22

 声を合わせて叫んだ途端、部屋を満たしていた薄い暗がりが滑るように退いた。襖という襖がけたたましく開き、例のずるずるという音を伴ったなにかが次々と侵入してくる。長々とした、そして濡れたように艶めく物体が、あっという間に巴さんの体を囲んだ。寄り集まって、分厚い層を成していく――。

「たいしたものだ。私が見込んだだけはある」

 咽の奥底でいくつもの音が重なり合ったような、奇怪な響きだった。これが本来の声なのかは、あるいは無数の蛇たちに包み込まれているせいなのかは判然としない。彼は低い笑い声を洩らし、

「これはみな、私の子供たちだ。可愛らしいだろう? 久しぶりに遊べたおかげで、ずいぶんとはしゃいでいるようだ」

 申し合わせたかのようなタイミングで、蛇たちが左右に分かれた。遂にして正体を現した巴さんが高々と首を持ち上げ、天井付近から私たちを見下ろしている――。

「この姿を晒すのは何千年ぶりだろうな? ごく親しい者にさえ見せていない。隠しているつもりではないんだが、なにぶんこの見てくれだと、相手を怖がらせてしまうからね」

 その言葉が決して誇張でないことが、身をもって理解できた。長く尖った頭部は黒々とした細かな鱗に覆われ、ぬらぬらと光を跳ね返している。鼻梁から額を経由する、顔のちょうど中央にあたる線上には、毒々しげな色合いの突起がずらりと生えている。威嚇や体温調節の器官のようにも、奇怪な植物に寄生されているかのようにも見え、やたら異様である。

 顔の造形は明確に蛇なのだが、かろうじて男性の面影を残しているようでもあり、それがいっそう不気味な印象を与える。能面の真蛇を思わせる寒々とした部分がありつつ、アステカ神話の蛇神の像のような、破天荒で暴力的なイメージを含有してもいる。

 もっとも特徴的なのは草刈り鎌のように曲がった牙、そして爛々たる双眸だった。まったく瞬きをしないのは人の姿でいたときと同様だが、今の彼の目は金色で、縦に切れ込みを入れたような瞳孔がある。それを小刻みに動かし、また牙のあいだから炎のような舌をちろちろと覗かせながら、私たちを眺め渡しているのである。

「――でさ、教えてよ」小紅が私の手を強く握りしめながら、果敢に発する。「最後の勝負に勝ったんだから、約束を守ってくれるんだよね。更紗の腕時計の在り処。知ってるって言ったよね」

「もちろん、もちろん」

 巴さんは楽しげに応じると、頭部をゆっくりと下げて私たちに近づけた。独立した生き物のように蠢く舌が今しも頬に触れそうで、まったく生きた心地がしない。私は小紅の隣でひたすらに身を硬直させ、震えあがるばかりだった。

「教えるとも。彼女の時計は〈祭火隧道〉の内部に運ばれた。おそらくは最深部に隠してあることだろう――〈朱鼠〉どもの手によってね」

 聞き慣れない言葉だった。小紅もまた得心しない様子で、

「それはどこで、犯人は何者?」

「知らないのも無理はない。市の主たる八重でさえ、把握しているかどうか怪しいところだからな。〈祭火隧道〉は市の地下にある。〈金魚辻〉のちょうど裏側というわけだ」

「本当なの?」と小紅が慎重に問い返す。「どうして八重でさえ知らないようなことを、あなたが?」

「同じ地を這う生き物だから、とでも。八重であれ、〈細雪〉の雪那であれ、決して万能ではない。世界のすべてに目配りできるはずもない。分かるだろう? 地底のことに関しては、私たちのほうが遥かに詳しいんだよ」

「巴さん」私はようやく気持ちを落ち着けて、彼に語りかけた。「ありがとうございます。あなたの言葉を信じます。その場所へ行くには、どうすればいいんでしょうか」

「そこまでの情報提供は約束していない――と言いたいところだが、まあいいだろう。地底湖を渡っていくのがもっとも早い。お望みなら私の船で送ってやろう。船賃は取らない。あとは自分たちで交渉するなり、買い戻すなり、奪い返すなりすればいい。どうかな」

 私は頭を下げた。「なにからなにまで、感謝します」

「いや。今回は私も、子供たちも、ずいぶんと愉快な経験をさせてもらった。それではそろそろ――お別れだな」

 左右に退き、控えていた蛇たちが、再び巴さんの周囲に集まってきた。全員がいっせいに、空中で頭部を滑らせるように動かしてみせる。

「我ら一族は地の底より、君たちのために祈ろう。聡明なる人間の娘と、勇敢なるその友のために」

 もっとも小さく見えた白い蛇が一匹、するすると近づいてきた。紐の付いた瓢箪状の容器を咥えている。

「それは私たちからの贈り物だ。最上の酒に、蛇の牙から絞り出した最上の薬液を混ぜ込んである。あらゆる生き物に、たちどころに効く。なにかのときに役立ててくれれば幸いだ」

 瓢箪を受け取った。一息に緊張の糸が切れ、危うくその場に崩れ落ちそうになった。その気配を察してか、小紅がぎゅっと掌を包んでくれる。私はかろうじて姿勢を保ち、蛇たちを正面から見返した。

 遊び好きで奇怪な、しかし思いがけない優しさを併せ持ったこの一族との出会いに、私は感謝していた。遂に時計の所在が明らかになったから、というのみでなく。

「あなたたちの知恵に、もてなしに、祈りに感謝する。地を這う者たちに幸いを」

 静かな、しかし確かな声音で小紅が言う。私も最後の部分だけを復唱した。

「地を這う者たちに――幸いを」

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