第29話 噛まれた指


「まぁ、それは僕も同じだけと」


 自嘲気味に男は言う。


 リオンは何か言おうと言葉を探すが、何も出て来なかった。

 自分が言いたかったことをこの男は言葉に出してくれた。


 何故、自分の家族を殺した犯人を捕まえられないのか。


 本当は自分が無能な警羅隊組織を罵倒し、批判し、否定したかった。

 警吏という立場上それが出来ないリオンの代わりに目の前の男が叶えてくれたのだ。


 心が軽い、というのかしら。


 今まで抱えていた胸の重みが少しだけ解消された気がする。


「とりあえず、当分は大人しくしてることだね」

「何で顔も名前も知らない奴にそんなこと言われなくちゃならないわけ?」


 何だか偉そうに話す男に反論すると手錠の鎖をグイっと引かれる。


 助けてやった恩人にその口の利き方は何だ、とも言いたげな男にリオンは不満気な表情になる。


「君があいつらの手に渡ると困るんだよ」

「は? 何で?」


 リオンが疑問を口にすると大きな溜め息が聞こえてきた。


「聞いてばっかりいないで少しは自分で考えたり、思い出したりしてみたら?」

「だから! それが分からないし! 心当たりがないから言ってんでしょ⁉」


 しかも冷静さを欠いている今、思考は纏まらない。


 それに、思い出したりって何よ?


「あーあー、時間切れだね」


 そう男が言うと同時に騒がしい音が段々とこちらに近付いていることに気付いた。

 先ほどの男達を追っていた警羅隊がこの付近にまで捜索隊を広げているのだろう。

 リオンは手首の手錠に視線を落とした。


 今のままでは警羅隊の追跡から逃れるのは無理だ。


 早くどこかに身を隠さなければ。


「ちょっと、どこ行く気?」 

「いたっ」


 その場を離れようとすると男に手錠の輪を引っ張られて引き戻される。


「離してよ。あんたはと違ってこっちは呑気にしてらんないの!」


 今こんな所で捕まる訳にはいかない。


 早くこの場所から離れたいのにこの男がそれを邪魔をする。


 もうこうなったら急所に一発……。

 禁じ手だとは思うがもうこれしかないのでは?


 仮にも助けてくれた恩人に対してする行為ではないかも知れないが、今はこの恩人からも逃れなくてはならないのだ。


 昔、恩師も言っていた。自分の身が危うくなった時は躊躇うなと。


 どんな強い警吏でも悪党でも男である限り急所は一つ。

 リオンは息を深く吸い、呼吸を整えて決意を固めた。


「君、今、恐ろしいこと考えてたでしょ」

「何の事?」


 振り上げようとしていた脚をさっと引いてとぼけて見せる。


「はぁ。まぁ、いいや。判断としては間違えてないと思うし。けどね……」

「うわっ」 


 ぐいっと手首を手錠の鎖ごと掴まれて引き寄せられた。


 息が触れるほど近くまで引き寄せられたことに驚き、一瞬だけ息が止まり身体が硬直する。


 そしてゆっくりとした動作でリオンの手を口元に導き、リオンが着けていた手袋ごと指に噛み付いた。


「いつっっっ!」

 鋭い痛みが全身を走り抜け、手を振り払いたいのに男の力は強く、今のリオンではどうしようも出来なかった。


「それは君の身が危険である時のみだよ」


 女を勘違いさせる甘い声音で男は言う。


 それって今じゃない⁉ 何で噛んだの⁉


 殴りたい! でも噛み付かれた指が痛くて文句も出てこない。


「言っとくけど、僕怒ってるんだ。人の忠告を聞かなかったお仕置きだよ」

「はぁ?」


 噛まれた指を擦りながらリオンは疑問符を口にする。


「じゃあ、そろそろ危ないし。真っ直ぐ帰るんだよ?」


 すぐそばまで迫る警羅隊の騒音にリオンは肝を冷やした。


「帰るって言ったって……」


 リオンは手錠を見つめた。

 これが嵌っている限り、リオンの身体能力は戻らない。


「全く世話が焼ける」


 男はひょいっとリオンの身体を抱き上げる。


「ちょっと! 今度は何⁉」


 男はリオンを軽々と抱き上げ、軽い足取りで幅の狭い手摺の上に飛び乗った。


「何してんのさ!」


 遥か下に見える地面と吹き抜ける風がリオンの恐怖心を煽る。


「君は視野が狭いんだよ。もっと周りをよく見ることだね」


 ため息交じりの呆れた声がリオンの苛立ちを増幅させる。


「ここに来て説教⁉ 本当にあんた誰⁉ 何が目的で私を助けたのさ⁉」


 落とされないようにしっかり男にしがみついたままリオンは言う。

 しがみついたままというのが情けないが、落とされたら命はない。


 せめてもの抵抗のつもりでリオンは男の耳元で怒鳴る。


「少しは自分で考えなよって言ったでしょ」

「だからっ……へ……」


 ふわっと身体が浮いた気がした。

 否、気のせいじゃなかった。


「真っ直ぐ帰ってね」


 わざとらしい笑みを口元に浮かべて小さく手を振る男がどんどん遠ざかって行く。

 腕を伸ばしても届くことはなく、向こうもリオンの腕を掴む気はないことがすぐに分かった。


 落ちてるじゃん!


 自分の身体が地面に向かって一直線なことを理解した。


 嫌だ! 死にたくない! 死にたくない!


 こんな手錠さえなければ! 


 そう思って自分を縛る手錠を睨み付けた。


「あれ?」


 確かにあった手錠が消えている。


 両方の手首を確認するが、先程まであった手錠はそこにはない。

 リオンは地面に軽やかに着地をして、建物の上を見上げた。


 地上から見える位置に男の姿はない。

 そして警羅隊のサイレンと騒々しい足音が遠ざかっていることに気付いた。


「もしかして、時間を稼いでくれてるの?」


 なんなの……あの男。


 リオンは手袋を外して噛み付かれた指を確認した。

 噛まれた右手の薬指には血が滲み、歯型ができている。


「痛い……」


 傷の部分を舌先でなぞるとヒリヒリとした痛みに加えて血の味を感じた。

 今夜の出来事は決して夢ではないのだと教えられているようで不愉快な気分になる。



「捕まらないでよ……」


 次、会った時は知っていること全部話してもらうんだから。







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