心の葛藤

「大丈夫だよ。オレ、覚悟出来てるから。本当の事を言ってくれよ」

 二人の前でまず昴が気丈に言った。

 ドクターが海斗に話した事をそのまま言った。海斗は顔を下に向け、上目遣いで昴の顔を伺っていた。


「やっぱりな」

 話を聞き終えた昴は少し寂しそうに言った。

「そうだろうと思った。箸を落とした瞬間に。でもそうじゃない事を願った。オレ、今絶好調だから。だけど、もう分かってる。初めて病気の事をカイトが話してくれた時、大切な事を教えてくれたし、ハイスクールで足がダメになっていった時も、コーチが大切な事を教えてくれた。オレはそこで学んだ。やりたい事もやるべき事も何も変わらない。ちゃんと見えているから大丈夫だよ。オレはやりたい事を最後迄やり切るよ」


 自分でも何でこんなに前向きな事を言えたのか分からない。だけど、言葉に出しながら、それを自分自身に言い聞かせていた。

「だから、オレがもう無理だって言うまで、宜しくお願いします」

 そう言って頭を下げた。


 昴は頭を下げている自分がちょっと恥ずかしくなって、話を切り替えた。

「ところで、カイトの肘と肩の調子はどうなんだ?」

 海斗は顔を上げてキョトンとしている。ドクターが言った。

「まあ、痛み止めを打ちながら騙し騙しやるしかないよ。あと一年半だしな。辛かったら今、打っておこうか?」

 突然振られて、海斗に戸惑いの表情が浮かぶ。

「あ、今日は大丈夫です。スバル、人の心配なんてしてる場合じゃないだろ」

 昴はニタっと笑った。

「カイトこそな」

 こんな風に笑って話せるなんて三人共が信じられない気分だった。



 覚悟は出来ているつもりでいたが、実際は思っていたよりもずっと辛い日々が待ち受けていた。

 まず、指が自由に動かなくなっていき、日常生活で出来ない事が少しずつ増えていった。スプーンやフォークも持てなくなって、手に付けたバンドにスプーンやフォークを挟んですくい上げて食べた。慣れるまでは上手くすくえず、沢山こぼすし食べる時間もかかった。服を着たり、身体を洗ったり、排泄の後始末でさえ援助をしてもらわなければならない場面が出てきた。


 高校を卒業した柊斗が昴の介助をする様になり、合宿で車の免許を取り、殆どの行動を共にするようになった。

 柊斗も車椅子生活なので昴を介助してあげられない場面も多々ある。そんな時には誰かに助けてもらわなければならないが、意外と何とかなるものだ。柊斗にとっては、障害を持った自分でも誰かの役に立てる事は嬉しかった。


 一方、これまでずっと突っ張って生きてきた昴にとって、介助を受ける事は苦痛でたまらなかった。それも障害を持って生まれてきて、自分が助けてやろうと思っていた弟に助けてもらう事になるなんて。

「そんな事迄やってくれるなよ。それ位自分で出来るぞ」

 最初のうちは柊斗の好意を怒鳴って突き放す事が多かった。それでも弟はいつも軽く受け流す。

「ごめん。やり過ぎたね。やってほしい時はいつでも言ってね」と。

 自分が弟を助けてやっている時、弟は苦痛を感じてたのだろうか? 柊斗は嬉しそうだった。まあ、あの頃は小さかったからな。でも柊斗が高校生だった時に車で送り迎えしてやってた時も嬉しそうだった。もしも嫌そうにしていたらオレは辛かっただろうな。いつまでも意地になって突っ張っている自分が情けなくなってきた。

 そして今迄は当たり前過ぎて、何とも思っていなかった普通に出来る事のありがたさを身に染みて感じるようになっていった。


 イスバスをやっている時だけは自由だった。これまでは。

 しかし、今はボールの微妙なコントロールが上手く出来ない。車椅子の漕ぎ方も変える必要が出てきた。ハイポインターはその競技の中で障害者ではないけれど、ローポインターにとっては、競技の中でも障害者なんだと痛感する。

 柊斗は練習すればするだけ上手く、強くなっていく。それに比べて今のオレは、練習してもしても、どんどん出来ない事が増えていく。明日はもっと出来なくなるかもしれないと思うと、明日を迎える事が怖くなる。


 長野パラリンピックまでまだ一年以上ある。オレはどれだけ弱くなってしまうのだろう。ローポインターとしてでも出場出来るのか?

 出場出来たとしても、四年間でこんなに衰えた自分を世間にさらすのか? 同情を買うだけで、人に夢を与える事なんて到底無理なんじゃないか? 果たしてオレがイスバスをやっている意味があるのか?

 封じ込めている思いが時々顔を出し、押しつぶされそうになる。やるべき事は分かっているはずなのに、覚悟は出来ていたはずなのに、頭では分かっていてもどうにもならない物があった。


 月日の流れと共に、指から手の平全体、腕の可動域も力の入り方も少しずつ不自由な物になっていった。

 柊斗は一緒に練習しながら、昴の様子に心を痛めていた。僕の永遠のヒーローの身体がどんどんむしばまれていく。元気なふりをしているだけ、そんな昴が痛ましくて堪らなかった。

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