第7話 ジェイス・ケラー

 リオンは公園のベンチに腰を降ろして膝の上に本を広げて本を読んでいる体裁を取っている。


「バイオリンは今もお弾きになるのですね?」


 リオンの隣に置かれたのはバイオリンの入ったケースだ。


「たまにね。人気のない所で、人に見られないように弾くの」


 バイオリンに触れたのは二歳になる歳だったと聞いた。

 リオンはそれ以来、父に習ってバイオリンを弾くようになった。


 あの忌まわしい事件以来、人前で弾くこともなくなったが。


「幼い頃から本当に父親に似ておりましたが、そんな所まで似てしまいましたか」


 ロナウスも人目に付かない場所でひっそりとバイオリンを弾くのが好きな男だったとジェイスは言う。


「そんなに似てるのかしら? いちお、性別が違うのだけど」

「あの方は元々、中性的な顔立ちでしたが、少年時代は何故に女じゃないのかと周囲に絶望と落胆を与えておりましたからな。男の顔になったのはシア様とお会いしてからですよ」

「……」


 リオンはその言葉に苦笑する。

 ロナウスは父、シアは母の名前である。


「私は母には似てないのね」


 昔から父親の生き写しと言われてきたリオンは母に似ていると言われないことに寂しさを感じていた。


 逆に、弟のシオンや顔から髪色から目の色まで母のシアによく似ており、周囲に母親に似ていると言われるシオンが少し羨ましかった。


 今は父親に似ていると言われることが素直に嬉しいと思う。

 自分は父の子なのだと自信が持てるからかもしれない。


「貴女様のお望み通り、スチュアート家の三分の一の財産をシオン様にお渡ししました。コーナード家も手を出せない、シオン様名義の口座です。動かせるのは彼だけ」


「ありがとう、ジェイス様」


「今年で成人し、『J』の支援で薬学を学び、最年少で王宮薬剤師として新たな一歩を踏み出しました」


「ちょっと、待って」



 リオンは驚いた。


「シオンが学びたいことを自由に学ぶには十分な額をコーナード家には入れているはずよ? なのに何で他人からの支援が必要なわけ? それに手紙にあった『K』、『Q』、『J』って誰のこと? 最初は『J』が貴方だと思っていたけど……」


 リオンはジェイスを介してコーナード家にシオンが成人するまでの間、何不自由なく生活ができるだけの金を振り込まれている。他人からの支援など必要ないはずだ。


 そして稀にジェイスから届けられる秘密の封筒にはそれぞれ筆跡の違う人物からの手紙が同封されていた。


 一人は『K』、二人目『Q』、三人目は『J』、それぞれがリオンの身を案じ、密やかにリオンの失踪生活を支えてくれた。


「質問は色々あるかと思いますが、一つずつ、私の知り得る範囲でお話し致しましょう」


 ジェイスは静かな口調でリオンを制した。


「シオン様の学費に関してですが、勿論、十分な金額を送金しております」

「なら、何故?」


 リオンは眉を顰めた。


 ロナウスは生前から自分の身にもしものことがあった場合に備えて、リオンとシオンが成人するまで何不自由なく生活できるように、金の工面はしてくれていた。


 ロナウスの肉親であり、リオンとシオンの叔父であるアルバートにも話をしてあったはず。


 リオンもきっと叔父ならシオンを守って大切にしてくれると信じてシオンを託したのだ。


 仮に、万が一、叔父がシオンを疎ましく思うようになったとしてもシオンが叔父の元を追い出されたりしないようにと送金の仕方も工夫してあった。


「アルバート様は薬学や医学よりもシオン様に政治に関わる事を学んで欲しかったようなのです」


「政治を?」


「あの方はスチュアート家の復興を強く望んでおられましたので……しかしシオン様は『それは姉の役目だから』と自分が勝手にできることではないと仰り、薬学や医学の道を望んでおりました」


「そうなの……親と子の希望進路が食い違うのはよくある話だけど……」


「そこでアルバート様を無視してこの国の最難関校の薬学部を受験して見事合格、スキップして主席で卒業し、史上最年少で王宮薬剤師になられましたシオン様の学費の全てを肩代わりしたのが『J』、それに協力したのが『Q』というわけです」


「……」


 資金は全てコーナード家へと送金していたため、シオンが自由に使える状態ではなかったのだ。だからシオンは叔父ではなく他の誰かに頼るしかなかったのだろう。


 シオンが自由に使えるお金は今回の成人祝いに送ったスチュアート家の財産の三分の一だけ。成人するまではシオンが自分で大金を動かす用事もないだろうとリオンは考えていた。


 父も同じ考えだったはずだ。


「じゃあ、貴方は『J』じゃなくて『K』なんだね?」


 リオンの問いにジェイスは零れる笑みを俯いて隠した。


「仰る通りです。このジェイス・ケラーが貴女を支える『K』の役目を仰せつかりました」


「最初は『J』がジェイスの『J』だと思っていたけど……」


「では、何故に私が『J』でないと思ったのですか?」


「上手く言えないけど、貴方にしてみたら内容に違和感があるのよね」


 度々届く手紙の中で『J』の手紙が一番文量が多かった。『K』は近況報告、『Q』は女であるリオンの生活の心配を、『J』はいつもリオンの心を気に掛けてくれた。


 病気はしていないか、人間関係は上手くいっているか、本音で話ができる友人はいるのか、辛く、寂しい思いはしていないか、リオンの心に触れようとしてくる。


 そして毎回手紙と一緒に届けられる一輪のヒマワリの花にリオンはいつも想い馳せた。


「だから貴方は『J』じゃなくて『K』だと思ったの」

「なるほど、これは良い」


 なんだか嬉しそうなジェイスにリオンは首を傾げた。


「さて、そろそろ行かなくては」

「……貴方は本当に感謝しかないわ」

「顧問弁護士として、弁護士以前に私はロナウスの親友であり従でもある。友の忘れ形見を守るのは私に課せられた当然の役割です。礼など不要です」


「それはそれ。これはこれ。私の感謝の気持ちはお父様とは関係ないでしょ」

「嬉しいことを言って下さる……その言葉、必ず『J』にも言って差し上げてください」


「『J』に? それは勿論だけど……」


「あの者は誰よりも貴女に心を砕いており、その一言を待ちわびているでしょう」

「ねぇ、その『J』って一体誰なの? 私……」


 会ってみたいと言う前にジェイスが椅子から立ち上がったのが分かった。


「貴女なら気付けるはずですよ、必ず。むしろ向こうから我慢できずに飛び出てくるかもしれません」

「何で教えてくれないの?」


 リオンが憎々しいと言わんばかりの声を上げるとジェイスは軽快に笑う。


「それは勿論、貴女は私が及ばずながら見守って来た大切な姫君ののですよ? そう簡単には事を運ばせませんよ」


「……意地悪」


「男親は愛娘に男が近寄るのを嫌がるものです。ですが……」


 ジェイスは小さくこちらを向いて言う。


「彼は私とロナウスのお墨付きです」


 まるで遊び慣れた青年のようにリオンにウィンクを投げて去って行く。


「お墨付き? 何が?」


 リオンは眉間にシワを寄せて考えるが、ジェイスの言葉の意味は分からない。


 久し振りに会ったのだからもっと色々話がしたかったのに……。

 聞きたいことも話したいことが一杯あったのだ。


 手紙は一方的にリオンが受け取るだけでこちらの返事は一度も出せなかった。


 リオンの身を隠すために極力、リオンを知る人間との接触を避け、リオンを追う者にリオンの存在を匂わせないように考慮した為だった。


 ジェイスが『K』であることは確認できた。『Q』の正体もほぼほぼ間違いなく見当がついている。だが、『J』の正体だけが全く分からない。


「誰なのかしら……?」


 リオンは呟く。


 その呟きに返答はなく、冷たい風が銀色の髪を静かに揺らした。






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