第26話 危機


 昼間の賑やかな街並とは打って変り、時計の長針と短針が調度天井で重なる深夜にリオンは再び同じ場所へとやって来た。


 駅前通りに位置する場所は夜も煌びやかかと思いきや、人の声で賑わうのは駅を挟んで反対側の通りである。あちらは昼間は静かな町並みだが、日が暮れる頃に光を灯し、闇へと飲み込まれる頃に活気づく。


 反対に今いるこの通りは日暮れと共に、人気がなくなり、閑静な夜の街へと変化する。


 リオンは闇に溶け込める黒い衣装を身に纏い、ジェイス・ケラー弁護士事務所へとやって来た。


 入口には立ち入り禁止のテープが貼られ、部外者の侵入を拒んでいる。


 男か女か一見判断出来ないゆとりのある黒いコートに黒いパンツ、黒い手袋、金色の鬘、顔は銀色の仮面で隠し、事務所の前に降り立った。


 そして白い手向けの小さい花束をそっと入口の前に置いた。


 亡くなったジェイスを想い、リオンは両手を組んで冥福を祈る。


 そして顔を上げ、深く呼吸をして緊張を解した。

 昼間と違い完全に人気のない建物の中に足を踏み入れる。


 入って右手の奥に扉があり、左手には二階に続く階段がある。リオンは階段を登って二階に上がると現れたのは小さな絵が等間隔に飾られた廊下だった。左手に並んだドアを一つずつ開けて中を確認していくが荒らされた形跡はなく、これといって違和感はなかった。


 しかし一番奥の部屋の扉を開けた瞬間にリオンは息を飲んだ。


 視界に飛び込んで来たのは被害者であるジェイスが倒れていた位置を示すテープと大量の血痕だ。


「何なの、これ……」


 ジェイスが扉のすぐ目の前に倒れていたことは人を模ったテープを見れば分かる。しかし、頭部の位置が正確に示せていない。


 視線を巡らせるとその理由も直ぐに察することが出来た。


「何……あれ、まさか……」


 リオンは扉から離れた位置にテープで描かれた円に近付く。おおよそ、成人男性の頭部と同じくらいの大きさだ。


「まさか……跳ねられたの? ……首を……」


 床や壁に走るように付着した血痕と胴体と首が離れて床に転がった時に流れた大量の血の跡にリオンは吐き気がした。


 ジェイスはジェイスを訊ねた人物によって殺害されたのだ。犯人はその後、壁に沿って並んだ本棚やジェイスの机を漁ったのだろう。


 散乱した書類や本棚から崩れ落ちた本が床に散らばっている。


 遺体を見ていないリオンには犯人と揉み合った形跡があるのかないのかまでは分からないが、扉の側にジェイスが倒れていたのならば、犯人はこの部屋に押し入るような真似をした訳ではなく、ジェイスが迎え入れたのではないだろうか?


 父と同じように油断したのではないだろうか?


 湧き上がる強い既視感にリオンの背中に冷たいものが走る。


「お父様の時と……同じ」


 一体、誰が? 


 そしてふと、リオンはエリザベスの言葉を思い出す。


「銀行記録……」


 当主しか動かせないスチュアート家の財産の一部をリオンはシオンに送るためにジェイスを通して動かしたのだ。銀行のお金を直接動かす手続きをしたのはあの事件があった時以来だ。


 コーナード家にお金が入る手続きはシオンが成人するまでと期間を設けて父が手続きをしており、手続きはそれ以降は行われておらず、銀行に用事はなかった。


 十三年間封印されていた銀行の財産が動かされたことを知った何者かがその記録を奪ったということだ。


 記録の中にはリオンの直筆のサインの控えがあったはずだ。控えなのでサインがあったところで効力はないのだが……。


「まさか筆跡から私を探すつもりじゃないだろうな」



 背筋がゾッとする。


 今まで隠していたことが明るみに出てシオンの身に何か起こるようなことがあってはならない。


 リオンの正体が世間に知られた時、リオンを捕まえようとする者達にシオンが利用され危険に晒されることがリオンは何より怖かった。


 事件の全貌を見ていないシオンに用はなくとも事件の一部を目撃し、犯人まで見ているリオンを犯人は消したくて仕方がなかったはずだ。


 だからシオンを守りの硬いであろうコーナード家に預けてリオンは弟から離れたのである。生死の有無さえも分からない状況に持ち込み、リオンは姓を変えて生きて来た。


 しかし銀行の財産を動かしたことにより、生存がバレたのだ。


 リオンが生きていると知れれば、シオンが危険な目に遭うかもしれない。

 早く犯人を突き止めなくては……。


「うむ、やはり来たか。銀の鼠よ」


 突如、背後で膨れ上がった気配にリオンは反射的に窓際に飛び退いた。


 カツカツと踵を鳴らして床を踏み、部屋へと入って来た異質な者達にリオンは驚く。


 一人、金髪と口ひげが特徴的な男が進み出ると、すぐ後ろに二人ほど従者の如く立っている。


 金髪の人物は体格と声質から間違いなく男だ。すぐ後ろに控えている二人も肩幅や腰回りに女性的な湾曲を誤魔化している気配はないので男だと断定できる。


 窓から差し込む月明かりが血のように赤い装束をはっきりと照らし、鼻から上を覆う鮮血色の仮面に微かな光沢を与えている。


 赤い服に赤い仮面って不気味過ぎる。


 リオンは銀の狼である時は極力声を出さない。


 自分の声で正体を突き止められるなんて馬鹿らしいし、この姿である時は誰かとの会話を必要としないからだ。


 だけど今ばかりはセンス悪いな、と言ってやりたい。


 着ている服は警吏の制服に似ているデザインだ。中央警吏の制服を赤く染めて袖口や襟は黒く、はっきり何色か識別できないが細い線が入っており、足元は黒いロングブーツだ。


 赤と黒の配色が血を連想させてリオンは気分が悪くなった。


「やっと見つけたよ。随分と探すのに手間取ってしまったが、ジェイスを殺せば必ず来ると思っていた」


 その言葉にリオンは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 信じられない言葉にリオンは耳を疑う。


「金髪の女を何人襲ってもお前ではなかった。あの連中も全く使えない。ジェイスは強情でスチュアート当主との血印契約だと口を割らない。こうするより、他ないだろう?」


 一体、この男は何を言っているのだろうか。


 ジェイスを殺した? 金髪の女性達を襲った? 私を探していた?


 どういうこと? 頭の中の整理が追い付かない。


身体が震え、全身から血の気が引き、身体が冷え切って行く感覚がはっきり分かる。

頭の中で警鐘が鳴り響き、心臓が不気味なくらい早く脈打つ。


 思わず口に出してしまいそうな疑問を辛うじて飲み込み、声を抑えた。


「さて、積もる話もある。一緒にきてもらおうか」


 ゾクっと背筋をなぞる嫌悪感に足が竦んだ。


 そして気付くと従者のような男二人がリオンの左右に立ち、リオンを捕えようとしている。


 いつの間に⁉


 一瞬で間合いを詰められ、リオンは後退り、窓ガラスに背中をぶつけた。

 瞬く間に間合いを詰めて来る俊敏な男二人を相手にするのは分が悪い。

 今夜はいつも警吏から奪っている波動銃もない。


 武器になりそうなものといえば……。


 リオンはちらりと背後に視線を向ける。


 唯一の逃げ道であり、相手を怯ませるのに使えそうなものは窓ガラスだ。


「妙な真似はしないことだ。大事な弟が危険な目に遭うのは嫌だろう?」


 その言葉がリオンの思考と身体の動きを完全に封じた。


 何故、弟が出て来る? やはりこの男……。


 知っているんだ、私が誰か。そして私の弱味ですらも周知している。


 一体、どこで? 何でバレた? 


 生活する上でも身の上を悟られないように細心の注意を払って生きて来た。

 なのにどこで露呈するようなことがあったのだろうか。


 そして弟のシオンにも危険が迫るような状況になってしまった。

 リオンが一番恐れていたことだ。


 そんなことを考えているとガシャンと冷たく、固いものが右の手首に触れた。


 なっ!


 マズい! 


 リオンは心の中で悲鳴を上げた。


 右の手首に嵌められたのは除石錠だ。

 内側に触れたものの魔力を無効化し、使用できなくする拘束具だ。


 このままでは本当に連れて行かれてしまう。


「捕えろ」

「「はい、ジョーカー」」


 ジョーカーと呼ばれた男の言葉に従い、二人の男がリオンに腕を伸ばそうとした。

 その時、バン、バンと大きな音が背後で二回に渡り、響いた。


 銃声だ。


 何が起こった?


 そう思っていたのも束の間、けたたましい音を立てて部屋の窓ガラスが砕け散る。

 リオンは咄嗟に頭を低くして屈み込んだ。


「うわっ!」

「ぐあっ」


 リオンに触れようとする男達の間に割り込むようにガラスが飛散し、男二人はどちらも右腕を押さえて悶絶している。


「おい、何事だ!」


 金髪の男が苛立ったように叫ぶとバンっと再び大きな音が響いたと同時に、金髪の男の頭部に当たり、男が倒れた。


「ジョーカー!」


 ジョーカーと呼ばれた金髪の男が倒れる。そして従者二人に向けてもう一発ずつ波動の弾丸が放たれた。


 強力な波動の弾は男達の脚に命中し、二人の身動きを封じた。


 リオンは悶絶する男二人を横目にへなへなと座り込んでしまう。

 何が起こったのかが全く分からず、状況が呑み込めない。


 一体、誰が? どこから撃った?


 カタンっと背後から物音がした。

 それと同時に人の気配が背後に現れた。


 カラカラと窓がレールを走る音が聞こえ、窓を開けた振動で細かいガラスが床に散った。


 窓の外から侵入して来た者がリオンのすぐ背後にいる。 

 急速に膨れ上がる恐怖に身体が竦む。


 逃げなければ、そう思うのに身体が動かない。


 手首に掛けられた除石錠でリオンは自分でも驚くほど弱い女へとなり下がった。


 そう思うと尚更、怖かった。


 いつもであれば何とも思わないものに対しても恐怖心が募る。


 このまま何処かに連れて行かれてしまうのだろうか?


そんな風に考えていると自分の前に何者かが膝を着いたのが分かった。

怖くて顔を上げることが出来ないリオンにはそれしか分からない。


 するとグイっと顔を上げさせられた。


 ひんやりとする革の手袋の感触が頬に触れてリオンは身震いした。

 そしてリオンは目の前にいる人物の異質さに驚き、目を見開いた。


 月光を浴びてキラキラと輝く背中まで伸びた金色の長髪、警羅隊の制服によく似たデザインの白い服、黒いロングブーツは踵が少し高いように見える。


 極めつけは鼻から上を覆い隠す金色の仮面だ。


 しっかりとした肩幅に靴の大きさを見れば女性ではないことは明らかだ。

 そしてリオンにはこの人物に見覚えがあった。


 驚くことに、そこにいたのは先日リオンが対峙した金のジョーカーだった。






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