昇進試験

1.偉い奴ほど使えない


 視察という名の朝の散歩のついでなのか。


 ゆらりと典薬寮へ立ち寄ったその男は、こういった。


「じつは、川に橋を架けたいのだ」


「はあ」


 男は宮内卿くないのかみといって、呪禁師じゅごんじが勤める典薬寮てんやくりょう、それをさらにつかさどる宮内省の長官かみ


 身分でいうと、緋鳥ひとりの上官の、その上官の、さらにその上官にあたる。


 つまり、かなり偉い。


 橋を架けたいという発想も、身分ある男ならではだ。


 そうですか、架ければいいじゃないですか。


 と、緋鳥は思った。


 橋があれば、行き来がしやすくなって、みんなが助かりましょう。


 ただ、話す相手を間違えています。

 ここへくるのもお門違いです。

 ここは典薬寮てんやくりょうで、いるのは呪術や医術、薬草の手練とその見習いだけです。

 こんなところでヘラヘラ笑って「橋を……」といくら無駄話をしようが、うまくいきようがないと思いますが、いかがでしょうか?


 ――と、緋鳥ひとりはいいたかった。


 でも、貴族相手にそのようなことをいわないほうが良いのは、さすがに知っていた。


 仕方がない。緋鳥は、「そうなのですね」と作り笑顔を浮かべた。


「そうであれば、隣の棟にある土工司でお命じになると良いのでは。もしくは木工寮もくりょうとか――」


「ああ、もちろんいったとも。そうしたら、なんとだな、橋を架けるのはたいへん苦労なことで、多くの木材と人夫がいるというのだ」


「はあ」


 それは、そうでしょう。

 橋を架けるなら用材の丸太がいります。

 丸太を運ぶ人も、川の中に入って組み立てる人もいります。

 当たり前のことじゃないですか。

 どこが「なんと」なのでしょうか。

 このおっさん、頭大丈夫か?


 ――とも思ったが、いわないほうが良いのは自明の理。


「でも……」と、緋鳥は懸命に笑顔をたもった。


「土工司も木工寮もくりょうも宮内省に属しており、あなたの部下なのですから、宮内卿くないのかみさまがお命じになれば――」


「いや。苦労をさせるのは忍びないし、たからもこころもとない。であるから、いいことを思いついたのだ。の力を借りられないだろうか」


「はあ」


「昼は人に、夜はに働いてほしいのだよ。そうすれば人の力仕事が半分で済む。そこで呪禁師じゅごんじに頼みたいのだが、橋造りがうまいもののけを探して、手伝うよう命じてほしいのだが」


「はあ?」


 とうとう、へんな声が出た。


 昼の力仕事は人に、夜はに?


 このおっさんはどこかで妙な伝説でもきいてきて、真に受けたのだろうか。


「あのですね、そのように都合の良いはおりませんし、だいいち我々はそのような取次役ではございません。典薬寮てんやくりょうがおこなっておりますのは、医術や呪術を駆使して、鳳凰京の皆様が健やかにいられるように尽くすことで――」


「なにをいうのだ。呪禁師なら、それくらいできるだろう」


「できませんよ」


 緋鳥は呆れ果てて、ため息をついた。


 たまに、いるのである。


 こういう、呪禁師をなんでも屋と勘違いしている奴が。


「呪禁師がおこなっておりますのは、薬種の取り扱いに占い、天文と、陰陽寮の皆様に近しいことでございます。呪術をもちいた祓いを得意としますが、宮内卿さまが考えておられるような、なんでもうまくいきそうな都合のよいものでは、けっして――」


「しかし、呪禁師は奇妙なわざをおこなうのだろう? ここにいるということは、おまえもその呪禁師なのだろう?」


「いいえ、まだ学生の身。呪禁生です」


「なんだと、ならば呪禁師を出せ」


 おまえじゃ話にならん!と宮内卿が怒りだすが、緋鳥も腹が立った。


「いいえ。本日は呪禁師じゅごんじ代理としてここに仕えております。なんなりとお申しつけを」


「だから話しておる。の力を借りて橋をだな――」


「あのですね。重ねてになりますが、そのように都合の良いはいないのです」


 ああもう、鬱陶しい。


 緋鳥はいらいらと続けた。


「だいいちですね、欲をかくならばふさわしい礼をせねばなりませんよ。古来、過ぎた願いを叶えるためには贄が必要です。たとえば、嫁でもやれば喜んで手伝いにくるかもしれませんね」


「なんだと?」


「――ああそうだ。宮内卿さまのお嬢様はたいへん見目麗しいとききました。あなたの娘を嫁にしてやるとでもいえば、力自慢の鬼でもいうことをきくのではないでしょうか?」


「きさま――」


「きさま?」


 これだけいってるんだから、いい加減あきらめて帰ればいいのに。


 緋鳥は知らんぷりをした。


「はて。きさま――おきさ、きさま――あぁ、お嬢様よりも様をさしだすほうが、鬼が喜ぶと? うっかりしておりました。では、奥方をにくれてやれば、きっと橋を造ってくれるでしょうね。でも、無理ですよねえ」


 緋鳥の目の前で、宮内卿の顔が真っ赤になっていく。


 激怒したようだ。


「なんと無礼な――覚えておれ」


 肩をいからせて立ち去った宮内卿を、先達の呪禁師、こんが追いかけていく。


「緋鳥、やりすぎだ!」


 妹分の非礼を詫びにいくのだろうが、緋鳥にも言い分はあった。


「朝早くから、なにが『いいことを思いついた』だよ。もっと他にすることがあるでしょ? 貴族は働かないでぶらぶらしてるって噂はほんとなんだね。つきあってられるか!」






 呪禁師じゅごんじのお勤めは、日の出の刻にはじまった。


 都に朝を告げる守辰丁しゅしんちょうの鼓の音とともに、朱雀門以下、宮城十二門がひらき、鳳凰京で働く全員が持ち場につく。


 大勢が一斉に官衙や持ち場へ向かう朝の大移動は、鳳凰京の名物である。


 数万人が暮らす鳳凰京で、朝廷のもとで働く人は、あわせておよそ八千人。


 ただし、おもに働くのは下級役人とその下働きだ。


 下級役人が八百人、下働きをする史生ししょう散位さんい、人夫などがあわせて七千人いて、高級役人と呼ばれる貴族は、だいたい二百人。


 そのたった二百人の貴族が、ほとんどの要職を独占している。


 そのくせ、貴族はろくに働かない。


 ――そういう噂だ。


 典薬寮にやってきた貴族の男、宮内卿も、働く気があるのかどうなのか。


 いや、ないなと、緋鳥は思った。


 橋を造りたいならしかるべき役所へ向かうべきなのに、の力を借りたいだなどと、やる気以前の問題だ。


 あんな男が、上官の、その上官の、さらにその上官だなんて、世も末だ。


 鳳凰京の貴族連中の頭は、いったいどうなっているのだ?


「これ、緋鳥」


 かっかとしているところに、ぱしんと頭のうしろをはたかれる。


 見れば、師匠が苦笑していた。


「短気はいけない。いまのは評定をさげておくよ」


 その男は名を白兎はくとといい、呪禁博士じゅごんはかせという位に就いている。


 呪禁生の師や呪禁師の長を務めているが、十年前――七つの時から、緋鳥はこの男を「師匠」と呼んできたのだった。

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