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 どんどん、しゃらしゃら――。打楽器や鈴を思わせる音色がどこからか響いた気がして、私は足を止めた。

 かしらを巡らせると、うっすらとした暗がりに満たされた横道があった。顔を傾けて覗き込んでみたが、人の気配はない。なにがあるとも、どこに繋がっているとも判然としない。都市の狭間の薄闇が、小路の姿をとってそこに立ち現れたかのようだった。

 立ち去ろうとしたとき、視界の隅でなにかが揺らいだ。光? 赤かったようにも、黄色かったようにも、それらが明るみ、白んでいたようにも思えた。再び小路に視線を返し、私ははたとして立ち竦んだ。目を瞬かせる。

 道の両端に等間隔の光が並び、奥へと伸びていた。寺社の入口にある灯籠か、もしくは露店の提灯のように、淡くちらちらと瞬いていた。この一瞬でいっせいに灯された――来客を招き入れるかのように。

 その先に蓮花さんがいると、本気で信じたわけではない。単なる寄り道にすぎないという意識は、明確にあったと思う。それでいて同時に、なにを差し置いてもここに踏み込まねばならないとの切迫感に支配されてもいた。私はきっと憑かれていたのだ。奇怪な光の明滅に、狭い路地の空気に、暗がりの気配に。

 足を進めた。真空にでも飛び込んだかのように、外界の音のいっさいが失せた。奥から沸き立った風が寄せてきて、私の顔を撫でた。飴か砂糖菓子を思わせる、幽かに甘い匂いがした。

 いかなる仕掛けなのか、灯りは常に私の前方にあって、一定以上は近づけなかった。明滅を繰り返しながら、薄闇のなかを泳ぐように遠ざかる。きっちりと整列しているようでいて、ときおりいくつかが乱れ、はみ出し、また形を取り戻す。

 道は一直線かと思いきや、複雑に曲がりくねったり、折れたりした。自分は方向を見失っているのではないかと感じはじめたが、足はひとりでに前へ前へと進んで止まらなかった。もうちょっと、あと少し――。

 不意に鳥居が現れた。ずいぶんと背が高く、それなりに規模のある寺社のものなのだろうという気がした。夕陽をさらに色濃くしたような、深い朱色だった。

 くぐり抜けた。石畳の通路の両端に二列に並んだ灯籠があったが、燈はともされていなかった。ここからふわりと魂だけが抜け出して、私を誘ったのではないか――そんなふうに想像した。

 笛太鼓の音が、先ほどよりずっと大きく聞こえていた。胸を高ぶらせる祭囃子。

 視線の先にもうひとつ、新たな鳥居が見えてきた。左右から腕のように伸びた木の枝に覆われてはっきりと様子は伺えないが、奥にあるのは拝殿だろうか。

 視界が開けた。眼前の光景に、しばし茫然となった。

 立ち並んだ無数の露店と、それを彩る幟旗や横幕。房の付いた長竿。途方もなく大規模な祭礼の賑わいのさなかに、私はいた。

「やっぱり――公民館祭とは違うんだなあ」

 独り言ち、あたりを見回しながらゆっくりと歩いた。蓮花さんが私に見せたがったのも当然だと思った。なにもかもが物珍しく、煌びやかで、そして妖しい。

 宙を漂う巨大な吹き流しが目に入った。近づいて見上げると、その色とりどりの流れを織り成すひとつひとつが、細かな絵模様、紙製の花や人形に飾られた、きわめて複雑な造形物なのだと知れた。どうやって拵え、どうやって飛ばしているものか。

 手が込んでいるといえば、行き交う人々の格好もまた奇異で、あたかも仮装行列のようだった。複雑に枝分かれた角を生やした人。緋と白の衣を纏い、扇を携えた人。

 分厚い蓑を羽織った鬼が平然と横を通りすぎていき、思わず背筋がぞわついた。面には違いなかったろうが、それが生来の顔かと疑ってしまうほどに精巧だったのだ。よほど腕利きの職人でなければ、あれほどのものは作れまい。

 少し先に、お面屋を見出した。おかめやひょっとこ、古いアニメのキャラクター、戦隊のヒーローといったお馴染みの顔はひとつもない。赤ら顔で巨大な目をした獅子や、能面の般若をより狂暴にさせたような怪物など、恐ろしげな印象の面ばかりがずらりとこちらを見下ろしている。

 私はしばらくそこを動けなかった。これを買ってかぶれば、私も異様な変身を遂げ、この場所の空気に溶け込めるのではないかという気さえした――。

 はたとしてかぶりを振った。まったく唐突に引き返すべきだという意思が生じ、それは明確な決意に変わった。寄り道はこのくらいにしよう。蓮花さんと一緒に来るべきだ。

 身を翻し、鳥居に向かって駆けた。灯籠のあいだを抜ける。記憶どおり、ふたつ目の鳥居が見えてきた。この先の道を辿っていけば、もとの大通りに帰れるはずだ。

「――あれ?」

 思わず声を洩らし、足を止めた。石畳の通路の先に、新たな鳥居が聳えていたのである。三つ目?

 一本道なのだ。どうあっても間違えようがないのに――。

 困惑しながら、その鳥居の下をくぐって進んでみる。困惑は、すぐさま驚愕に変わった。同じ通路が少し続いたかと思うと、また次なる鳥居が待ち構えていたのである。

 いよいよ事態の異常さを悟り、私は立ち竦んだ。このまま進んでも、延々と新しい鳥居に出くわしつづけるだけだという、確信めいた予感があった。

 背後を振り返り、それから苦し紛れに横を向いた。灯籠の列の向こう側で、黒々たる木々がざわざわと揺れている。ここを突っ切ろうという気はさすがに起こらなかった。なにが待ち受けているか知れたものではない。

「ねえ」傍らから声がした。「買い物は済んだの? もし済んだなら、私の――」

 振り返ると、そこにはいつの間やら小柄な少女が立っていた。薄紅色の着物に、より深く鮮やかな赤の帯を締めている。丹念に切り揃えられた髪と、白く涼やかな顔。

「えっと、私、買い物に来たんじゃないの。ただちょっと、見物っていうか」

「そうなんだ」少女は口許に薄い笑みを浮かべた。「ここ、珍しいものがたくさんあるでしょ? 夏は〈金魚辻〉、冬は〈細雪〉――私たちのあいだでは、名前が通ってるんだよ」

 地元の子なのだと合点した。毎年のように通っていて、この光景にも慣れっこなのだ。だとすれば道も分かるに違いない。助かったと思った。

「私、駅に戻りたいんだけど、どっちに行けばいいかな」

「帰るの?」少女は小さく首を傾け、それから人差指をすっと伸ばして、「だったらただまっすぐだよ。それで外に出られる」

「おかしなことを言ってると思われるかもしれないけど、まっすぐ進んできたんだよ。でも迷っちゃって」

「どういうこと?」

「同じ場所に出ちゃうんだよ。鳥居をくぐってもまた次の鳥居があって、いつまでもループするみたいなの」

 少女は表情を硬くし、慎重な声音で、「何回くぐった? 数えた?」

「次で三回。ふたつしかなかったはずなのに、変だなって思って」

 不意に彼女の手が伸びてきて、私の掌を掴んだ。引き寄せられた。

「一緒に来て。この市の主に知らせなきゃ――あなたが本当の迷い子になる前に」

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