第28話 疑問


「ちゃんと捕まらないと落とすからね」


 サラリと恐ろしい言葉が聞こえた気がする。

 眼下に広がる茶色のタイルがこれ程にも遠く、恐怖を感じたことは今までにない。


 降ろして欲しいけど頼むから落とさないで!


 リオンは男の白い服と背中にしっかりしがみついた。 


 男は建物の屋上や屋根を跳躍してケラー弁護士事務所からみるみる遠ざかっていく。


 赤い仮面の男達は逃げたのか捕まったのか不明だが追って来る様子はない。


「あ、手が」


 リオンの身体を支えていた男の手が離れ、ふわりと身体が浮いた。

 夜の冷たい風と刹那の浮遊感に肝が冷える。


「ひっ! 離さないでよ! バカ!」


 リオンは自分の腕に一層力を込めて男の背中にしがみついた。


「冗談だよ、離すわけないでしょ」

「怖いこと言うな!」


 クックと喉を鳴らして愉快そうに言う男の背中を殴りたい衝動に駆られるがそんなことをしたら本当に落とされる気がしてしがみつくことしか出来ない。


「やっと声出したね」


 しまった、とリオンは思った。


「もうだんまりする必要ないでしょ」

「……貴方、誰? 何で私を助けたの? 私を助ける理由に見当がつかないんだけど?」


 リオンはこの状況で一番にするべき質問をした。


「助けてあげたのに、最初に言うことがそれ?」

「…………助けて頂きありがとうございました」


 嫌味な言い方に腹立たしさを感じながらもリオンは言う。


「たっぷり空いた間が気になるけど。まぁ、いいよ」


「次は私の質問に答えてよ。貴方、誰? 何のために私を助けたの? どこ連れてく気?」


「要求の割合がおかしいよね? フェアじゃないよ」


 リオンの回答要求の多さに男が不満気に言う。


「それに、あいつらも言ってたでしょ、金のジョーカーだって」


 そんなことは分かっている。


 金の仮面を着けたピエロの集団の特徴は個々の戦闘力が高く、少数派であり、自らは進んで争いを起こさず、テリトリーを侵害された場合のみ、抗争すること。


 どこからどこまでが彼らの庭なのかは定かではないが比較的王宮に近い区域をテリトリーにしているとの噂だ。


 先日と同じく、金のピエロ達の統率者が自ら姿を現したということはここも彼らの縄張りなのだろうとリオンは思った。


 問題はそんなピエロ達の統率者が何故、リオンを助けたのかということだ。

 リオンは自分を助けてくれそうな人物を頭の中で探す。少し考える時間が欲しい。


「ねぇ、このカツラ外していい?」


 リオンは腰まで届く長い金色の髪を控えめに引っ張った。

 リオンのカツラよりも手触りがなめらかで上質な感じがする。


「ダメ」


 小さい子供を窘めるように男は言う。


「何で?」

「……」

「それって、貴方が私の知っている人だから? バレちゃ困るの?」

「バレたら困るからこんな仮面着けてるんでしょ」


 君だってそうでしょ? と男は言う。


「じゃあ、質問を変えるわ。どうして私を助けてくれたの? 金のピエロに私を助ける利点が思い当たらない」


「赤いピエロに捕まる理由には心当たりがあるのに?」


 拗ねたように男は言った。


 どうして自分がリオンを助ける理由が分からないのか、と責められているように聞こえる。


 どうして僕のこと知らないの? と言われているような感じだ。


「だって、仕方ないでしょ。私を助けてくれる人は限られてる」


「その『私』っていうのはリオン・シフォンバーグのこと? それともリオン・スチュアートのこと?」


 その言葉にリオンを見開き、身体を強張らせた。

 ドクンと心臓が大きく跳ねて、止まったはずの嫌な汗が背筋を伝う。


「……」


 リオンは怖くなって口を噤んだ。


 私はこの男のことを何も知らないのに、何故この男は自分が隠して来た秘密を知っていて、それを簡単に口に出すのか。


「まただんまり? 意味ないって。僕は君の正体を知ってて助けたんだから」


 黙秘する意味ないよ、と男は告げる。


「ねぇ、何か言ってよ」


 黙ったままのリオンに男が苛立ちを含んだ口調で言った。


 何を話せと言うのだろうか。

 こちらの質問には何一つまともに答えないくせに。


「私が何年も隠してきたものはこうも簡単に露見してしまったの?」


 事件が起きて十三年の月日をリオンは自分の正体を隠しながら生きて来た。

 自分とシオンを守るために必要だと理解していても、自分を偽り、隠れて生きるのは辛くて苦しいものだった。


 大好きな父母と使用人達と過ごした家を一晩で失い、唯一の肉親である弟とは離れ離れになり、大好きだったバイオリンを弾くことも難しくなった。


 子供ながらに恋もしていた。


 家族と共に暮らすごく普通の日常と好きなバイオリンを好きなだけ弾いて、小さな恋を実らせたい。


 望んだものは多くなかった。

 六歳の少女が望んだものはたったこれだけだ。


 それらを一夜にして奪い、リオンは絶望と恐怖の奈落へと突き落とされた。

 そして十三年の月日が経つ今、再びリオンを恐怖に陥れようとしている。


 リオンが生きていることが露見すればシオンの身が危ない。


 リオンの生死が不明で世間では死んでいることになっていたからこそ、事件の記憶が一切ないシオンが脅威に晒されることはなかった。


 しかしリオンが生きていると知れれば、リオンを誘き出すためにシオンを利用しようとする輩が出て来るのではないか。


 リオンはそれが怖かった。

 全て失ったリオンにはシオンしかいない。


 シオンを自分から遠ざけることでリオンはシオンを守っていたつもりだった。

 自分を隠して息を顰めて生きて来たつもりだったのに。


 悔しさでリオンは唇を噛んだ。


「言っておくけど、まだ君の正体は露見してないよ」

「え?」


 思いがけない言葉にリオンは驚く。


「感づかれたのは君の生死。君、弟の誕生祝いに安易に銀行の財産を動かしたでしょ」


 そのせいだよ、と男は言う。


 安易、という言葉にリオンは胸を抉られた気分だった。

 全ては自分の軽率な行動が招いた結果であることが情けなくて仕方ない。


「まぁ、君が弟の成人を祝いたかったって気持ちも分かるよ」


 十三年もの間、君が大事に守ってきた弟の成人だからね。


 その言葉にリオン少しだけ救われた気がした。


 自分の苦しかった十三年間が肯定された気がしたからだ。


「弟の誕生日を祝いたかった姉心は否定しないよ」


 男の口調がいやに優しいせいもあってリオン鼻の奥がツンとくすぐったくなる。

 タンっと靴の踵が響いたと思ったら男は足を止めて建物の屋上へと降り立った。


 ゆっくりとした動作でリオンを肩から降ろす。


 リオンはようやく踏み締めた足裏の硬い感触に安堵した。


「それもそれだけど、まずは反省してくれる? 簡単にこんなの着けられて、僕がいなかったらどうなっていたか想像しなよ」


 リオンの腕を掴んで月明かりに晒すように持ち上げる。

 鉛色に薄らと緑色が混ざったような金属がリオンの腕に嵌っている。


 反射的にその腕を振り払おうとするが今のリオンの力では男の腕は微動だにしない。


「全く。ぬけてるにも限度がある。隙だらけだからこんなことになるんだよ。よく今まで捕まらなかったね」


 ほんと、この国の警吏って無能なんだね、と男は言う。


 その言い草にはリオンも黙っていられない。


「何も知らないくせに勝手なこと言わないでくれる? みんながみんな無能な訳じゃないんだけど!」


「知ってるからこそ言えるんだよ。十年以上経つのに未だに君の家族を殺した犯人を捕まえられないどころか、幼かった君のことすら見つけられなかったじゃない」


 これを無能と言わずに何ていうのさ? 


 その一言にリオンは押し黙るしかなかった。


 まさに今の言葉はリオンが長年思ってきたことと全く同じだからだ。


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