閑話 対峙する思い

「都が突然来たイケメンに連れてかれたぁ!?」


 藤沢さんの声が店中に響き渡る。

 普段使いしている居酒屋ならいざ知らず、イタリアンともなると周りの目が痛い。


 私は人差し指を口に当てた。


「うるさいですよ、藤沢さん」

「いや、だってな……」


 藤沢さんはやっと周りの様子が見えたようで、声を抑えて後を続けた。


「しかも都財閥の一人娘、迎えに来た相手は婚約者かあ」

「藤沢さんはいのり先輩のご家庭のこと、ご存知なかったんですかぁ?」

「知らなかった。都とは6年ぐらいの付き合いになるけど、お嬢様っぽいそぶりとかそういうの見せた事なかったしな〜……」


 生ハムのサラダを突きながら藤沢さんはしみじみ言った。


「なるほどぉ〜? ……で、いつまで縮こまってるんですかぁ?」


 今朝からずっと元気のない久慈をそう煽ってみる。

 いつもの調子とは程遠い彼が顔を青くしながら俯いた。


「大財閥のお嬢様に俺……」

「まあいのり先輩が財閥の一人娘なのは驚きましたけどぉ、それだけじゃないですかぁ。もしかしてそれで縮こまってたんですかぁ?」


 彼は反論の余地がないらしく、小さくなっていた。


「ふぅーん? 貴方の気持ちはその程度だったって事ですねぇ」

「……本当にその通りです。夢子さんは諦めてないんですね」

「はぁ? とーぜんじゃないですか。先輩がそうしたいって思っているなら私だって……悔しいけど見送ってましたよぉ? でも今回のは多分そうじゃない」


 そうだ、先輩が望んだことならば私だって見送ることができた。

 だと言うのに、当の本人は辛そうな顔をしていた。

 彼女にどうにかして本心を聴かなくてはいけない。


 楽しくなる予定だったはずの夕食はまるで通夜のように静かだった。



 ◇



「みんな〜! 都さんが挨拶に来てくれたよ〜!」


 課長の調子はずれの高い声が響く。

 昨日会社を退社する旨を聞いていたから、今日彼女が来るとは思っていなかった。


「皆さん、この度は急な退社となり申し訳ありません……今まで大変お世話になりました」


 先輩は昨日よりも顔色が悪かった。

 深々と下げられた頭を上げた時に見えた顔は後悔と不安に塗り固められている。



 彼女の言葉に皆が思い思い言葉をかける。

 大財閥の一人娘、しかもこの会社の親会社と分かってしまった今、皆の態度はその前とは全く違う。 


 不自然に笑いを貼り付ける佐藤さんと本田さん。

 しょぼくれている久慈。

 寿退社を羨ましむ水島さんと今野さん……この2人はいつも通りだ。


 自分の順番を待つ中、ずっと考えていた。

 真面目な彼女はきっと私への返答が返せていない事をずっと気に病んでいるはずだ。


 だから、話がしたい。


「せんぱぁい、お疲れ様でぇす」


 今にも泣きそうな彼女の顔を覗き込む。


「先輩の分まで仕事頑張らないといけなくなつたじゃないですかぁ〜……なんて、嘘ですよお。こっちは任せてくださいねえ」


 すっと手を差し出す。

 訳もわからずと言った感じで彼女はつられて手を出した。

 握手した瞬間にグッと顔を彼女の耳に近づけた。


「この後、少し時間くださぁい。……屋上で待ってます」


 彼女の手をそっと離し、にこやかに手を振った。



 ◇



 待つこと約20分。

 先輩は少し息を切らせて屋上へとやって来た。


「先輩、これどーぞお」

「ありがとうございます……冷めてますね」

「だって、先輩来るの遅いんですもん」


 恐らく『最後だから』と言う理由で色んな人に捕まっていたのだろう。


 冷えた缶コーヒーに口をつける。

 いつぞや彼女からもらった缶コーヒーのことを思い出した。


「で。呼んだ理由なんですけどぉ……分かりますかあ?」

「その。おおよそは」


 彼女は緊張からか肩を強張らせた。


「先輩、そんなに構えないでくださいよお。別に答えを今聞きたいって訳じゃないんですから」

「えっ……?」

「私は先輩に確認したいことがあったから呼んだんです」


 最も聞きたかった事。

 これを聴かないと私の決断ができないから。


「辞めたのって先輩の意思なんですかぁ?」

「それは……」


 彼女は言葉を濁す。

 言えずとも彼女の顔にはっきりと『違う』と書いてあった。


「言わなくて大丈夫てすよぉ。その顔見れば分かります。とりあえず、先輩の意思じゃないのは安心しました。じゃあもうひとつ確認です。……先輩はこのままで良いんですかぁ?」


 追い打ちをかけると彼女は悔しそうに唇を噛む。


 それでも頑なに発言をしないようにしている。

 ……いや、発言を許されていないのかもしれない。


「先輩だって割り振られた役に当てはめられるだけの人生、嫌なんじゃないんですかあ?」

「……」


 先輩の言葉を聞けるまでまま私は待ちたい。

 彼女が以前、私の言葉を聞いてくれた時みたいに。


 彼女の準備ができるのを待とうとした途端、ドアを開く音が屋上に響いた。


「いのり!」


 息を乱しながら婚約者が先輩に駆け寄る。


「車にいなかったからびっくりしたよ。フロアに行って確認しても皆さん口を揃えて『帰った』って言うから……心配したよ」


 彼は私と先輩の間を引き裂くように、先輩を背中に隠した。

 ……爽やかな御曹司とは思えないぐらい目が据わっている。


「いのり。先に車に戻っていてくれるかな?」


 先輩が何か言いたげにしていたが、彼の顔を見た瞬間口を噤んだ。


「お願いだ」

「……分かった」

「ありがとう」


 彼女は下を向いたままこの場から立ち去る。


 一瞬だけ見えた横顔は泣いているような気がした。



 ◇



「で? 私に何かお話でしょうかぁ?」


 話があるからいのり先輩を先に返したのは分かりきっているのにわざと煽る。

 彼は先ほど同様、目が据わったまま私と対峙した。


「単刀直入に言おう、桂木夢子さん。これ以上いのりを困惑させるのはやめてくれ」

「困惑させるぅ? 先輩がそういったんですかぁ?」

「いや、いのりは言っていないよ。でも、そんなの見たらわかるじゃないか」


 むっとして彼を睨みつける。

 向こうはこちらの睨みなど意に介していないようだ。


「ふう~ん? でもそれって貴方も一緒ですよねぇ~」

「……何?」

「先輩に好かれているわけでもないのに付きまとって、困惑させてるじゃあないですかぁ」


 私の一言が彼の急所をとらえたらしい。

 彼は一瞬傷ついた顔をしたが、何とか体裁を立て直した。


「そうだね……そうだとも。彼女から恋愛対象として見られていないと知っている。だとしても、僕は彼女を幸せにしてみせる。彼女が僕に愛を向けてくれなくても、理解されなくても。僕を救ってくれた優しい彼女を幸せにしたい」

「そんなの私だって同じです。私がいのり先輩を幸せにしてあげたい。たとえ先輩が好きが分からないって言っても。私は先輩のそばにいたい」


 彼は困ったように眉を寄せる。

 似たようなことを言ったから敵対しにくくなってしまったのかもしれない。


「君の気持ちは立派だ。……それでも、君にはいのりを幸せにすることはできない」

「なんでそういえるんですかぁ?」

「逆に問おう。君は何を持っている? あるのは気持ちばかり。それだけでどうやっていのりを幸せにできるって言うんだい?」


 木枯らしが吹く。

 木々をざわめかせて落ち葉を攫い、遠く遠く流れていく。


 彼は冷たい風にひるむことなく私を見下ろした。


「僕には地位がある。親の七光りだと揶揄されてもこれは僕の財産だ。それに稼ぎだってある。気持ちも君に負けていない。君といのりが一緒になった場合と、僕といのりが一緒になった場合の世間体を考えてみればすぐ答えはつく。そうじゃないか?」


 世間体。

 彼の言葉にぐっと奥歯をかみしめる。


 彼はぐうの音も出なくなった私を一瞥し、踵を返した。


「そうだったとしても、最後に決めるのはいのり先輩ですから」


 彼の背中に捨て台詞を吐く。

 こちらを振り返ることなく、彼はまっすぐ出口へと向かっていった。



 ◇



 二人が去った屋上で一人、空を見上げる。


 世間体がどうの、財産がどうの、稼ぎがどうの。

 彼が当たり前だと信じて疑わないものを自分の中で反芻させる。


 でもどれもしっくりこない。


 繰り返しの中、思い浮かぶのはいのり先輩の悲しそうな浮かない顔ばかりで。

 彼が大事に抱えているもので先輩が幸せになるなんて想像がつかなかった。


「……決めた」


 覚悟はできた。


 あんな死にそうな顔している先輩なんて、見たくない。

 だったら何考えているか分からないぐらい能面みたいな顔のほうが全然マシだ。


 最後、選ぶのは先輩だ。

 選ばれる確証なんてないけれど、行動できずに後悔するくらいなら動いて後悔してやる。



 先輩。


 私が連れ出してあげる。


 堅苦しくてつまらないパーティを抜け出して、自由な世界へ。


 だからお伽噺のお姫様みたいに、王子様の手を取ってくださいね。

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