人生……。

終わりはいつだって唐突に

 閉会式が終わり薄暗くなる頃には、空は雲一つない快晴になっていた。


 俺達のクラスは、無事学園祭の総合優勝を果たすことが出来た。二年での優勝は、三年に忖度される都合もあって、実は我が校の長い歴史の中でも、史上初の快挙らしい。

 そんな素晴らしい結果を導き出せた皆と喜び合い、名残惜しさを抱えながら、学園祭の片づけを執り行った。


 もうまもなくこの非日常が終わる。


 掃除をしている学生達は、既に総合優勝を果たした喜びを忘れて、明日から再び始まる通常授業への憂いを顔に露わにしていた。


 ただしばらくすると、学園祭実行委員会が校庭で組み上げていく枕木の存在を見つけて、皆の気持ちは後夜祭へと逸っていった。


 俺も、その中の一人だった。


 気持ちが逸りながらも掃除を行って、外の様子に気を取られていた。



 ……思えば。

 タイムスリップする前の世界でも、そういえばキャンプファイヤーは行われたんだよなあ。キャンプファイヤーが行えたということは、暗くなる頃にはグラウンドには水たまりがないような状態になっていたということで、つまりグラウンドが乾くくらいの時間には雨が止むってことだったんだよな。


 天気のことまでは思い出せなくても、その事が思い出せていたら、俺もどっかの天気予報士みたいに、今日の午後は晴天ですって明言出来たのになあ。


 そうすれば、もう少し余裕な心持で俺も出店を出来ただろうなあ。


 まあ、決死の気持ちで策を弄したのもそれはそれで面白かったし、良しとするか。



 校庭で五段の枕木が組み終わる頃、俺達の掃除も終了した。

 そこからは、通常授業の日でいうところの放課後が学生達には訪れた。


「七瀬さん、火を点けるのはあと三十分後くらいだってさ」


「そう」


 勿論俺は、初日にした七瀬さんとの約束があるから、学校に残った。

 後夜祭の始まる時間を教えると、七瀬さんはどこか寂しそうに、名残惜しそうに、窓の外から喧騒としだした校庭を見ていた。


 喧騒とする校庭は、他のクラスメイトが立ち去り静寂とするこの教室とは対照的だった。


「ありがとうね、古田君」


 静かな教室で、七瀬さんは今にも消え失せそうな小さな声で言った。


「あなたのおかげで、本当に総合優勝出来たわ」


「俺のおかげだなんてとんでもない。皆のおかげだろ。勿論君もね」


 それは本音だった。

 俺一人では多分、今回の結果を成すことは出来なかった。それが出来たのは、やはりなんといってもたくさんの心強い協力者を得たからだった。


「でも、皆に協力をお願いして、受け入れてもらえたのはあなたのおかげよ」


「それはまあ……そうかもしれない」


「だから、本当にありがとう。おかげで素晴らしい結果を出せた」


 七瀬さんは、嬉しそうに微笑んでいた。

 そんな彼女に、これ以上の謙遜は無駄に思えて、俺はしばらく黙りこくった。


 校庭から、一段と大きな若人の声が聞こえてきた。


 キャンプファイヤーの枕木の組み立てが終わって、もうまもなく着火の時を迎えるらしい。


「そろそろ、行くかい」


 教室の窓から校庭を未だ伺う、名残惜しそうな七瀬さんに、俺は続けた。


「総合優勝を条件に、確か約束を一つしていたよね。僭越ながら、それを叶えてもらうよ、君には」


「……うん」


「これでも俺、君と一緒に踊るの結構楽しみにしてたんだ。だから、よろしく頼むよ」


 本心を吐露して、俺は微笑んだ。


 七瀬さんに手を伸ばすと、


「そうだったんだね」


 七瀬さんは、静かに俺の手を握った。


「そんなこと知らなかった。あたし、まだまだあなたのことキチンと知らないみたい」


「お互い様だろう。俺達は、まだまだ互いのことを良く知らない。だけどそれって、悪いことじゃないだろ。これから知れていけるんだから、むしろ俺は嬉しい」


 柄にもなくロマンティックな言い方をして、背筋がむず痒くなっていた。俺は多分、今この恋愛に酔っている。

 



 彼女と将来疎遠になると知った時。


 あの時俺は、もっと彼女のことを知りたいと思った。

 彼女と疎遠になりたくないから、そう思ったのだと思っていた。


 だけど今になって考えると、多分それも少し違ったのだろう。




 俺は疎遠になる彼女と離れたいなんて後ろめたい理由ではなく、彼女へ今抱くこの好意で、彼女のことをもっと知りたいと思ったのだろう。

 彼女と疎遠になりたくないと思ったのだろう。


 ……ただ、一緒にいてほしいと思ったのだろう。




「君は、どうかな?」




 酔いしれていく自分の気持ちを誤魔化すように、俺は七瀬さんに話を振った。


 気恥ずかしかったのか、七瀬さんは苦笑するばかりでまともな回答は寄こしてくれなかった。だけど多分、同じようなことを思っていてくれているのではと思った。





 だって、突然、唇に温かい何かが触れたから。


 だから、俺はそう思った。


 それが七瀬さんの唇だと気付いたのは、キャンプファイヤーが着火した瞬間、校庭にいる学生達の大きな歓喜のような、驚嘆のような、そんな奇声が耳に届いて、頭が途端にクリアになった瞬間だった。


 しばらくして、名残惜しそうに七瀬さんは顔を離した。頬は少しだけ紅く染まっていた。


「これが、あたしの思いだよ?」


 挑戦的な瞳を見せて、七瀬さんは俺に微笑んだ。


 俺は苦笑した。


 好いた少女に、ここまで一途に想ってもらっている。


 それが嬉しくて、だけど少しだけ恥ずかしくて。


 俺は誤魔化すように苦笑しか出来なかった。





 だけど、この幸せを絶対に手放したくないと思った。






 それから俺達は、二人で色々なことをした。


 キャンプファイヤーの前で踊り……。

 修学旅行に行き……。

 卒業を迎えて……。




 高校生活を終えた後も、七瀬さんとたくさんの思い出を作り、共有して、俺は幸せを実感していった。




 幸せな時間だったんだ。

 大切な人と見る景色は、どんなものでも七色の虹のように煌びやかに見えて、どんな思い出もセピア色の写真を拝むような懐かしさを孕んでいて……。




 気付けば、あの学園祭からもうまもなく九年の時が経とうとしていた。


 毎日が楽しかった。思い出の日々がとても懐かしかった。これからもずっと、こんな人生を歩んでいきたいとさえ思った。


 七瀬さんと二人で。

 

 溢れていくこの愛を育み、豊かになって生きていきたいと思っていた。




 だけど、そんな夢のような日々を、人生を生きたために、俺は大切なことに気付くことが出来なかった……。




 その日俺は、七瀬さんに突然呼ばれて馴染みの喫茶店に足を運んでいた。


 予定時刻よりも少し早めに着くと、いつもみたいに七瀬さんは俺よりも早く喫茶店に辿り着いていた。


「待った?」


 七瀬さんは、何も言わずに首を横に振った。

 何か、妙な違和感を俺は感じていた。


 いつもは太陽のように楽しそうな彼女が、今日はどこか憂いを帯びているように見えた。


 仄暗い相談かもしれないと思って、俺は努めて明るい態度で彼女に接しようと思った。

 いつもよりほんのり明るい声で店員にコーヒーを頼んで……。




「古田君、あたしと別れて」




 七瀬さんがそう切り出した途端、動悸が乱れた。




 目の前の現実を受け止められなかった。幸せな日々が突然、崩落するビルのように砂煙と爆音に包まれていた。


「な、なんで?」


 辛うじて発した声は、震えていた。

 彼女の言っている言葉の意味が、わからなかった。


 この九年は、俺の独りよがりの思い出だったのだろうか?

 いいや、そんなことはない。


 色んなことを彼女と一緒にしてきた。

 たくさんの思い出を共有してきた。


 彼女の笑顔も。泣き顔も。怒り顔も。寂しい時に、口に出さずとも甘えたがる時のなんともいえない顔も。


 全部知っている。

 全部、偽りなんかじゃなかった。


 この愛は本物だったはずだっ。


 なんで……。

 なんでだ……。


 

 転勤なんかが理由じゃないことは知っている。彼女がそんなことで、今更俺との関係を打ち切るはずがないことも知っている。

 色恋沙汰でもきっとない。長い時間彼女と共に生きてきて、彼女がそんなことをする人でないことも知っているし、そんなものの影も一切見せてこなかった。



 じゃあ、何故だ……?



 どうして彼女は今、俺に別れを切り出している。


 どうして彼女と俺の関係は、どう頑張っても疎遠になる運命にある?


 ……彼女の生真面目な性格を知って。甘えたがりな性格を知って。時々、涙もろい性格を知って。


 


 俺はようやく、悟った。


 

 

「病気が見つかったの」





 どうしてもっと早く気付かなかったのか。

 色恋沙汰でもない。仕事のことでもない。


 そうであれば、あと考えられるようなことは……それくらいしかなかったじゃないか。


 彼女との幸せの時間を送る内に、俺はかつて見た将来の夢さえ。


 その夢の中で見た後悔さえ。


 そして、絶対に彼女と疎遠にならないという強い想いさえ……。


 


 時間の経過と一緒に、薄れていったとでも言うのか……。

 



「なんでも若い人ほど、病魔の進行が早くなるみたいでね。お医者様に、さっき余命一年と宣告されたところよ」



 淡々と語る七瀬さんの言葉は、いつもは優しい彼女からは想像も出来ないくらい、辛い現実を俺に宣告してきた。






「……ごめんね?」


 苦笑しながらそう謝罪する七瀬さんに、もう俺は何も声をかけることも出来なかった。

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