02 武蔵、石浜にて

 うるう二月、武蔵野は寒い。

 茫漠ぼうばくと広がる曠野こうやに、さえぎるものなく朔風さくふうが吹く。

「…………」

「公方さま」

「公方ではない、頼章よりあき


 武蔵、石浜。

 馬上、北を望む足利尊氏は、隣に控える執事・仁木頼章にっきよりあきに対し、発言の修正を求めた。

「予は、北畠親房きたばたけちかふさきょうにより征夷大将軍の位を取り上げられた。代わりに」

 尊氏の視線が強まる。

 頼章もまた北を見た。

 その先には、新田義宗、そして征夷大将軍・宗良親王の本陣、笛吹峠があるはずだ。

「では尊氏さま」

 頼章は改めて尊氏に言上する。

武蔵平一揆むさしへいいっき、河越直重、未だ参ぜず」

 武蔵平一揆とは、武蔵における平氏系の地域領主の連合体である。河越直重は、その長にあたる。

「そうか」

 尊氏の表情は変わらない。

 状況の急変、不利な状況には慣れている。

 そういう表情だ。

 だが頼章はかぶりを振って、無念の意を示した。

「かように……京に鎌倉にと破れ、武蔵平一揆にも見放され……」

「頼章」

 尊氏の表情が変わった。

 笑った。

 頼章は目を見開く。

「親房卿の策、たしかに見事。が……」

 尊氏の手が頼章の肩を叩く。

「それだけだ」

「それだけと言われましても」

「ふむ……」

 尊氏はひげこする。

「忘れたか、頼章」

「何を」

 高師直こうのもろなおに勝るとも劣らぬ辣腕らつわんを誇る、仁木頼章が動揺する。

 何故なにゆえ、尊氏はこのように笑っていられるのか、と。

「この東西、予も策したことがある」

「あ……」


 元弘三年(一三三三年)。

 足利氏は、倒幕を決意。

 幕命により西上していた氏は、人質として留め置かれた嫡子・千寿王(足利義詮よしあきら)を鎌倉から脱出させた。しかるのちに千寿王の下に大軍を組織し、鎌倉に圧力をかけ、その隙に自身は京・六波羅をおとすという策に出た。

 この策により氏は六波羅を制し、後醍醐天皇率いる倒幕勢力の中でその功績を認められ、後醍醐天皇の名・尊治たかはるからの一字を賜り、氏改名の栄に浴した。


「しかし」

 氏は、当時のことを思い出す。

「策は、破れた」

「それは」

 頼章の言に、尊氏はかぶりを振った。

「いや、破れた。予の策は……当初描いていたとはちがう、絵となった」

 だが尊氏は、それがいかにも痛快だという表情をした。

こそ……まことの武者よ。草莽そうもうよりで、武蔵野をき、ついには鎌倉をおとす……」

 実に壮挙だ、と尊氏は笑いながら、頼章に問うた。

「頼章」

「は」

「義詮、基氏から、何か伝えて来たか」

「ご両名とも、こちらは何とかするゆえ、そちらも何とかしてくれ、と」

「そうか」

 ではやるしかないな、と尊氏はまた、ひとしきり笑った。

 



 

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