始まった学園祭

 学園祭の初日がやってきた。

 学校に辿り着く頃には、いつもよりか快活な学生達が今日という日を心待ちにしていたと楽しそうに笑っていた。

 俺もその一人だったから、いつにもまして気分は朗らかだった。


 我が校の学園祭は二日構成になっていて、初日は夜遅くまで散々準備してきた催し物を発表する日となっていた。

 その他にも、今日は生徒会や学園祭実行委員が主導になって、いくつかの部に協力を仰いだ催し物で、全校生徒を楽しませることになっているそうだ。


 以前の学園祭の記憶はどうも曖昧だからか、当時の催し物でどんなことをやっていたかは覚えていない。以前の仄暗い学生生活を、俺は珍しく都合が良かったと思っていた。


「おはよう」


 教室に入ると、既にほとんどのクラスメイトが登校してきていた。この人達も、今日という日をかなり楽しみにしていたらしい。

 いつもももっと早く登校した方が、時間のない朝にもっと余裕を持った時間を送れるよと、朗らかな俺からアドバイスを一つ送っておくことにしよう。


「おはよっ、古田君」


 自席に腰を下ろした途端、快活そうな声の主に背中を押された。


「うおっ」


 振り返った先にいたのは、七瀬さんだった。どうやら彼女も、今日という日を楽しみにしていたらしい。


「今日と明日は頑張ろうね」


「うん。目標は総合優勝だからね。そのために準備もしてきたわけだし」


「うん」


 快活そうに微笑んでいる七瀬さんは物珍しくて、俺も気付けば笑っていた。


 そんな朝の一幕を経て、俺達は体育館へと移動した。


 全校生徒が集まり喧騒としている体育館で、いつもは騒がないようにと俺達を咎める教師陣が今日は静かだった。それがなおのこと、この場がお祭りであることを認識させて、俺の気は一層逸った。


 そんな空気の中で、学園祭は幕を開けた。

 吹奏楽部の演奏。いつもは厳しい先生達によるバンドの演奏。その他、事前エントリー制の漫才コンテストなど、演目は順調に進んでいった。


「それでは、クラス対抗催し物大会を始めます!」


 学園祭実行委員の叫び声にも似た号令を合図に、下級生から各クラスの催し物が行われていった。

 いつかミュージカル染みた何かと言っていた倉橋さんのクラスの演目は、確かにその通り、ミュージカル染みた何かだった。


 演者がダンスを踊ったり、手を繋いだり、歌ったり騒いだり。

 時にはコミカルに。時には面白おかしく。時には滑稽に。

 つまり総評すると、とてもふざけたミュージカル染みた何かだった。

 

 だけど、合唱とか捻りのない演目よりかは結構楽しめた。このミュージカル染みた何かの脚本を書いた人は、本気で目指せば将来一流のコメディアンになれるだろう。


 買い被りすぎか?


 買い被りすぎか。


 そうやって楽しんでいるのも束の間、俺達のクラスの出番は迫っていた。


「あぅぅ……」


 舞台袖で、俺は緊張からとても女々しい喚き声を出していた。自分で言うのもなんだか、中々きもい。年を考えろと言ってやりたい。


「古田君。顔青いわね」


 七瀬さんが心配そうに俺の頬を撫でた。彼女の手はひんやりとしていて気持ち良かった。


「緊張で吐きそう……」


「あなたが何に緊張するか、しないのか。あたし、全然わからない」


「自分が出来ることなら、自信を持ってやれる。出来ないことならとても不安。それだけのことだよ」


 いつもならもっと饒舌に語るようなところも、どこか口が言うことを聞かずに淡泊な返事になってしまった。

 俺は日頃から、自分が出来ることはわかっているつもりだ。だから、出来るか不安に思っていることをする時は大層不安になってしまうのだ。


「大丈夫。あなたが失敗しても優勝を逃すだけだもん」


「それ、火に油を注いでるよ」


「まあね。あたしなんだかんだ、あなたなら大概なんとかすると思っているもの」


 そう笑う七瀬さんを、俺は恨めしく睨んでいた。


「あたしの言葉、信じられない?」


「俺が信じられないのは自分だけだよ。君の言葉は信じてる」


「じゃあ、あたしが信じるあなたのことも信じて」


「……その言い方は、いささかずるい」


 これ以上の問答は無駄だと思わされる一言に、俺は天を仰いだ。完全論破だ。論破された。


「じゃあわかった。ダンスで結果を出せたら、ご褒美を上げる」


「ご褒美?」


「うん」


 七瀬さんは頷いた。

 俺は、ご褒美に釣られてダンスを頑張る、というのはなんとも情けない動機だなあと心の端で思った。だけど、このまま埒が明かない不安を抱き続けるくらいなら、彼女の良心に甘えるのも、一つの手かもと思い始めていた。


「それで、ご褒美って……」


「ようし、行くぞー!」


 丁度良いタイミングで、俺達の出番は巡ってきた。

 俺は目を丸めて檀上傍にいる陽の中の陽の者、高梨さん一派を見つめた。


「うおっ」


 そちらを見つめることに集中しようとした途端、俺の肩を引っ張り、耳元に唇を近づける人がいた。

 無論、七瀬さんだ。


「総合優勝したら、明日の後夜祭、二人で一緒に踊りましょう?」


 耳元で囁く魔性の七瀬さんに心臓を高鳴らせつつ、俺は彼女の言葉を咀嚼した。

 後夜祭といえば、確か学園祭終わりにキャンプファイヤーをするんだったな。そこで、火の回りを男女が一緒に踊るのが、歴史ある我が校の伝統行事の一つだった。


 学生生活楽しんでいる系の人間が好んでやることらしい。思い出になるだとか、なんだとか。


「わかった」


 正直歯の浮くようなお願いだったけど、この緊張を解消するための理由付けには打ってつけだと思った。それくらいして、自分の気を奮い立たせないで、このままうだうだしているなんて恰好悪くてしょうがないと今更思ったのだ。


「ほら、古田」


 こだわり派男子に呼ばれたので、俺は七瀬さんに一瞥して檀上の方へ向かった。そして、突然手を握られた。

 そして、こだわり派男子は楽しそうに俺の手を引っ張って走り出した。


「なんでぇ?」


 そのまま駆け出したこだわり派男子のせいで、俺は当初の後方の配置ではなく、前から二番目の目立つ場所に立たされた。


 訳が分からず呆然としていると、ダンスの音楽が流れ始めた。とにかくミスをしないようにしなければ。

 そんなことだけ考えて、俺は一生懸命練習したダンスを踊った。


 どれだけダンスを踊っていたかはもうわからなかった。だけど真剣に集中に踊っている時、ふと檀上の下で楽しそうに俺達に拍手を送っている学生達を見て、不安しかなかったダンスに対して、少しだけ楽しさが芽生え始めていた。


 出来ないことを頑張ること。

 練習の成果を発揮すること。


 大人になった時間を経て、久しく忘れていた感覚を、俺は取り戻している気がした。


 童心に、いいや、高校生に戻っている気がしたんだ。


 それから夢中になってダンスを踊って、俺達の演目は終わった。


 贔屓目からか、それとも檀上に立っているからなのか。……それとも、感極まっているからなのか。

 他のクラスに送られる拍手よりも大きな拍手を見に受けている気がしながら、俺達は檀上から捌けていった。

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