まもなく始まる学園祭

 来週に学園祭を控えた今日この頃、俺は放課後、クラスメイトの練習に交じらずに一人パソコン室に足を運んでいた。

 懐かしいOSのパソコンを操りながら、俺はワード機能で資料を一つ作成していた。


「手慣れたものですね」


「うわあ!」


 集中してしばし、突然背後から声をかけられて、俺は飛び跳ねた。振り返った先にいたのは、倉橋さんだった。


「お疲れ様です、先輩」


「お疲れ様。倉橋さん、こんなところでどうしたの」


「先輩とほぼ同じ理由で来ました」


 微笑みながら、倉橋さんは俺の隣の席に腰を下ろして、パソコンを立ち上げていた。


「じゃあ、学園祭の資料作り?」


「はい。ウチのクラス、昨日ようやく学園祭の出店を決めたんです」


「それは……とても遅くないか?」


「はい。今から凄い不安。まあそういうわけで、あたしは今日、ここに出店のポスター作りに来ました」


「ほう」


「パソコンで作った方がお手軽だから。適当でいいと言われているし、ほどほどの物を作っていこうと思います。

 ……あ、別に無理強いされたわけじゃないですよ? むしろポスターを作る代わりに、あたし、他の皆が一生懸命作っている催し物のセット作りをサボっているんです」


「そうかい」


 それなら良かった。


「催し物では何をするの?」


「ミュージカル染みた何かです」


 凄い表現をしてくるものだ。


「それより、先輩は何を作っているんですか? 見た感じ、ポスターってわけじゃないようですし」


「ん、これはレシピ……とまではいかないし、まあ言ってしまえば作業指示書だね」


「作業指示書?」


「出店の内容は……まあ当日のお楽しみだから言えないけど、こういうのがあった方がいい内容をやるんだ」


「フルーツをミキサーにかけてって書いてあるし、飲み物系ですよね?」


「画面覗かないでよ。楽しみが減るぞ?」


「あたし、ネタバレとかは気にしないたちなので」


「さいで」


「で、その作業指示書……ですか? どうしてそんなものを、たかだかジュースで作っているんです?」


「ん。まあ理由は単純だよ。コップの飲み物を適量注ぐ。フルーツをミキサーに適量かける。

 そういう適量って表現だと、個人差が生まれるだろ?」


「まずいんですか?」


「まずい。だって、人によっては薄味になってしまったり、濃い味になってしまったりするだろう。誰が作っても同じ味に。それはとても大切なことだ」


「こだわり派なんですね、先輩。もっと大雑把な人だと思ってた」


「俺の性格が大雑把なことは間違いないよ。まあ、今はわかりやすいと思って味の話で例えたけどさ。俺がこの指示書を作りたいと思った一番の理由は、売り上げを明確にするためだよ」


「どういうことです?」


「言ったろ。適量だとその人その人の個人差が生じるって。そうなると何が一番困るかって、フルーツの具材の減りがバラつくことなんだ。

 まあ、上振れしてくれたら有難いけどさ。

 一番困るのは、フルーツの減りに対して、売り上げが全然積み上げられていない状態になることなんだ。予定よりジュースが売れていないのにフルーツの在庫が無くなりましたとか、目も当てられないだろ?」


「確かに」


「だからそうなることが無くなるように、ミキサー一回当たりにこのフルーツはこれだけ。こっちはこれだけって明記するのさ。

 そうすれば、味もほぼ同じになるし、売上金が下がるリスクも減るってわけだ」


「……先輩、でもそのジュース、先輩の好みの味なんですよね?」


「その辺も抜かりはない。実は一回、試飲の場を設けた」


「え、そんなことまで? でもそれ、自腹ですよね」


「まあね。だからまあ、試飲したのは七瀬さんと俺だ」


「……ほう」


「この前七瀬さんの家に行ったことがあってさ、その時にどうせだからとミックスジュースのレシピを考えようとなってね。

 販売額。一杯当たりの原価。そして味付け。

 大体こんな塩梅だろうって、二人で決めたんだ。クラスの皆も納得してくれたから、問題なし」


 そこまで言い終えて、隣に座る倉橋さんがニヤニヤしていることに気が付いた。

 どうしたのかよくわからず首を傾げて、


「あっ」


 俺は今更気付いて声を上げた。


「君って奴は、中々おだて上手だな」


 まず一番に思ったのは、倉橋さんに上手く誘導されたことへの感心だった。


「いや、先輩が勝手に包み隠さず話したんじゃん」


「え、そう?」


「そうですよ。まあ、面白い話が聞けたのでいいんですけどね」


 呆れたような顔をした倉橋さんが、再び微笑んだ。


「先輩、凄く楽しそうですね。七瀬先輩とお付き合いしてから」


「そうだね。楽しいよ」


「幸せですか?」


 茶化すような声だった。


「まあ、そうだね」


 嘘をついて七瀬さんに告発されたりするのも嫌で、俺は素直な胸中を吐露した。


 ふと、かつて見た将来の夢を、俺は思い出していた。確か、倉橋さんと綾部さんに囲まれて鍋パーティーをした時の夢だ。

 あの時の二人とは、随分と気兼ねない関係を築いてきていた。それこそ、男女の枠を超えた友人、というか、親友のような関係を築いていたと思った。


 あの時間も幸せだった。気の置けない連中が傍にいる幸せさは、今とはまた違った幸せがあった。


 だけど、多分あの幸せはもう訪れないんだろうなあ。


 今の綾部さんや倉橋さんとの関係はあの時と違い、どこか他人行儀のような壁を感じた。それがどうしてかはわからなかったが、今そびえるこの壁が壊れることは、今の幸せを手放すことのような気がしたのだ。


 だから、あの時のような幸せは、俺にはきっと巡ってこないのだろう。




「じゃあ先輩、もし不幸になった時は、あたしに一番に声をかけてください」


 どうしてか寂しさを抱えた俺に、倉橋さんは言った。


「いつか先輩言ったじゃないですか。一日の時間は有限だって」


「言ったね、そんなこと」


「だからあたし、自分の時間は自分の大切な人のためにしか使いたくないんです」


「……はあ」


 ん?

 それってつまり……どういうことだ?


「倉橋さん、それはどういう意味?」


「これ以上は、今は言えませんよ」


「……そっか」


 悶々とした気持ちだけが、俺の胸に残った。


「……先輩は、本当に世話が焼けるんだから」


「え?」


 倉橋さんの方を向くよりも早く、彼女はプリンターの前に向かっていた。轟音を鳴らすプリンターから紙を受け取ると、俺の疑問を解消する気は更々ないようで、彼女は足早にパソコン室から飛び出していった。


「……どうかしたのだろうか」


 一人パソコン室にポツンと残された俺は、再び指示書作成の作業に戻って、ひと段落すると、ついでにもう一つの印刷物を作成し印刷して、パソコン室を後にした。

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