3.呪禁師のお仕事

 白鳳宮を出て大路にさしかかっても、ごった返していた朝と違って、人の流れは穏やかだ。


 みんな忙しく、帰ってよいはずの時間に帰れる者は稀なのである。


 さっさと帰れるのは、貴族くらいだ。


 退朝鼓たいちょうこが鳴ると、貴族が集まる朝集殿ちょうしゅうでんでの政務はおひらきになるので、自邸へと戻りゆく雅男みやびおたちの姿を見かけるようになる。


 噂によると、やしきに帰った後で貴族は歌を詠むらしい。


 風流という名の怠け癖としか、緋鳥には思えなかったが。


 優雅に裾をはためかせて大路を歩く貴族のうしろ姿をちらちらと見ながら、緋鳥ひとりは毒づいた。


「ねえ、師匠。貴族って本当にろくに働かないんだね」


「うーん、人によると思うよ」


 白兎はくとは苦笑していったが、緋鳥は「うまく逃げたな」と思った。


 木簡に書かれていた辻へと向かうと、人だかりができていた。


呪禁師じゅごんじさま。こちらです、呪いです」


 緋鳥と白兎が近づいていくと、人の輪がわっとゆがんで隙間ができる。


 さあどうぞ、見てください、どうにかしてくださいと、人の目が集まった。


「この男が、昨日からここに倒れているんです」


「虫に覆われてるのを見たって奴もいるんです」


「私も見ました。気味の悪い虫が!」


 この男です、こっちですと、押されるようにして向かうと、辻の端に男が一人倒れていた。ぼろ布をまとっていて、肉が削げて見えるほどやせ細っている。


「こんなところにいられちゃ迷惑なんで追い払いたいのですが、もののけが憑いているなら、祟られるんじゃないかと――」


「どうすればよいですか、呪禁師さま。お役人に頼んでも、もののけが絡むなら近づくのは呪禁師さまの検めの後だと――」


「まあまあ、落ち着きなさい」


 人々をとりなしつつ、白兎は緋鳥を向いて笑った。


「どうかな、緋鳥」


「うーん――呪いかな、病かな。腹のあたりになにかが見えるんだけど……」


 緋鳥が、男のそばに膝をつく。


 男は身分が低い下働きに与えられる服を着ていたが、替えがないのか、ぼろぼろだ。

 

 すりきれた丈の短い裾の下にのびる素足は、土埃にまみれて白くなっている。脛に触れてみると、かなりむくんでいた。


 男は時おり「うう」とうめいて腹をおさえた。顔色もかなり悪い。


 緋鳥は背後を振り返った。


 人の壁ができていて、呪禁師の手わざを見ようと人が群れている。


 その中に、さっき訴えてきた女を探した。


「ねえ、虫を見たっていってたよね。どんな虫だったかな」


「どんなって、そりゃ、とっても恐ろしい……」


「色はどんなだった?」


「そりゃもう恐ろしい、黒い色の――」


「黒い? 白ではなくて?」


「白い虫っていったらうじやらしらみやらですよ。そんな虫じゃありませんでした。人にまとわりつくような気味の悪い虫で――いわれてみれば白っぽかったかもしれませんが」


「細長い虫かな? 蚯蚓みみずみたいな」


 女が「はい、たしか」とうなずくのをたしかめて、緋鳥は白兎を振り仰いだ。


「師匠、寸白すばくだと思う」


 寸白というのは、人の腹にすみついてしまう虫による病だ。


 緋鳥の目には、男の腹のあたりで蠢く虫の影が見えていたし、身体の状態からみても間違いはなさそうだ。


 白兎は弟子の見立てを見守るように、背後にじっと立っていた。


「そうか。だったら、どんな薬が要るかな?」


檳榔子びんろうじ訶梨勒かりろく雷丸らいがん――でも」


 いずれも舶来の品で、これから向かう宝物殿にも収蔵されている貴重な薬だ。


 どう頼んだところで、辻で倒れた貧しい男に与えられることなどないだろう。


「どれも高級だ。この人には――」


 貴族なら――位の高い誰かがその病にかかったら、貴重な薬だろうがさっさと届けられるのに。


 眉をひそめて唇を噛んでいると、白兎がくすっと笑う。


「高名な薬はそのあたりだろうけど、ほかにもあるだろう?」


「ほかに? 胡桃、干薑、それから、牙子――でも、効き目は弱……」


「うん。干薑なら、持ち合わせがあるよ」


 白兎は衣の合わせに指先をさしいれて、布包みを取りだした。


「持ち合わせ? でも――」


 薬は貴重だ。それに、いくら薬を扱う典薬寮てんやくりょうといえども、その薬は国のものだ。


 預かっているだけで、呪禁師が勝手に使うなどは許されない。勝手ができないように、出し入れの記録と在庫があっているかどうかの検めも月に一度あった。


「もののけの仕業じゃないとわかった以上、薬を使わせてもらえるように改めて頼まないといけない。わたし、ひとっ走り典薬寮までいってくるよ。薬を――」


「いいじゃないの、もうここにあるんだから。順序が変わるだけだよ。借りるだけだから、返せばいいんだよ」


 白兎は布包みの中からひとつふたつ欠片をつまんで、男のそばにうずくまる。


「薬だよ。呪いでももののけの仕業でもないよ。治る病だよ」


 白兎がさしだした薬の欠片に、倒れていた男はそろそろと手を伸ばした。まるで、生涯にたった一度の宝物をさずかるように喜んだ。


「よく噛みなさい。気が楽になる」


 薬を渡すと、白兎は緋鳥を向いた。


「病気平癒の祓いをしてあげなさい」


「はい」


 緋鳥は男のそばにうずくまったままで、手を男の腹に触れさせた。


 くちびるをひらき、唱えたのは、諸々の邪を祓い、男の身体を害するものを遠ざける呪言だ。


魂魄一振こんぱくいっしん、万魔を灰と成せ。喼急如律令きゅうきゅうにょりつりょう。魂魄一振、万魔を灰と成せ――」


「うわ……」と、周りから声があがりはじめる。見間違いをふしぎがるような声もした。


「光ってる、呪禁師さまの手が――」


 修練をしなくても見える人が稀にいるが、緋鳥にはしっかり見える光だった。


 人は誰でも、おのれの身を守る結界をもっている。


 呪禁の術をもってその結界を操るのが、呪禁師だった。


 おのれの結界が光を放つまで力を行き渡らせて、男の体内で害を為しているものをつかまえて動きを「禁」じ、呪縛する。


 力を奪った後は、男の身体から出してやる。



 この人の結界を強めて、邪悪なものよ、去れ。

 邪悪なものよ、去れ――。



 緋鳥の手に集まった光が男の腹の奥に伝わって、弱っていた男の結界にほんのりと力が移っていく。


 小さくなっていた火に、消えてはだめだ、燃えろ――と風を送るのに似ていた。


 おのれを守る力が戻れば、病はおのずとしりぞいて、快癒に向かうのだから。


 それが、鳳凰京の呪禁師がおこなう祓いだ。調伏ともいう。


「いいね」


 白兎は様子を眺めつつうなずいて、男に笑いかけた。


「この子は病気平癒の祓いが得意なんだ。これで大丈夫。よかったね、すぐに治るよ。歩けるようになったら典薬寮へおいで。薬湯を飲ませてあげるから」


 辻を離れるころには、太陽が真上にのぼる時間にさしかかっていて、大路はくる時よりも賑わっている。


 しばらく二人で歩いたのち、大路が交差する四つ角で白兎が立ちどまる。


 白兎の足先は北へと向いていた。


「では、私が向かう先はこちらだから」


「師匠はどこにいくの。そっちになにかあったっけ」


 鳳凰京の北側、北ノ京には、貴族の邸宅が集まっている。


 そちらの方角に向かうとすれば、白兎は貴族にでも呼びだされた?


 尋ねると、白兎は「今日は違うかな」とのんびりいった。


「人を捜してるんだ。こっちのほうに気配を感じたから」


「人捜し?」


「うん。じゃあ、宝物殿のほうは頼んだよ。よしなに」


 白兎はすらりと背が高い。


 背格好も顔もきれいなので目立つはずだが、ふしぎと周りになじんでしまう人だった。


 浅緑の衣をまとった白兎のうしろ姿は、昼間の陽光に溶けゆくようにして、大路の雑踏にまぎれていった。

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