、黒谷の桜花さくらばなとて白河のうちにあり、花とて雲とやら雪とやらのみ云うて、譬喩たとえ全体おおかたこれ白色びゃくしきであろうぞ)


【私註】

※一: 「乱杭らんぐい」は処々に不規則に打ち込んで敵の攻撃を妨げるために用いられた杭のこと。「逆茂木さかもぎ」は先端を尖らせた木や木の枝を逆さに立てて張り巡らすことで敵の侵入を妨げるための垣根で「「鹿砦ろくさい」ともいう。

※二:高宮王たかみやのおおきみの歌(万葉集 巻一六・有由縁并雑歌三八五六)。婆羅門はインドの司祭階級。

※三:この場合の「古今」は古今和歌六帖。同巻六に所載(恋歌七四七)。万葉集に「可良須等布 於保乎曽杼里能 麻左〈⿰亻弖〉尓毛 伎麻左奴伎美乎 許呂久等曽奈久」(巻一四・東歌三五二一)として初出。

※四:『和漢朗詠集』巻下・僧六〇四。

※五:『古今和歌六帖』巻六・鷺に所載。


※引き続いてプーランクの“Sextet for Piano and Woodwind Quintet, Op. 100: III. Finale. Prestissimo”を聴きながら

 https://youtu.be/wiYdDrzjAKg

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