第35話 懐かしい味

ケリードに連れられてやってきたのは街角に静かに佇む飴色の建物だった。


「ここ?」

「そう。入るよ」


お店の扉の前には『close』の札が掛けられているがケリードは遠慮なく扉を引く。


カラカランと扉の上に付いた鐘がなり、その音が誰もいない店内に静かに響いた。


店内はさほど広くはなく、ショーケースが並んでいるのを見ればお菓子屋さんだということは分かるが肝心の商品は一つもない。


「ほら、入って」


ケリードがリオンを店内に入るように促し、素直に従うとケリードは後ろ手で扉の鍵を閉めた。


「行くよ」


 そう言ってケリードは人差し指を天井に向ける。

 どうやら二階に上がるらしい。


 店内の奥の扉を開けて現れた階段から二階に上がり、扉を開けると窓から日差しが入り、一階よりも明るく感じられた。


 部屋の中は飴色で統一されたテーブルと椅子が

三組ほど置かれている。

 入り口から右手にカウンターがあり、棚には酒がいくつも並んでいて、カウンターと向かい合うようにピアノが置かれていた。


 そして存在を強く主張していたのがピアノだった。


 店内を見渡しても誰もいないが、先ほどまで誰かがいた形跡と、気配が色濃く残っている。


「ここは?」


「知り合いの店。夜はバー、昼間は喫茶店」


 ケリードは短く答え、バーカウンターに入ると、リオンに背を向けてゴソゴソと物色し始めた。

 それを見たリオンはぎょっとする。


「ちょっと、勝手にそんなことしたら捕まるわよ」


リオンはケリードの背中に向かって言った。


 いくら知り合いの店であっても勝手に店内を漁るのはマズイだろう。 


「問題ないよ」


くるりと振り向いたケリードの手には大きめのトレーがあり、その上には可愛らしいお皿に乗ったチョコレートのタルトと湯気のたったティーカップがある。


 カップの紅茶は今淹れたばかりのようだ。


「そっちに座ろう」


 トレーを持ったケリードが日当たりの良い窓際の席を指す。


 リオンはその席に座り、タルトとお茶を運ぶケリードの代わりに椅子を引く。


「ありがとう」


 ケリードはそう言ってトレーから二人分のタルトと紅茶をテーブルに並べ、トレーはその隣にある無人のテーブルへ置いた。


「どうして無人の店内からタルトと淹れたての紅茶が出てくるのよ」


 リオンは疑問を口にする。


「この時間ピッタリに行くから席を外すように頼んだから」


 だから淹れたての紅茶が目の前にあるとケリードは言う。

 

「さぁ、冷めないうちにどうぞ」


 ケリードはリオンが手に取りやすいようにカップを動かしてくれる。

「あ、ありがとう」


 いつも嫌味ばかりのケリードの紳士的な振舞にリオンは戸惑う。

 何だか、急に優しくなった気がする。


 何か裏があるのかしら……?


 スチュアート家の家印が欲しいと金のジョーカーは言っていた。

 ケリードもジョーカーの仲間なら同じものが欲しいのだろうか。


 そんなことを考えているとケリードが先にカップに口を付ける。


「冷めるよ?」


「えぇ……頂くわ」


 視線だけをこちらに向けるケリードから目を逸らし、リオンはカップを持つ。


 ふわりと紅茶の良い香りが鼻孔を掠めた。

 どこかで嗅いだことのある懐かしい香りだ。


 一口、含めばその味の懐かしさに目を細める。


 子供の頃によく飲んでいた紅茶だ。

 渋みが少なく、甘みがあって子供でも飲みやすい。


 今の給料ではちょっと手が出ない、貴族御用達の超高級茶葉だ。

 

「美味しいわ」


 リオンは素直に感想を口にする。

 懐かしい味わいに気持ちが和んだ。


「タルトもどうぞ」


 そう言ってケリードはタルトを薦めてくる。

 小さな円形のチョコレートタルトがリオンを誘惑する。


 手で持てる大きさのタルトは上に砕かれたアーモンドが乗せてあり、その見た目にどこか既視感を覚えた。


 リオンはタルトを手に取り、口に運ぶ。

 サクサクとしたタルト生地と甘さとほろ苦さのバランスが完璧なチョコレートが子供の頃のお茶会を彷彿とさせる。



「…………これって……」

 

 食べたことあるわ……。間違いなく。


 リオンが昔、好んで食べていたお店のタルトと同じ味がする。

 邸で開かれたお茶会で誰かが持って来てくれたお店のタルトだ。


 とても美味しくて、リオンも使用人に頼んでそのお店から同じものを買っていた。

 名前は思い出せないのに、味だけはしっかりと記憶に残っている。


「この店の店主の父親は貴族御用達の菓子職人でね。腰を痛めて引退したんだけど、顔見知りには特別に作ってくれるんだ」


 ケリードは紅茶を飲みながら説明し、自身もタルトを口に運ぶ。


「美味しいでしょ?」


「うん。美味しいわ。凄く」


 これって偶然なのかしら?


 どうしてこの男はリオンが好きなものを、懐かしいと感じるものをピンポイントで当ててくるのだろうか。


 リオンはタルトを口に運び、その懐かしさを頬張る。

 もう二度と味わうことはできないと思っていた思い出の味だ。

 

 自分がかつて貴族の令嬢であったことと、全てを失くしたことを思い知らせてくれる甘くて少しだけ残酷な味。


「美味しいわ」


 だけど、この甘くて苦いタルトを憎んだり、嫌いになったりできるはずはない。

 何となく、朧気だった記憶が蘇ってくる。


 初めてこのタルトをリオンに食べさせてくれたのは、確か男の子だった。

 そんな気がした。


 


 


 


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