其之四

(承前)烏有先生蓄虚詞云うゆうせんせいきょしをたくわうるというに雪山童子聞半偈せつせんどうじはんげをききて刻木石而長伝云句もくせきにきざみてながくつたうというく是此一連也これこのいちれんなり又烏鳥之情またうちょうのじょう得反哺便云はんぽのべんをうるというは白花之志しろきはなのこころざし申尽敬誠云句きようせいをもうしつくすというく是此一連也これこのいちれんなり何隠上一句者也なんぞかみのいっくをかくすものなるや孝行第一事こうこうだいいちのこと受父母気得形者ぶものきをうけてかたちをえたるもの誰无孝養心たれかきょうようのこころなからん雖然しかりといえども烏至孝聞及旨在之からすのしこうききおよぶのむねこれあり不傍題ほうだいならずんば可顕子細哉しさいをあらわすべきかな


(「烏有先生蓄虚詞、費刀筆而有何益」と云うそれは「雪山童子聞半偈、刻木石而長伝」と対句を成し、また「烏鳥之情、得反哺便」と云うもまた「白花之志、申尽敬誠」と対句を成す一連であって、何故に上一句の白を事削ことそいで隠すのか。孝行第一のこととても、父母より心身を与えられて孝養心を持たぬ者など誰おろう。とは申せ、烏の至孝はつとに聞き及ぶことでもある。【主題から外れても構わないならば】(※一)その委細をあらわすべきであろう)


燕丹去日烏頭白色也えんたんがさりしひのからすのかしらもびゃくしきなり貞女雖守義ていじょぎをまもるといえども月冷風秋夜つきすさまじくかぜあきなるよなんど无端振浮声あじきなくもうかれごえをふるう聞无由覚侍きくによしなくおぼえはべり不知しらずや雖見二夫じふにまみゆといえども一身能修不受他嘲いっしんよくおさめてたのあざけりをうけず不見振鷺篇しんろのへんをみずや殷代皆賞白色いんだいみなびゃくしきをしょうす又花厳法花之色云またけごんほっけのいろをいうに花厳赤色けごんはしゃくじき法花白色尺ほっけはびゃくしきとしゃくす是芬陀利華白色蓮花故也これふんだりけはびゃくしきのれんげなるがゆえなり依之天台白色衆色本尺給これによりててんだいにはびゃくしきはしゅじきのもととしゃくしたまえり仏転法輪昔ほとけのほうりんをてんぜしむかし般若説所はんにゃのせつしょ非白鷺池哉びゃくろじにあらずや経負来白馬也きょうをおいきたりしもはくばなり仏白衣観音ほとけにびゃくえかんのん神白山権現かみにははくさんごんげん神道仏道内典外典しんとうぶつどうないてんげてんに賞白例不可勝計しろをしょうするのれいあげてかぞうべからず


(【燕太子の去りし日の烏のかしら白色びゃくしきであったぞ】(※二)。貞女はみさおを立てて再嫁せずと云うなれど、【月すさまじく風秋なる夜】(※三)など、【未だくらいうちから孀烏ヤモメガラス、否、病烏ヤモメガラスの振るう浮声うかれごえを聴く】(※四)も興醒めに存ずる。それに知らぬか、【二夫じふまみず】(※五)と云うとも、一身をく修むれば他の嘲弄あざけりなど受けぬことを。更に其方そなたは『詩経』の振鷺篇しんろのへんを見ておらぬな。【殷代には皆、白色びゃくしきをこそづるもの】(※六)、また花厳けごん法花ほっけの色と云えば、花厳けごん赤色しゃくじき法花ほっけ白色びゃくしきときあかす。法花ほっけ白色びゃくしきと云うは芬陀利華ふんだりけ白蓮花びゃくれんげである故ぞ。これにより天台においては白色びゃくしきこそ【あらゆる物の色のもといである】(※七)きなさるのだ。御仏みほとけの法輪を転ぜし疇昔そのかみ、般若経の説かるるその場こそ白鷺池びゃくろじにあらなんだか。そしてその経文きょうもん負いて来たるも白馬なり。仏に白衣びゃくえ観音、神に白山権現と、神道仏道を問わず、内典ないてん外典げてんと云わず、白を賞揚する例は枚挙にいとまなし)


大悲闡提行願雖貴だいひせんだいのぎょうがんとうとしといえども思住吉諏方之誓すみよしすわのちかいをおもうに和光同塵之利生わこうどうじんのりしょうは藍出藍青あいよりいでてあいよりあおし神官寵職しんかんのちょうしょく警殊勝段雖勿論みさきしゅしょうのだんもちろんといえども別而一社使者也云事不聞べっしていっしゃのつかいなりということきかず諸神懸座而若干社恩狂惑しょしんにけんざしてそこばくのしゃおんをきょうわくす我等一類水口われらがいちるいみずぐちのなにがし、随延喜聖代之勅えんぎせいだいのちょくにしたがいて朝恩苟任五位允ちょうおんにいやしくもごいのじょうににんじ世以无其隠よにもってそのかくれなし青鷺信濃守あおさぎしなののかみ諏方為令遣すわのつかわしめたりそれがしも如形奉懸住吉名字者也かたのごとくすみよしのみょうじをかけたてまつるものなり異敵治罰時いてきちばつのとき被云二神之荒御先にしんのあらみさきといわれて放矢飛鉾御神也やをはなちほこをとばすおんかみなり


(仏法における菩薩の大悲闡提だいひせんだいの行願は成る程、貴い。なれど、住吉や諏訪の誓いを思うに、仏菩薩ぶつぼさつ応現おうげん衆生しゅじょうを救済せんがため、その光背こうはいの耀きをば和らげて世塵を同じうして俗世に交じれる利生りしょう、即ち本地垂迹こそまさしく【藍より出でて藍より青し】(※八)と云うもの。また神官の寵職にしてみさきに精励するは勿論といえども、其方等そなたらは取り分きて一社のみの使令つかわしめとも聞かず、むしろ諸神に懸座して数多の社恩をたらし欺いているのではあるまいか。翻って我等の一類たる【鵁鶄ゴイサギ水口某みずぐちなにがしは、延喜聖帝(醍醐天皇)御代みよに勅をば賜りて、いやしく五位允ごいのじょうに任ずる朝恩に浴せる】(※九)こと、世にあまねく知られおろう。また青鷺アオサギ信濃守しなののかみは、諏訪御社すわのみやしろ神使つかわしめ、またそれがしとて、かたの如く【住吉にあやかる名字】(※十)を懸け申す積もり津守の者である。【異敵治罰に際して住吉・諏訪二神にしん御軍勢みくさを導く荒御魂あらみたまと云われて矢を放ちほこをば飛ばす御神】(※十一)なるぞ)


如此子細具顕時かくのごときしさいつぶさにあらわすときは且似募権かつうはけんにつのるににたり且如振頤かつうはおぎろをふるうがごとし所詮不日渡合しょせんふじつにわたりあいて顕自他手並じたのてなみをあらわさん依之早雄若鷺これによりてはやりおのわかさぎは死生不知僻者ししょうしらざるくせものにて弓弦打ゆみにげんうちし矢爪糸待懸者也やをつまよじてまちかくるものなり進発猶及遅怠者しんぱつなおちたいにおよばば欲企自是推参これよりすいさんをくわだてんとほっす紙面有限しめんかぎりありて不能尽志趣ししゅをつくすあたわず恐々謹言きょうきょうきんげん


(斯様なる子細をつぶさに披露すれば、或いは権を笠に着て増長するようで、また或いは自らを褒めそやすが如き僭上と思われもしようものの、行き着くところ不日ほどなくあろう渡合いくさにて双方の力量てなみあらわそうぞ。すでに血気にはやる雄々しき若鷺達で命知らずの僻者あらくれが、弓のつる打ち、曲矢まがりや直して待ち受けすることにて、其方そなたよりの進発のなお遅怠ちたいに及ぶとあらば、此方こなたよりから推参せんと企つるぞ。紙幅に限りあるゆえ、此方こなた志趣おもいを書き尽くすこと叶わぬなれど、恐れながら謹みて言上ごんじょうつかまつるものである)


  八月廿五日                     正素まさもと


 御返報ごへんぽう


と書き付けた書状をば太々ふとぶとしく巻軸まきじくにして祇園林ぎおんばやしに遣わすのであった。


【私註】

※一:寛永古活字版(NDLデジタルコレクション、小汀文庫旧蔵本)では「不可顕傍題子細哉」、慶安古活字版(国文研、鵜飼文庫本)では「はうたいをあらハさす志さいなるかな」などとあり諸本一定せず、不詳。底本脚注に拠り「主題から外れても構わないならば」とした。なお「傍題はうたい」には歌学用語として「歌題の題詠で、題意から外れた内容を詠むことへの批難の語。連歌・俳諧にも転用して、前句の大事の付けどころを付けず、付属的なものに関して付ける付け方への批難にもいう」の意があり、より広義には「広く、作法から外れること」(『日本国語大辞典〔第二版〕』)ともある。真玄さねはる黒白こくびゃくの対句のうち鴉の黒にのみ触れて鷺の白に触れなかったことを批難する含意あるか。

※二:本節(第四)「其之二」前掲私註※四参照。

※三:『和漢朗詠集』(恋778、張文成)に「更闌夜静かうたけよしづかなり長門闃而不開ちやうもんげきとしてひらかず(※「闃(げきとして)」を「閉(とぢて)」とする場合もある)、月冷風秋つきすさまじくかぜあきなり団扇杳而共絶たんせんえうとしてともにたえぬ」の詩文が見え、『為家集』(696、宮内庁書陵部蔵五〇一・四三一)にはこれを受けて「月冷風秋同(※文永)八年四月十八日続百首題従和漢朗詠内注出之」として「待ちわびて床すさまじき秋風に月夜よしともいふかひぞなき」の歌が見える。いずれも想人おもいびとに別れ、或いは捨てられるなどして独り寝する侘しさを歌う。

※四:『とはずかたり』一に「やもめからすの浮かれ声など思ふ程に、明け過ぎぬるもはしたなし」とある(底本脚注)。夜明け前に啼く孀烏ヤモメガラスの声は配偶者のいない者が男女の別れを促すようなものだと捉えられており、『新撰和歌六帖』(第一「天」)には「またこよひやもめからすよ人すけのなきをば知らでわれおどろかす」、『光厳院御集』(124、寄鴉恋)にも「月になくやもめからすは我ことくひとりねかたみ妻や恋しき」などと見え、近世には「やもめ烏の心無く鳴く」という俗諺も生じた。また、「浮声」については鶏が未だ夜の明けぬうちに浮き立つように啼いて朝を告げるところから、これを「浮鳥うかれどり」と表するらしい。張鷟ちょうさく(=張文成)の手に成る唐代の伝奇小説『遊仙窟』には「薄媚狂鶏、三更唱暁」とあり『新撰朗詠集』(下・恋)ではこれを「薄媚なさけな狂鶏うかれとり三更あけもはてぬに暁を唱ふる」とむ。また『鴉鷺』と同じ室町物語の「橋立の本地」(大島建彦/渡浩一 校注・訳『新編 日本古典文学全集63 室町物語草子集』〔小学館、2002〕所収)にも「やもめ烏のうかれ声も、森を離れて鳴く気色、夜もほのぼのと明けければ」と見える。

※五:本節(第四)「其之二」前掲私註※五参照。

※六:殷代後期に高嶺カオリン土(磁土)を用いて堅く焼かれた土器「白陶はくとう」が発達したことを踏まえたものか。白陶はくとうは同時代の青銅器と同様に饕餮文とうてつもん虺竜文きりゅうもん雷文らいもんなどで刻飾され、儀礼や祭祀に用いられたとされる(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。

※七:「衆色しゅうしょく」は一般に「さまざまな色」の意とされるものの、「衆色しゅじき」には「多くのさまざまなもの」の意もあるとされる(『例文 仏教語大辞典』)。

※八:「垂迹(すいじゃく)神の衆生救済が、本地仏の本願を越えるの意」(底本脚注)。鴉の本身が地蔵菩薩であることを強調した真玄さねはるに対して、諸社の使令つかわしめたる鷺の優位を正素まさもとが陳べて反駁したものか。

※九:『平家物語』巻五「朝敵揃」などに見える挿話に拠る。『平家』には「延喜御門、神泉苑に行幸あッて、池のみぎはに鷺のゐたりけるを、六位をめして、あの鷺とッて参らせよと仰せければ、いかでか取らんと思ひけれども、綸言なればあゆみむかふ。鷺はねづくろひして立たんとす。宣旨ぞと仰すれば、ひらんで飛びさらず。これをと取つて参りたり。なんぢが宣旨にしたがッて参りたるこそ神妙なれ。やがて五位になせとて、鷺を五位にぞなされける」とある。

※十:「住吉名字」とは津守氏つもりうじのことで住吉大社の神主家の名字。正素の名字も「津守」でありこれに肖るということか。

※十一:「神功皇后の新羅征伐」とされる(底本脚注)。


※引き続いてプーランクの“Sextet for Piano and Woodwind Quintet, Op. 100: III. Finale. Prestissimo”を聴きながら

 https://youtu.be/wiYdDrzjAKg

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