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「その鳥居をくぐったら、後はただ、道に沿ってまっすぐに進むだけだ」二列に並んだ灯籠に挟まれた石畳の通路の上で、八重さんが言う。「更紗。お前と出会えたことは、私の誇りだよ。お前ほど凛々とした勇気に満ちた人間は、他にひとりしか知らない」

「――それ、誰ですか」

「遠い昔に出会った娘だよ。お前に少し似ていた。話してやることがあるかもしれない――いつかね」

 私は自分の世界へと続く鳥居を振り返り、それから再び〈金魚辻の市〉へと通じる道に視線を返した。その狭い空間は、私を見送りに来てくれた精霊たちでいっぱいだった。

 仮面職人の月乃さんは、私の返した〈兎面〉を胸元に抱えてこちらを見やっている。お面を外した状態、兎の耳のない状態が本来だと分かっていても、なくなった直後は少し違和感が生じたほどだった。もっと改良するよ、と彼女は私に約束した。

 久方ぶりに屋敷から出てきたらしい〈蒐集家〉は、ザシキボッコが私との約束を守って手助けしたと知るとたいそう喜んで、にこにこと笑ってくれた。記念に〈らふらん〉の小物をなにかひとつ、という申し出には心惹かれたけれど、彼女が揃いで持っていてくれたほうがよかろうと判断して遠慮した。コレクターの気持ちが分からない私ではないのだ。

 この騒動を通じてもっとも暗躍した存在であろう巴さんと、九曜さんをはじめとする子供たちが、遠くのほうから鎌首をもたげてこちらを伺っている。他の精霊たちから少し距離が離れているのは、やはり恐れられているせいかもしれない。

 騒ぎに乗じて〈祭火隧道〉から上がってきたコウさん、蘭さん、そして栄さんは、来年以降の〈隧道祭〉はより〈金魚辻の市〉との提携を強めた催しにすると私に語ってくれた。〈牡丹燦乱〉が収監されてしまったので、今後は彼女たちが中心となって運営するのだという。

「じゃあ、ここで」私と向かい合って立っていた小紅が、ゆっくりと告げた。「今年の夏のこと、更紗のこと、私、ずっと――」

「なあ、みんな」小紅の言葉を遮るように、八重さんが声を張り上げた。「求められるところに市を立てるのが、私の役割だ。神々ってのは気紛れだから、毎年場所が変わっちまうのが普通ではある。同じ場所に立つのはそう――百年に一度くらいしかない。でもさ、逆に言えばだ、みんなが来年もここに来たいって願うんなら、私はそれに従う。来年も、再来年も、ずっとずっと、ここに〈金魚辻の市〉を立てることだってできるんだ。みんな、どう?」

 一瞬の静寂ののち、太い歓声が湧きあがった。精霊たちがどっと駆け寄ってきて、私たちを取り囲む。

「みんなこう言ってる。更紗はどう? また、この〈金魚辻の市〉に来てくれる?」

「必ず」私は泣きじゃくりながら応じると、同じくらい表情を乱している小紅に歩み寄り、もう何度目かも分からない抱擁を交わした。腕のなかで身を震わせている彼女の耳元に唇を寄せ、「ここで、来年もまた会おうね。約束だよ」

 約束、と泣き叫んだ小紅の体を離すと、私は身を翻し、鳥居に向かって駆けた。〈宵金魚〉たちが中空へと舞い上がって、軽やかに散らばる。赤、黄色、それらが明るんだような白の、柔らかな瞬き。

 神と精霊の市には掟がある。この〈金魚辻の市〉で失くし物をすると帰り道を見失ってしまう、と八重さんは私に言った。いま、私の左手首に〈梨の天使らふらん〉の腕時計はない。それでも鳥居をくぐり抜ける私は、なんの不安も抱いていなかった。

 だって、私はなにも失くしていない。〈金魚辻の市〉からたくさんのものを受け取って、ここにいるのだ。

 時間の流れというのは不思議だ。急ぎ足になることも、どうやら立ち止まることだって、あるようなのだ。

 向こう側へと辿り着いたとき、きっと私はそこが、蓮花さんを訪ねて新幹線に乗った日のままであることに気付くだろう。小ぢんまりとした路地を抜け出した私は再び、向かうべき場所へと向かうだろう。

 そんなふうにして時は巡る。螺旋を描きながら、また同じ場所へと帰るのだ。何度でも繰り返し、絶えることなく。

 眩しい夏の陽光が、目に飛び込んできた。十一歳の私はリュックサックを背負いなおして、懐かしくも真新しい世界へと歩み出した。

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金魚辻迷宮 下村アンダーソン @simonmoulin

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