最終話 手を取って、抜け出して

 12月25日。

 俗に言う、クリスマス。


 家族や恋人、大切な人と過ごす日だが、私にとってはそうではないらしい。

 ……いや、家族、という点においては合っているのかもしれないが。



 結婚式がクリスマスになると聞かされたのはつい先週のこと。


 結婚式の日取りは彼と私の父が決めたみたいだが……花嫁に相談も無しなのは驚いた。


 父からしてみれば私はあくまでも駒の一部に過ぎないから事後報告でもいいという発想になったのだろう。


 まさか実からも話がないとは思っておらず、面を食らった。


 この人も父のような人になってしまったのかもしれない。

 昔はこうではなかったのに。


 そう思わずにはいられなかった。



 大々的に披露宴をすれば逃げられないと目論んだようで、出席者名簿には企業の社長やら芸能人やらが名をつらねていた。


 敷かれたレールは木の根のように深く張り巡らされていたのだと改めて悟った。


 そんな中でも実は少しでも私に楽しんでもらおうとしていた。

 ウェディングドレスやお色直しのドレスを選ばせようとしてくれたが、着たくもないドレスなんて見ていても楽しいわけもなく、「実が好きなのでいいよ」とだけ返した。



 ◇



 嫌でも当日は来てしまうもので。

 私は都内有数のホテルの中、披露宴のため準備をされていた。


 実が選んだウェディングドレスを身にまとい、披露宴用の化粧を施される。


 ほどなくして実がブライズルームへとやってきた。


「とてもきれいだね」


 優しく微笑みながら彼はそう言った。


 本当だったら礼を述べるべきだろうが、そんな気持ちにもならない。

 私は彼の視線から逃げるように窓の外を眺めていた。



 ◇



 結婚式が始まる前に一人の時間が欲しいと告げると、実は困った風に眉を下げつつも了承してくれた。


 完全に一人になった部屋で尚外を眺める。


 木々に止まっていた鳥がふと羽を広げ大空へと飛び立つ。

 縛られるものなどなく自由に飛ぶ姿が羨ましい。


 私も鳥みたいに自由になれたら。


 そんなふざけたことを考えていると、扉が開く音がした。


「ずいぶんとつまらなさそうにしてますねぇ、先輩」


 きっと実だろうと思っていたので振り返りもしなかったが、聞こえてきた声に耳を疑う。


 重いドレスを翻し視線を向けた先には何故か夢子がいた。


 パーティ用のドレスを身にまとった姿だ。

 実や父が私の職場の人間を招待するとは考えずらい。


「な、なんで」

「なんでいるのかって、感じですかねぇ?」


 彼女は驚いた私の顔が面白かったようでくすくすと笑っている。


「先輩を迎えに来た、って言ったらどう思いますかぁ?」

「迎えに……?」

「そうですよぉ」

「どうして……」

「どうしても何も。私が来たかったから来ただけですよぉ」


 彼女は私の近くまで来て、窓の外を眺めた。


「ゲストの人たちもちらっと見たんですけどぉ、すごかったですねぇ。経済界の大物やら芸能人やら。本当に先輩って財閥のお嬢様だったんですねえ」

「そう……ですけど」


 迎えに来た話と何か関係あるのだろうか。

 そう考えていたことが顔に出ていたらしい、彼女は「今の、『迎えに来た』と関係あるのか、って顔してますね」と言った。


「関係ありますよぉ。関係大ありです」


 彼女はわざとらしく咳ばらいを一つして、右手の人差し指を立てる。


「先輩は財閥のお嬢様としての『都いのり』でいたいですか?」


 続けざまに左手の人差し指を立てる。


「それとも、ただの『都いのり』としていたいですか?」

「私は……」


 口を開きかけて、ぐっと堪える。


「先輩が言葉にできないって言うなら、私が代わりに言葉をあげます」


 彼女は私に右手を差し出す。


「選んで下さい、先輩。堅苦しい檻の中で死ぬまで生きるのか。私の手を取って、自由な道を生きるのか!」


 彼女はまっすぐ私を見据える。

 ……彼女の目には覚悟があった。


「楽しいことばっかりじゃないと思います。大変なことが多いと、そう予感してます。……でも、私が貴女を幸せにしてあげる。だから、先輩。私を選んでください」


 今まで敷かれたレールの上を通っていた私には自分で自ら選ぶという行動がどれだけ難しいことか。


 恐らく彼女はそれも分かったうえで私に選べと言う。

 あくまで選ぶのは私だ、とそう言いたいのだ。


 目を合わせて数秒。

 数秒のはずだというのに、その瞬間は永遠のように長く感じた。


 ゆっくり彼女の手と重なる手。


 自分でも驚いた。

 無意識のうちに彼女に手を伸ばしていたのだから。


 対して彼女は選ばれる自信があったのか驚く様子もなく広角を上げた。


「絶対、後悔なんてさせませんから!」


 彼女は私の手をぎゅっと握った。



 ◇



 ウェディングドレスを脱ぎ捨てて、誰にも見つからない様に会場を後にする。


 花嫁が消えた会場はきっと大騒ぎだろう。


 私の手を取ったままの夢子に一つ確認がしたくて立ち止まる。


「先輩? どうしたんですかぁ?」


 彼女は不思議そうに小首をかしげる。


「夢子さんは、好きも愛も分からない私を許してくれますか……?」


 彼女は全てを犠牲にして私を迎えに来た。

 それなのに私は彼女に何も返してあげられない。


「許すも何も。先輩が先輩のしたいようにいてくれたら、私はそれだけでいいですよぉ。それとも、私と一緒に来たこと、やっぱり後悔してますかぁ?」


 そういうと彼女は握っている手を少しこわばらせた。


 彼女と一緒に自由な道に進みたい。

 これは私の本心だ。


「いえ。してないです。貴女と一緒ならきっと、大丈夫。だから……」


 彼女を安心させたくて、握った手に少し力を入れた。


 これからどんなに大変なことがあっても、きっと笑っていられる。

 彼女が連れ出してくれた世界を、私は私の足で進んでいくんだ。


 私は覚悟を決めて息を大きく吸った。


「だから絶対、この手を離さないでくださいね」


 私の言葉を聞いた夢子が不敵に笑う。


「離してって言われても絶対に離してなんてやりませんから! 覚悟をしてて下さいね!」


 いつかの桜の下の彼女と同じ言葉で、彼女は私に”宣戦布告”する。


 その姿がまぶしくて、私は目を細めた。



 ◇



 澄んだ青空の下、彼女に手を引かれて歩き出す。

 見上げた先には二羽の鳥が羽を広げて飛んでいる姿があった。


 羽がなくても自由になれる。

 私は自由な足でどこにでも行ける。


 頼もしい彼女の背中を追いながら、見たことのない景色へと踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オフィスに恋はつきものらしいです。 若桜紅葉 @wakasakoyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ