気弱で甘えん坊

「お父さんの寝間着になるけど、大丈夫だよね」


「うん」


 居心地の悪いソファに座りながら、俺は七瀬さんを一人働かせて、歯切れ悪く同意した。

 ただいま、七瀬さんの自宅に俺はいる。親にはさっき、友達の家に泊まると連絡を入れた。いつかの倉橋さんなのとか喧しかったが、違うと言えば途端につまらなそうに電話を切られた。とても現金な親だと思った。


「夕飯。あり合わせの物になるけど、ごめんね」


「ああいや、手伝う……よ」


 キッチンで制服の上にエプロンをかけて、長髪をシュシュでまとめる七瀬さんに、俺は見惚れてしまっていた。

 いかん。

 このままでは、心臓がいくつあっても耐えられる気がしない。


 そうか。いっそ耐えなければいいのか。

 天才過ぎんだろ、俺。


「テレビ、適当に見てて」


「うぇあっ!」


 気付けばこちらに近寄っていた七瀬さんに、心臓が飛び出るほど俺は驚いた。

 七瀬さんはそんな俺を一旦目を丸めて拝んで、しばらくすると俺の気持ちでも察したのか、面白そうに笑っていた。


「……アハハー! この番組面白いなあ!」


 いつもなら低俗バラエティ番組だとか言って見向きもしない番組を見て、俺は誤魔化すように高笑いをしていた。

 最早誤魔化せていないのは明白だった。


「古田君。あなたは面白い人ね」


「皮肉っぽいこと言わないでくれるかい」


「緊張、しているの?」


「してない。微塵もしてない」


 いくら見た目が十六歳でも中身は二十六歳だ。そんな、女子高生と一つ屋根の下になって緊張するだなんて、さすがにそれはまずいだろう。


 ……そうか。女子高生と恋仲の時点でまずいのか。


「……そう。あたし魅力ないんだ」


「おおぅっ?」


 寂しそうな声で七瀬さんが呟いて、俺は再び気持ちを乱された。

 慌ててくだらないテレビから視線を逸らし七瀬さんを見れば、彼女は相変わらずニヤニヤしていた。


 どうやら俺、七瀬さんの手のひらの上でこねくり回されているらしい。


「すぐご飯作るから、待っててね」


「はい」


 最早言い訳する気力もなく、俺は気落ちしながらテレビを拝見させて頂いた。


 そういえば、上手く口車に乗せられて、料理の手伝い出来なかったな。


 そんな俺の新たな憂いを他所に、七瀬さんは手慣れた手つきで調理を行っていった。


「いつも料理しているの?」


「そんなことない。たまによ」


 それであの手慣れた手つき、か。

 この人勉強の件もそうだけど、やっぱり基本的にスペック高いよな。


 しばらく待って七瀬さんの作ったご飯を頂いて、洗い物は一緒になってして、少しの暇を俺達は味わっていた。


「お風呂、そろそろ入りましょうか。汗、流したいでしょう?」


「ああ、うん」


 再び、俺は歯切れが悪くなった。


「お風呂はさっき沸かしておいた。寝間着も、そこにある。どっちから入る?」


「そりゃあ、家主である君では?」


「……そうよね」


「うん」


 甘ったるい空気が、妙に俺の気持ちを浮かせた。


「じゃ、じゃあ、入ってくるから」


「ああ、うん」


 慌ててリビングから去っていく七瀬さんを見送って、気持ちにひと段落が付いた気持ちだった。ソファに深くもたれていると、強烈な眠気に俺は襲われた。


 今にも、眠ってしまいそうだった。


 ……そういえば、結局未だに、俺は七瀬さんとの疎遠にならなくなった将来の夢、見ていないな。




「古田君」


 頬を数度優しく叩かれた感触で、俺は目を覚ました。


「あ……おはよう」


 背筋を伸ばしながら、そういえば七瀬さんの家にお泊りしに来ていたことを思い出していた。


 そして、前方にいる七瀬さんを見て、俺は眠気が吹き飛んだ。

 

 七瀬さんは、長髪の毛先を少し濡らしながら、寝間着姿で眼鏡をかけていた。


「……コ、コンタクトだったんだ」


「うん。そうなの」


「……へー」


 気分がどうにかなりそうで、俺は慌てて立ち上がって寝間着を持った。


「お、俺もお風呂入ってくるよ」


「そうね」


 七瀬さんの声は、少しだけ楽しそうだった。


   *   *   *


 お風呂から上がって、相も変わらず居心地の悪いリビングでテレビを見ていた。

 互いに、その間の口数は少なかった。テレビ面白いね、とか、この辺、夜は静かなんだね、とか、本当にくだらない話しかしてこなかった。


「そろそろ寝ましょうか」


 七瀬さんがそう提案してきたのは、まもなく十一時になろうとする頃だった。


「うん。そうだね」


「部屋はあたしの部屋になるけど、大丈夫?」


 大丈夫じゃない。


 が、俺は苦笑しか出来なかった。


「……駄目。あたしの部屋で寝て」


 七瀬さんが強情だったので、俺はそれを免罪符にして彼女の部屋で一夜を明かす決心をするのだった。


 彼女の部屋は、二階の角部屋にあった。

 部屋の内装は、女の子らしさは微量に抑えられて、なんだか物とかも少し少ないように思えた。意外と物欲のない人らしい。


「あ、あんまり見ないで」


「ごめん」


 謝りながら、俺は部屋の観察を止めることはなかった。恋仲の人の部屋を見る機会なんて、滅多になかったから、どうにも物珍しさを感じていた。


「布団、出すね」


 七瀬さんは押入れの中にあるピンク色の布団一式を取り出そうとしていた。


「ああ、やるよ」


 そういえば今日、男らしいところが全くないことに気付いて、俺は率先してそれを床に運んで敷いた。


「よし」


「……じゃあ、寝よっか」


「……はい」


 口数少なく布団にもぐると、部屋の電気は消され、七瀬さんも彼女の眠るベッドに身を沈めたらしかった。

 今更ながら、この部屋は七瀬さんの匂いに包まれていた。


 非常に危うい表現になってしまったことが誠に遺憾であるが、とにかくそんなわけで、俺は眠気が吹き飛びかけていた。多分、さっき転寝を決めていたのも理由の一つなのだろう。


「古田君、色々とごめんね」


 そんな俺の気分を意にも介さず、七瀬さんは寂しそうな声で呟いた。


「何が」


「色々と、我儘ばっかり言って」


 そういえば、さっきもそんな話で七瀬さんが暗い顔をしていたことを俺は思いだした。


「いいよ。さっきも言ったけど、別に嫌じゃないし」


 それは事実だった。


「……でも、これからも色々と迷惑、多分かける」


 だけど、七瀬さんはどうも気分が優れなかった。


「それはお互い様だろう」


「……ううん。きっと、あたしの方が迷惑かけるよ」


 弱音を吐く七瀬さんは、とても珍しい気がした。

 俺の知っている七瀬さんは、我が強くて素直じゃない性格をしていた気がするのだが。


 ……確かに最近、タイムスリップが影響して俺は中身が二十六歳のまま十六歳の生活を送っている。

 自己承認欲求が、この学園祭の準備期間でも何度か満たされているが、七瀬さんから見たらそんな俺に対して迷惑をかけている、と思えたのかもしれないな。

 最終的に、出店の件もほぼ俺が主導になって話したし。


「七瀬さん、いつか倉橋さんに言ったことだけど、もっと君は俺に甘えてくれよ」


 七瀬さんは返事をしなかった。


「他人を頼ることって、別に悪いことじゃないよ。自分に出来ないことがあるのは当然で、それを他人が代わりに出来るなら、代わりにやってもらうのも一つの手段だろう。

 まあ、その代わり何かしてくれたと思った相手に、きっと何かお礼をしなくちゃいけないんだろうけどさ」


「……じゃあ、これからもたくさん甘えていいの?」


「勿論」


「あたしは、何をお返しすればいいの?」


「……あー」


 七瀬さんにして欲しいことはすぐに浮かんだ。浮かんだが……口にするのは中々に気恥ずかしい。


「古田君?」


 えぇい、ままよ。


「……えぇとさ。一緒にいてくれるだけでいいよ」


「え?」


 ……恥ずかしい。


「だからさ、一緒にいてくれるだけでいいよ。君の笑顔が見れるなら、多分俺はそれだけで満足なんだよ。歯の浮いた台詞で中々に気恥ずかしいけどさ」


 言い切って、再び俺の心臓は高鳴った。

 彼女への思いがわからないとかこの前まで宣っていた割に、自分はなんて単純な人間なんだろうと、少し自己嫌悪になりそうだった。


 だけどまあ、今言った言葉に嘘はない。

 

 将来、七瀬さんと疎遠になると知った時、俺がそれをどうにかしようと思ったのは、多分それが理由だ。


 彼女が傍にいて笑ってくれる。

 それだけで、大概俺は満足出来る。


 いつから俺はそんなに短絡的な男になったのだろうと探ってみると、中々答えは出そうもない。


 だけど、町おこしを経て、倉橋さんのダブルブッキングの相談を経て、吹奏楽部のいざこざの解決を経て、四度の将来の夢を経て。


 いつの間にか俺は。




「君のことが好きなんだから、しょうがない」


 自分に言い聞かせるように、俺は呟いた。


 七瀬さんに聞こえていただろうか。

 この部屋の物静かさなら、多分聞こえていただろう。


 自己の気持ちを知られるというのは、中々に気恥ずかしいものだった。


「……そう」


 七瀬さんの声は、なんだか嗚咽交じりだった。


「古田君。また甘えていい?」


「横川駅から軽井沢駅間を歩くとか、そういう話じゃない?」


「うん。違う」


「じゃあ、ダンスで前出て踊れとかでもないよね?」


「うん……。うん」






 俺は、微笑んだ。


「じゃあ、断る理由はないよ」


 優しくそう伝えると、ベッドが軋む音がした。


 そして、ベッドから背を向けていた背中がほんのりと温かくなった。


「今晩だけでいいから、一緒に寝ましょう?」


「……わかった」


 そのまま、背中を七瀬さんにしがみつかれながら、俺は夜を明かしていった。


 我が強くて素直じゃないと思っていた少女は、どうやら意外と気弱で甘えん坊らしい。


 そんな彼女の一面を新たに知れたことが、誇らしいと共に、少し嬉しかった。これからもっと彼女の新たな姿を発見出来ると知ると、それもなお嬉しかった。


 まったく、何が彼女をどう思っているのかはわからない、だ。


 ……どうやら素直でないのは、俺だったらしい。


 そんなことをぼんやりと思いながら、時間はゆっくりと進んでいった。一時だって戻ることなく、進んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る