三章

第24話 真実に迫る


「おはよう」


 翌朝、食堂に幹也さんはいた。

 あまりにも普通にそこにいて、朝食をとっていた。それも私服の黒いパーカー姿だ。この人がフードが付いている服を着ているところなんて、初めて見たのではないか。


「これ?楽な服を探したら寝間着か高校生の時の服しかなかった。若く見えるか?」

「そもそも若いじゃないですか。二十代半ばってまだまだそんな格好してますよ。幹也さんだとちょっと違和感ありますけど」

「あるのかよ」


 席に座ると、あとから来た僕にもすぐに洋食が並んだ。

 同居の親族がラフな格好で普通に朝食を取る、今の不穏な状況から考えると、逆に違和感の塊だ。ぎこちない空気が漂っているのを、お互いに察しているだろう。

 僕はもう少しばかり、この装った普通に乗りかかって話を続けることにした。


「今日は出かけないんですか?」

「昼間はな。しばらく来客もないし、他の親族連中も帰った。今なら庭でバーベキューしてもサッカーしても怒られない」

「怒られた事がありそうな口ぶりですね。幹也さんサッカー部でしたっけ」


 やはりぎこちない。はぐらかすのが下手な人だ。

 本当に、昨日何が起きたか伝える気がないのなら、僕から逃げてしまえばいい。今こうして関係ない話をしたがるのは、話す気はあるがタイミングを計っているのだろう。

 ここは幹也さんとの接点を長く持ちたい。僕から次の行動を切り出すことにする。


「2人でサッカーは遠慮したいですが、久しぶりに雨が止んでますし、庭園を散歩でもしませんか?午前中は降らないらしいですよ」

「……ああ、そうだな。じゃあ温室の方にいくか」


 温室は屋敷から少し離れたところにある。都築化学の初代社長、つまり曽祖父が集めた貴重な草花があるところで、僕も中に入ったことはない。


 幹也さんは先に食べ終わった。


「鍵とってくる。ゆっくり食べてていいから、先に靴履いて待ってな」



 誘ってみたのはいいが、はたしてこれで何か得るものがあるだろうか。

 残りのパンとサラダを流し込むように食べ、僕は温室へと続く池の橋の付近で待っている。


 館正面の庭は見晴らしよく芝生が整えられているが、館の裏側は大きな池の周りに林のある自然な雰囲気になっている。

 この池が少し変わっている。普通はお屋敷の池というのは緑がかった水に錦鯉などが泳いでいそうなものだが、ここに魚はいない。大きな生き物の不在がはっきりわかるほど、水の透明度が高いのだ。

 曇り空で陽の光が薄いと、水の表面に光が反射しないため、よりはっきりと岩と水草の水底が見えた。


 待っていると、幹也さんが現れた。

 襟付きのシャツにジャケットという、いつものスタイルに戻っていて、手には鞄と傘を持っている。


「着替えてきたんですね」

「似合ってないらしいからな。正城は上着持ってこなかったのか?」

「温室は暖かいから平気かなと思って。取りに戻るのも面倒ですし」

「じゃあこれ着てろ。寒いだろその格好」


 幹也さんは自分のジャケットを脱ぐと僕にかけてくれた。遠慮しようと思ったが、正直少し肌寒かったし好意を受け取ることにする。


「この池で本家の人は遊んだりしたんですか?」

「いや、あまり近づかないよ。特に面白みもないから」

「そうですね。魚でもいればいいのにな」


 そのぼやきには返事がなく、ふいに沈黙が流れる。

 雨がポツポツと顔にあたった。


「思ったより降ってくるのが早かったですね…」

「のんびりお喋りしてる余裕はないって急かされてるんだろうな」


 幹也さんは傘を開くと一歩、池の方に歩いた。僕からはその表情を見ることができなくなる立ち位置に。

 この先はきっと何もはぐらかせない本題だ。状況を切り出しておいて、今更足がすくむ。

 そんな僕を目に入れずに、幹也さんは冷静な声で話し始めた。


「このまま雨がずっと降って、この池に流れ込む水が出ていく水より多くなったらどうなる?」

「え、それはもちろん、溢れますけど…」

「溢れないようにするには?」

「池を広げたり、堤防を作ったり、水を逃がす安全な水路を作ったり」

「それでも足りてないんだ」

「……?」


「つまり、この土地の話だ。八淵川に流れ込む水の量は、本来の貯水量の限界を超えている」

「何か無理をしているということですか?」

「そう。温室でするのはその無理に関する話だよ。悪いな、だだの散歩じゃなくて」



 都築邸の奥にあるガラスの温室は、広さだけでも僕が住む離れの家より倍は大きい、天井はさらに高く開放感がある。個人所有ではめったに見ない規模の温室ではないだろうか。


 幹也さんの後について中に入ると、温室らしい暖かで湿った空気と、土と植物の匂いがした。

 中は意外なほど、きちんと人に見せるように整っていた。客人が立ち入る事はめったにないはずだが、それだけ都築の家とって大切な場所ということだろうか。

 カラフルな花のプランターや、温暖な地域に生える背の高い植物が左右を囲む道が、円を沿って内側へ続いている。ようは渦巻きの中心に向かって僕たちは進んでいるのだ。きっとそこが目的地なのだろう。


「さっき、池に魚がいればって言ったな。ここにも植物だけじゃなくて、虫とか鳥とかいてもよさそうだよな」


 僕の先を進む幹也さんが、再び切り出した話は、なぜか水害の事ではなく、他愛も無い会話の続きだった。

 意図が掴めないため、とりあえず率直に返答する。


「……かなり立派な温室ですし、虫は普通にいるのでは?」

「さっきまでの道にいたか?」

「いや…そこまでしっかり見てなかったです」

「正城は昆虫採集には興味がないタイプの男児だったしな。知ってたか?この温室どころか、屋敷は極端に生き物が少ないんだ。繁殖できる場所があるのに、野鳥も虫も魚もいない。夏も秋も外より静かだろう?こんなに木があるのになぁ」


 言われてから気付いた。屋敷に虫がでないのは防虫対策がしっかりしてるから、鳥がいないのは巣を撤去しているから?


「た、たしかに」

「一度気づいたら戻れないからな」


 どうやらその、戻れない目的地についたらしい。

 そこには金属製の不思議なモノがあった。お寺の大きな鐘をそのまま地面につけたような見た目に扉がついている。何のためのモノだか、まったく見当もつかない。


「そうだ。スマホを持ってるなら電源は切って、触らないようにしとけよ」


 僕が電源を切ってジャケットのポケットにしまっている間に、幹也さんが頑丈そうな扉を開けた。中にはテーブルだけが置かれていて、2人でいっぱいの狭さのようだ。


 先に入るよう促される。中に入ると幹也さんは灯りをつける前に扉を締めた。





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