第25話 変わる視界


 そのモノの中は、一点の光もない漆黒の空間だった。


「うわっ」


 思わず声が出てしまう。窓は一切ないし、扉にも光が漏れるような隙間はない。


「見てもらいたいのはこれだ」


 見るって、暗くて何も見えませんが?

 と言いそうになるが飲み込む。幹也さんは机を挟んで対面にいる。鞄から何かを取り出す音、それは机に置かれたようだった。


「ええと…」

「目が慣れるまでさっきの話の続きをしようか」


 どうやら照明をつける気は無いようだ。真っ暗な中で、輪郭が見えない幹也さんから声だけが聞こえてくる。


「あふれるはずの水の行き先だ。地下だよ。一般には知られていないが、八淵の地下800メートルには巨大な空洞がある。平地の下に張り巡らされた、空のトンネルだ。

そこに水を落として、致命的な洪水を回避している」

「普段は水は落ちないんですか?」

「ああ。八淵川と地下空洞は直接繋がっていないからな」


 とんとん、指で机を叩く音が聞こえる。

 僕はその音のする方を見ようと目を凝らした。

 目は暗闇に慣れてきているはずだ。


「あれ、赤い…これは前に見せてもらった古地図ですか?」


 暗闇に薄く赤い線が見えた。中心の太い線から何筋か伸びるこの形は、市内の河川とかなり一致する。赤い線以外は紙の輪郭も見えないが、このインクだけ蛍光塗料なのだろうか?


「半分は正解。あのとき見せたものと同じだ。だがこれは地図じゃない。もっとよく見てみな」


 僕はその線の形を捉えようと精一杯目を凝らした。

 目がさらに慣れてきたのか、太い線の中から細い線が枝分かれしているのに気がつく。太い線はその周りに、網目のような細い線を纏っている。川と川の間の地面も、その網目で繋がっている。

 でも、何を形作っているのかは分からない。


「川の流れと違う網目がありますが、これが例の地下トンネルですか?でもそれだと地図ってことに…」

「そこまで見えれば十分だ。流石だな。もう答え合わせができる」


 答え合わせ、幹也さんから珍しく、ため息が漏れるのが聞こえた。それで感情を吐ききったかのように、抑揚をつけず話し始めた。


「これは地形を記したものではなく、生き物の体を書いたものだ。つまり、この赤いのが血管だと思えばいい」

「え…?」


 思考が追いつかない。生き物?

 言われてみれば、ミミズのような蛇のような、生き物に見えないこともない?


「まぁ、そうだよな。お前にはまだこの線しか見えてないから、何もしっくりこないよな」

「この赤く光っている線が何だっていうんですか?」


「光ってないんだよ。物体が見えるのは光が網膜に映るからってのは理解してるな?でもここには光は一切指していない。そして、この赤は蛍光塗料なんかじゃない。発光も反射光もないわけだ」


 何も見えない真っ暗闇から、淡々とした幹也さんの声が聞こえる。それが急に不気味さを帯びる。


「だとしたら、お前の目に見えているものは、一体何だろうな?」


 僕は背筋が凍る思いで、もう一度その線を見た。

血管だよ、と言われた赤が、どくんと蠢いた気がした。


 ガタッ

 驚いてとっさに後ろに下がり、すぐに壁にぶつかる。自分の心臓の音が、暗闇にドクドクと響くように高鳴っている。


「早いな。男系男子はやはり俺とは違うか。もう十分だ。お前は自転車に乗れるようになった。一度乗れたらもう忘れられない」

「なにが…?」


 僕の中で何が変わったんだ?

 扉が開く。外の明るさに目が眩み、瞼を閉じてしまう。幹也さんは僕の手を掴むと、外に連れ出した。


「ゆっくり目を開けてみな。大きな声はださないように」


 口をぎゅっと閉じ、恐る恐る目を開けると、僕の目と鼻の先で、真っ青な蝶の群れがひらひらと舞っていた。驚愕を我慢するのに舌を噛みそうになる。

 木には尾の長い鳥が止まっている。道にも孔雀のような姿がある。

 さっきまではいなかった。こんな生き物たちはいなかったのに。


「俺の時は、見えるようになる前にこいつらの気配は感じてた。温室の外にも色々いるが、まぁ屋敷の中にいるような奴らは初代が手懐けてある。悪さはしないから気にしすぎんなよ」


 いや、いたのだ。さっきまでは見えていなかっただけだ。

 この蝶や鳥もよく見ると本物とはディテールがまったく違う。まるで光の粒が集まって、そういう形をしているだけのようだ。何だ?これは?


「まったくオカルトだよ。この事件の経緯は全部が現代ではナンセンスな怪奇現象だ。

 でも実際に目の前に起きてる。もう見えてるだろう?だから、受け止めて欲しい。

 無理に反応を返さなくていい、全部を信じられなくても仕方ないと思ってる。そして、知ったからといって子供のお前に責任をとらせるつもりは無い」


 僕はもう下をむいて、地面以外何も視界に入れないようにして、黙って頷いた。この異変が怖くて、それしかできなかった。

 幹也さんはまだ僕の手を掴んでいる。


「地下空洞は本来は龍の体だ。まだ神様が生きていた大昔、この地で封印された龍の名残。

 この空間に地上の水を流すためには、水を血に変えなければならない。 そのためには生贄が必要だ。大昔から、この地では大水害を防ぐために住民から生贄を選んで捧げてきた。明治初期までは残酷な方法で多くの生贄が必要だった。

 それを最小限の犠牲、年間1人か2人程度にまで減らしていったのが都築が取り仕切っているやり方だ」


 生贄、最小限の犠牲、都築が仕切っている。

 全貌がまるで掴めない話でも、知ってる単語だけでおおよその内容を理解できるのが辛かった。

 幹也さんはその仕組みについて、さらに説明を続ける。


「生贄の選定に人間の意思ではなく、最も適したものを自動で選び、街の中で自然に処し、本人は苦痛や恐怖を感じる前に事が終る。基本的に選ばれるのは生命力が高く、穢れの少ない子供だ。これが最大効率かつ、龍に血を流すことによる他のリスクも解決できるやり方ってわけだな。まず1つ目が、」


「もういいですよ!そこは!!」


 一方的に続く言い訳のような解説なんて、聞いていられない。細かい仕組みなんてどうでもいい。

 要は洪水を防ぐために子供を悪魔に捧げていますという事なんだろう?そんなの、どう足掻いても最悪じゃないか。


 僕は幹也さんの手を振りほどき、怒りのままに彼の顔を睨みつけた。


「なんで!?こんなことが……続いて……って」


 まともに目が合う。

 泣きそう、初めてこの人を見てそう感じた。


「ことの是非の話は後でしようか。俺だって継いだだけなんだから」


 そういえば、池でも、暗闇の中でも、僕には彼の表情がよく見えなかった。どんな気持ちで僕に打ち明けたのだろうか。

 そして彼がこの事実を知った時、どんな苦しみがあったのだろうか。

 僕にはこれ以上、幹也さんを責めることはできなかった。



 僕が黙ると、幹也さんは優しく、ゆっくりと、僕の目を見ながら話はじめた。


「そして今回の事件。そいつはシステムが作動するより先に、自分の都合で生贄を選んで、龍に血を流している。

 去年は病院の患者が大勢、そして昨日の晩に一人が殺された。痕跡があまりにもはっきりしていたから、犯人が誰かはもう分かっている」


 こんな事態、犯人が分かっても核心の部分では警察は動かせない…。


「さて、俺はこれから犯人を追いかけて捕まえにいかなくちゃならない。

 正城、倉庫の整理を手伝ってくれてありがとうな。もうやらなくていいから、お前は家で留守番を頼むよ。本当にまずい事態になったら、三階にいる代表を連れて、池の中に避難してくれ。あそこが一番守りが堅い」


「わかり…ました……」


 幹也さんは僕の頼りない返事にも微笑んでくれた。

 ありがとうなんて、言われるほどのことは何もできていなかったのに。


「先に戻ってな。今日からは離れではなく、本館にずっといなさい」


「はい。

 ……そうだ、ジャケットありがとうございました」


 僕は言葉が出てこなくて、彼に上着を返す時も、こんな事しか言えなかった。


「絶対に無事に帰ってきてくださいね」

「もちろん」


 その言葉を信じて、今はここを立ち去る。

 危ない所に行かないで欲しい、なんて口にできるわけもなく。



 僕は温室から外に出ると、避難先と言われた池のほうを見た。

 何の面白みもないはずだったその池には、見事に美しい、赤い鯉がゆうゆうと澄んだ水の中を泳いでいたのだった。







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