失う事で得た物

 慣れていくと思っていた。次第にスピードに対する恐怖感も無くなっていくだろうと思っていた。

 ところが実際は違った。スピードを上げたいと思わない。数日たっても身体が拒否しているように感じた。

 それどころか、その次の数日間はいつものスピードも出せない日があった。そしてそんな日が度々顔を出すようになっていった。

「天候とか身体の調子とかで浮き沈みはあるはずだから、あまり気にするな」とコーチには言われていた。

 五対五など実戦形式の練習で、必ず正メンバーに指名されてきた昴がコートの外で過ごす事が多くなっていった。昴はそんなコート外の時間をフットワークやハンドリングなど自分自身の技術練習に使い、身体が衰えていく事に必死にあらがっていた。何とかしないといけないという苛立ちはコーチの目にもはっきりと映っていた。


 そんなある日の練習後、昴はコーチに呼ばれた。

「どうだ? スバル。辛いか?」

 昴は正直に答えた。

「ああ。やっぱり医者に言われた事は間違いじゃなかった。コートから外れるのは辛い。オレがいない五対五の練習を直視する事も出来ない。だけど、この辺で食い止めてやる。これ以上悪化しないように頑張って、またここから這い上がって、コートの上に立ってやる」と。


「スバル、よく聞け。オレはお前が病気だからって情けは掛けない。いつも最善だと思うメンバーを選ぶ。勿論スバルが必要だと思えたらお前を選ぶ。

 お前の一番の武器は個のスピード、テクニック、それを軸にチームの得点を重ねる事だった。そのスピードが他の選手と同等になり、テクニックも生かせず、チームの得点に繋がらないとなれば、お前を使う意味が無くなる。

 自分の衰えていく身体に抗うのも良い。だけどな。現実を見ろ。衰えていく事に抗う事は多少出来ても、それを自分の武器にまで取り戻していく事は困難極まりない。

 辛いのは分かっている。でも再びコートに立ちたいのなら、これ迄の発想ややり方を変えろ。今持っている思考回路を変化させろ。失せていくスピードを求めるより、これ迄無かった物を身に付けて磨いていけ。今、病気で衰えていくのはスバルの中のほんの一部分だけだ。それにこだわらずに、自分自身を変化させていく事を考えてみないか? 

 まずは他人を観て学んで考えろ。コートの中でプレー出来ない時は観ろ。チーム練習中の個人練習は禁止する。個人練習をやりたいのなら、チーム練習以外の時間にやれ。分かるか?」


 スバルはキョトンとした顔をしていた。

「自分自身を変化させる? どうやって? オレは何をすればいいんだ。教えてくれよ」


「それは自分で考えろ」とコーチは言った。

 コーチの言う事をこんなに素直に聞こうとする自分が不思議であり、コーチの言葉は深い所に刺さったんだと感じた。

 抜群の身体能力をを持つ昴は、これ迄プレーに関して考えた事など殆ど無かった。イメージと感覚を持って繰り返す事で磨き上げてきたプレー。それが通用しなくなった今、生き残る為に、昴は必死になって考えた。


 何をどうすれば良いのか分からなかったが、まずはコーチに言われたように、コートの外に出された時、しっかりと観る事から始めた。

 観ていると腹が立つ。何でそこにパスなんだ? 何でそこで切り込まない? そんなシュート外すか? リバウンド取れよ。ルーズボール終えよ。ちゃんとした足があるんだろが‥‥‥

 自分と同じポジションのガードの動きを追い、自分の視点で観て、自分なら、自分ならと勝手にイメージが浮かぶ。

 観ているのが苦痛だった。時々思いがそのまま言葉になって口から出た。苦痛で堪らなかったが我慢して数日間見続けた。


 時々、自分のイメージと違う事が起きた。「そこにパス入れるなよ」と思った所でシュートが決まったりする。

 何で? って思って、少しフォワードやポストといった自分と違うポジションの選手の動きを追うようになった。オレがコートに立っている時、奴らはあんな動きはしてなかったはずだ。「良い」と思える動きが時々現れる。自分からボールを求めたりもしている。選手同士の連携は上手く取れているとは言えないが、一人一人の個性が見えた。


 オレはいつも自分のタイミングで突破し、自分の視点で仲間を動かし、ゲームを動かしてきた。チーム員一人一人の個性やどう動こうとしているかなんて考えた事が無かった。それで上手くいっていた。

 今はどうだ? ガードがちゃんと指示出来ないから、皆の動きは統一されていないけれど、その変わりに一人一人が主張し、いい動きが出来ているのだろう。それを生かして上手く合わせる事が出来れば! 

 フォワードのルークの主張、いつもオレと言い争いになる原因はここにあったんだと気づいた。あいつがやりたい事をオレは無視し、仲間達の個性を殺してたのはオレだったのかもしれないと思った。


 ブリスベン五輪の時の海斗の姿が思い浮かんだ。あの時、海斗は左手が使えなくて、思うようなプレーが出来なかったはずた。それでもゲームは海斗が組み立てているように感じたけれど、支配している感じじゃなかった。海斗自身の目立つ動きは無かったけれど、あの時、個々の力を引き出していたのは海斗の力だったんだと、たった今感じる事が出来た。


 そこで入れろ! 中だ! 誘い込んで外だ!

 昴の口から出る言葉が、自分中心のタイミングの物から、仲間のタイミングに合わせた物に変わってきている事にコーチは気づいていた。


「そこだ!」その声とほぼ同時にガードがシュートを打ち、そのシュートは外れた。

「違う。ルークだ!」

 思わず出した昴の声を聞いてルークは驚いていた。あのタイミングでパスがほしかった。

 昴は思った。

「オレならあそこにパスを出せた。オレにしか出せないパスを」と。コーチに熱い眼差しを向けると、コーチも昴に目を向けた。

「選手交代だ。スバル、チャンスは五分間だけだ」


 昴はタッチを交わし、コートに入ると皆に言った。

「オレは今、あんまり動けない。自分のタイミングで突破出来ないから助けてくれ。さっき迄の動きでいい。それにオレが合わせるから」と。


 昴はボールをキープしながら得点のチャンスをうかがっていた。これまでコート上で見てきた景色とは別の世界が広がっているようだった。オレは今迄何を見てきたのだろう? 

 先程のような場面がやってきた。左の方向に身体を向けながら、右から走り込んでいるルークに鋭いパスを入れた。

 ルークが欲しかったタイミングと少しズレて、想像していなかった速さの鋭いパスが来たので、ルークは驚いてボールを弾いてしまった。ボールはバウンドを繰り返し、外に転がっていった。昴の怒鳴り声が響く。

「取れよ! それ位!」


 ルークは笑っていた。

「弱ってるスバルがあんなパスを出せるなんて思ってなかっただけだよ。もう少し早いタイミングのもっと緩いパスを想像してた。分かってたらゴールに結び付けられた。もう分かった。ナイスパスだ! スバル!」


 昴はルークにだけではなく、そんなパスをどんどん入れた。

「スバルのタイミングでそんな強いパス入れてもキャッチすら出来ないだろ!」

 そんな声があちこちから聞こえたが昴は冷静に言った。

「オレのタイミングでやってるんじゃない。ついこの前迄はオレのタイミングでやってたけど。今はお前のタイミングに合わせてるんだ。慣れろ。もうちょい早く反応出来れば必ずゴールに結び付けられるから」


 昴の要求は高かった。最初のうちは連携が上手く取れず、怒鳴り声が飛び交っていたが、次第に素晴らしい連携プレーが見られるようになっていった。






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