第36話 証拠

「本題に入りましょう」


 チョコレートタルトを食べ終えた頃、リオンが言う。

 すると、ケリードは『もう?』と嫌そうな顔をした。


 何故だ。

 本来の目的は職場で出来ない昨日の会話の続きのはずだ。


「せっかちだね。もう少し余韻に浸らせてくれても良いんじゃない?」


 お茶の時間はのんびりしたいタイプかしら。

 

「そういう訳にもいかないわよ」


 リオンの言葉にケリードは嘆息する。


「あなたの目的が何なのか、改めて教えてもらっていいかしら?」


 リオンは改めてケリードと向き直る。

 そして少し残念そうな顔をしてケリードは手にしていたカップを置いた。


「前にも言った通り、僕が欲しいのはスチュアートの家印さ」  


 昨日と同じ言葉をケリードは繰り返す。


「家印…………」


 リオンは口元に手を運び、記憶を辿る。


 家印……って印鑑のことよね?

 ってことは、置いてあるとすれば執務室だけど……。


「そんなものを手に入れてどうするの? 言っておくけど、お金はそれでは動かせないわよ」


 スチュアート家の財産はリオンの血印でのみ、銀行から動かすことができる。

 普通の印鑑では金を動かすことはできない。


「何か勘違いしてない? 別にスチュアートの財産になんて興味はないよ」


 ケリードは嘆息する。

 呆れたような目でリオンを見つめるケリードにリオンは余計に疑問が深まる。


「ある意味、財産。それ以上に価値があるものだけどね。君や弟への脅威にはならないし、悪用するつもりはないから心配しなくていいよ」


「どういうこと?」


 ケリードはリオンにヒントを出すがリオンにはその言葉の意味が理解できない。

 

「少しは自分で考えなよ」


 そう言ってケリードは楽しそうに薄っすらと口元に笑みを浮かべる。

 これ以上はヒントを出すつもりはないらしい。


 利用目的は不明だが、リオンはシオンの脅威にならなければ何でもいい。

 今までも火事場泥棒によって盗まれたスチュアート家の品を闇オークションや闇市で売買されているのを見てきた。


 王家から下賜された剣、代々伝わるアクセサリーや宝石、祖先が手掛けた木工細工や祖先も趣味で保管されていた美術品、オーダーメイドで作られた家具、様々なものが勝手売買されていた。


 今でも怒りを覚えるが、どうしようもない。

 スチュアートの家紋が入った品を集めるコレクターがおり、多くの品はその者の手に渡っていると噂をジェイスから聞いたことがある。


 そんな状況なので今更印鑑が一つこの男の手に渡ったとしても構わない。


 しかし、問題はリオンがその印鑑がどんなものか分からないことだ。 


 六歳までの記憶の中に父がそれらしいものを使っていた記憶を探すが、どれのことを指しているのか分からない。


 それに、邸は火災で燃え落ちた。

 何者かに持ち出されでもしない限り、焼失している。


「悪いけど、心当たりがないわ。私は当時六歳の子供だったし、家門の仕事には関わっていなくて……」


 父の執務室にも数えるほどしか入った記憶はなく、机の引き出しに触れたことすらない。


「ある場所は分かってるよ」


「え?」


 その言葉にリオンは目を丸くする。


「どこにあるの?」


 知っているなら取りに行けばいいだけだ。

 ありかを問うリオンにケリードはにっこりと嘘くさい笑顔を張り付ける。


「秘密」


「は?」


 この期に及んで何を秘密にする必要があるのよ。

 

 心の中でリオンはぼやく。

 

「在りかが分かっているのに、手を出さないの?」

「出さないんじゃない。出せないんだよ、まだ」

「まだ出せないってどういうこと?」


 先ほどと同じく『少しは自分で考えなよ』と言われるかと思いきや、ケリードは口を開いた。


「僕の父は君の父と旧知の仲でね。僕も君の父親のことは結構知ってるんだ」


「え⁉」


 リオンは驚きを顕わにする。

 こんなにも近くに父の知り合いがいると思っていなかったからだ。


「僕は君の父から条件を満たせばスチュアートの家印を譲り受ける約束をしている。それはロナウス・スチュアートが亡き今も破られていない」


「もしかして、血印契約を交わしたってこと?」


 リオンの言葉にケリードの黒縁眼鏡のレンズが光る。

 どうやら正解を引き当てたようだ。


 血印契約は誰でも結べるわけではない。

 互いの信頼、信用、強い絆がなければ結ぶことはできない。


「何か、父と血印契約を交わした証拠は持ってる?」


 もし、本当に父ロナウスと血印契約を交わしたのであれば、父からの信頼と信用がある人間だということだ。

 間違いなく、リオンにとっても信用に値する。


「物ではないけど、知ってることがあるよ」

「誰でも知っているようなことじゃ、話しにならないわ」


 私があなたを信用できる証拠じゃないと意味がない。

 

 最初は胡散臭くて信用できないと思っていたのに、今ではケリードを信用したいと思っている自分がいる。


 父との繋がりがあるというケリードを。


 だからどうか、信用させて。

 私があなたを味方だと思える証を見せて。


 リオンは緊張しながらケリードの言葉を待った。


「結局、こうなるんだね。知ってたけど、君って僕のこと全然信用してないんだね」


 口を開いたケリードは不機嫌そうな表情で席を立つ。


 やっぱり無理ね。


 不貞腐れたように席を立つケリードを見て、リオンは絶望的な気分になる。

 少しだけ期待した。

 この人は自分を信じさせてくれるんじゃないかと。


 ジェイスが亡くなった今、リオンにはすぐに頼れる相手がいない。

 共に戦い、気持ちを分け合える相手になってくれればいいのにと心の底で願っていた。

 だけど、証拠がなければ安易に信用するわけにはいかない。


 リオンはぐっと溢れ出しそうな感情を堪え、立ち上がる。

 もう帰ろう。そう思った時、ガタンと何かを開ける音がした。


 音の方向を見ると、ケリードがピアノの鍵盤の蓋を開けていた。

 一体、何をするつもりなのだろうか。


「物はない。けど、君が父親の誕生日に贈った曲を知っている」


 その言葉にリオンは唖然と立ち尽くした。

 


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