2.残業なんて当たり前

「評定を? なんの――」


考課こうかに決まってるでしょう? きみは、呪禁師じゅごんじに昇進するための見極めの真っ最中でしょうが」


 その見極めは、三年に一度おこなわれた。


 緋鳥ひとりは十四歳で典薬寮てんやくりょうに入寮したが、それから三年が経ち、十七歳になった。


 考試こうしにすべて及第し、学問を修めて、最後の見極めを受けてよしと認めてもらって、いまはちょうど見極めの期間にあたる。


 最後の見極めの内容は、呪禁師代理として呪禁師と同じように働くこと。


 満月の晩にはじまり、夜空から月が消える朔の晩まで半月かけて続くのだが、そのあいだのお勤めの様子を見て「良」と判じられれば、呪禁師見習いの呪禁生から、呪禁師へと昇進できる。


 まずは取次役から――と、典薬寮の来客の番を任じられていたのだった。


 えっ、と緋鳥は大きく口をあけた。


「短気はいけないだなんて、考課の項目にあった? 座学でも習ってないよ」


 呪禁生が学ぶおもなところは、「呪禁じゅごんして解忤げごし、持禁じきんする法」。


 解忤げごとは、呪禁じゅごんの術をもって他人の邪気を祓うこと。


 持禁じきんとは、呪禁じゅごんの術をもって身体を固くし、湯や火、刃など、病災から身を守ること。


 つまり、祓いと、守りの呪術だ。


 棒術や薬術、天文術なども学ぶが、短気がどうとかは習わなかった。


 ふくれっ面をしていると、白兎はくとはやれやれと肩で息をした。


「呪禁師でなくとも、官人として必要なことだね。それとも、学ばなくちゃわからないというなら、大学寮だいがくりょうの学生にまじって儒学でも学んでくるかな?」


「儒学って、子曰くなんたらかんたらっていう、あれ?」


 その学問で学ぶのは、品性がどうとか、人徳とは人を愛し思いやることやら、目上の人を敬えやら、やたらばかりだ。


 すぎて、緋鳥の趣味とは合わなかった。


「あんなの、わざわざ学ばなくたって当たり前のことじゃ――」


「そういうのは、無心のうちにおこなえるようになってからいいなさい。いけないことは、いけない。反省しなさい」


 白兎はいつもにこにこと笑っていて物腰が柔らかい男だが、信念は曲げない人だ。


 というより、白兎がここまで折れないということは――。


 ぜえ、はあ――と荒い息をもらして、こんが典薬寮へ戻ってくる。


 顔を真っ赤にして出ていった宮内卿を、緋鳥のために追いかけていった兄弟子だった。


「……師匠、詫びてきた……平謝りして、許してもらった……」


 息をきらして戻ってきた昆を、白兎は称えた。


「さすがだね。よくやった」


 どこまで追いかけてきたのか。昆はくたびれ果てて、わき腹をおさえて柱に寄りかかって休んでいる。


 ようやく緋鳥も、なにやら過ちをおかしたのだと気づいた。


 気遣ってもらったのなら、感謝して詫びるべきだろう。


 それが筋である。


「わたしのせいで、すみませんでした。ありがとう」


 渋々と昆に頭をさげるが、納得はいかなかった。


「でも、師匠。宮内卿は妙な命令をしにきていたよ。を使って橋を架けろだなんて――」


「そうだねえ。緋鳥は知らなかったかもしれないんだけどね、呪禁師の一番面倒くさい仕事はね、お喋りの相手なんだよ」


「うん?」


「それもね、位の高いお方が相手だと、『そうですね、そのようなことをお考えになるとはさすがですね』とうなずかなくちゃいけないんだよ。じつに面倒だよね。そのうえで『ですがね』と言いくるめられれば、一人前なんだけどね」


「なにそれ――」


「処世術だよ、弟子よ」


 白兎は冗談をいうように笑った。


「つまりだね、たいていの人は、奇妙なこととそうでないことの区別ができるほどにはごとに詳しくないし、違いを見分けることもできないのだよ。あちらは怨霊、こちらは病と判断できるのは手練の我々くらいだ――と、そう思ってやると、心穏やかに話をきいてやれるものだよ? 弟子よ」






「はい、緋鳥。つぎの仕事だよ」


 典薬寮には、さまざまな木簡もっかんが届けられる。


 薬種を取り扱うので、この薬が欲しいとか、病を診てほしいとの依頼が多かったが、時々は呪禁師あての依頼も届いた。


 白兎がさしだした木簡には、このようなことが書かれていた。


『辻に、もののけに憑かれた男あり。急ぎ確認せよ』


「と、いうわけだ。出かけようか。そろそろ外回りも任せたいしね」


 見極めがはじまってから、今日で七日目。


 見極めの期間にあたる半月のうちちょうど半分が過ぎたところで、残すところもあと七日だ。


 はじめの七日間に緋鳥が任されたのは来客の番だったが、見習いのころから手伝ってきた仕事でもあったので、正直なところすこし飽きていた。


 ほっとして、緋鳥は「はい」と返事をした。


「ついでに、今日は宝物殿にうかがう日だから、そのまま向かってもらおうかな」


「あぁ、今日だったね」


 そういう話もあった。と、緋鳥は思いだした。


 宝物殿というのは、海を渡ってやってきた舶来の品をはじめ、さまざまな宝が収蔵される宝物庫だ。


 薬種もさまざま収められていて、たいへん貴重なので、医師や呪禁師、内薬司の侍医など、薬に携わる面々がそれぞれ閲するようにさだめられている。


 呪禁師にあてられたのが今日と明日で、緋鳥が向かうことになっていた。


 緋鳥と白兎が二人で典薬寮を出た時、ちょうど鼓の音が鳴った。


 守辰丁しゅしんちょうが告げる〈時の音〉で、退朝鼓たいちょうこという。


 お勤めの終わり、帰って良いとしめす音だ。


 ただし、仕事が終わっていればの話。


「まあ、帰れないよね」


 呪禁師の働きぶりは幼いころから見てきたので知っていたが、残業は日々のことである。いまも緋鳥は、仕事が終わって帰るどころか、つぎの仕事に出かけるところだ。


 官衙を抜けるあいだに周りを見渡してみても、帰り支度をしている人はほとんどいなかった。

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