進行

再び

 長野パラリンピックは一年半後に迫っていた。昴と柊斗は猛練習で更に力を付け、波に乗っていた。海斗は長年身体を酷使してきた影響で、肘や肩に痛みが出て、以前のスピードに少し陰りが見え初めていたが、それでもこのチームに無くてはならない存在である事に変わりない。あと一年半、そこに全てを注ぎ込み、自ら六回目の出場となる長野パラリンピックを最後に引退する決意を固めていた。


 日本ナショナルチームは正月を返上して合宿を行なっていた。元日の練習を終え、宿舎の夕飯はお節料理が振る舞われていた。

「少しはお正月気分を味わって、ゆっくりくつろいで下さいね」

 宿の女将さんの優しい心遣いが選手達のエネルギーになる。

「このお雑煮は田舎の味を思い出させてくれるな〜」

「まさか、ここでお節料理を食べれるなんて思ってもみなかったですよ」

 たわいもない会話をしながら、お重をつつき合っている時だった。


 昴がお重に手を伸ばそうとした時、持っている箸が手からこぼれ落ちた。

「えっ?」

 昴は予期せぬ出来事に驚き、周りのみんなもドキッとした。

「あ、ごめん。何ともないよ。練習し過ぎかな? 箸もちゃんと握ってられない程、オレ頑張っちゃってるのかな」

 笑って誤魔化したが、ほんの少し嫌な予感が走った。それは海斗と柊斗も同じで、一瞬血の気が引く思いがした。

 何事も無かったように食事を終えたが、部屋に戻ろうとする昴を海斗が呼び止めた。

「昴、本当に何ともないのか?」

 昴はドキッとした。

「え? たぶん。疲れてるだけだと思う。一瞬だったし、今は何ともないし。それにオレ、今絶好調だから」

 海斗はわざと明るく振る舞った。

「だよな。ほんとお前、絶好調だしな。でも練習、無理し過ぎるなよ。ちょっとでも変だと思ったら、すぐに言ってこいよ」

 そう言って肩を叩いた。

 そうだよな。大丈夫に決まってる。昴は自分自身に言い聞かせていた。


 その後、何事も無く一週間の合宿を無事に終えた。最後のミーティングで海斗が皆に話した。

「合宿お疲れ様。長野迄あと一年半だ。あと一年となると、色々と慌ただしくなってあっと言う間に本番がやってくる。今、身体に不安な箇所がある者はしっかりと専門医に診てもらって不安を無くした状態にしておくように。問題がある者は必ずオレにも話してくれ。次の代表合宿は一ヶ月後だが、それぞれのチームに戻って、しっかりと課題に取り組んでおく事。まずはこの合宿はかなりハードにやったから、しっかり休んで回復させて次に進むように」と。


 昴個人には追い討ちをかけた。

「大丈夫だとは思うけど、帰ったら一度ちゃんと診てもらった方がいい。オレも一緒に行こうか?」

 昴は笑って返した。

「オレ大人なんだから一人で行けるよ。不安は取り除いておかなきゃな」と。


 翌日、早速お世話になっている若月ドクターの病院で一通りの検査を終えた後、ドクターが昴を呼んだ。

「今、検査が混み合ってて、血液検査の結果が出るまで時間がかかりそうなんだ。明日には結果が出るから明日の電話連絡で構わないかな?」

「明日オレ練習あるから、夜でも構わない?」

「そうだな、20時頃電話を入れるよ」

 そう言われて昴は病院を後にした。


 本当は検査結果はすぐに出ていた。それは思わしくない物で、ドクターはそれをどう伝えるか、ひとまず保留にしたのだった。

 若月ドクターは海斗の身体も診ていて、海斗と昴の関係をよく知っているので、海斗にまず連絡を入れる事にした。

「明日、来れるかな? 君の状態もちゃんと診ておきたいし、スバルの検査結果について、本人に言う前にちょっとカイトに聞いておいてほしいと思ってるんだ」

 海斗は慌てて尋ねた。

「スバル、悪いんですか?」

 ドクターは落ち着いた口調で言った。

「少しね。明日来れるならそこでちゃんと話すから」と。


 昴の足は数年間で全く感覚も無くなり、動かない物となってしまったが、悪いのは足だけに留まっていた。発病してからもう何年も経っていたので、進行性の病であるという事は忘れかけられていた。

 それが、遂に手に及んできてしまったのだ。足の異常は、絡まったり、つまずきやすくなった事で始まった。それと全く同じで、箸を落とした事がその兆候なのだ。昴自身も海斗も柊斗も、それが兆候かもしれないと一瞬頭をよぎったが、大丈夫だという願望がすぐにそれを打ち消した。

 しかし、やっぱり‥‥‥

 昴の手が、足と同じ道を辿る事になるだろうという予測が出来た。一年位で動かなくなる確率が高い。しかし、足の時もそうだったように、それは絶対とは言えないし、動かなくなるにしてももっと先の話かもしれないというのだ。


 海斗はそれを若月ドクターから聞いて、いたたまれなかった。

むご過ぎる」と言って涙を流した。

 ドクターが海斗の肩を叩いた。

「スバルには、結果は今日の20時に電話連絡する事になっているんだ。どう伝えるべきか悩んでいるんだよ」

 海斗は顔を上げて言った。

「ここに呼びましょう。今、あいつはドゥーリハにいるはずだから。三人でここで話ましょう。本当の事を」と。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る