第12話 「入学おめでとう」


『次のニュースです。昨日の大雨では県内の各地で被害が相次ぎました。

 相沢市では土砂崩れが発生し、84歳女性が行方不明。八淵市では小学一年生の女子児童が増水した河川に流され死亡しました。

 今日は一日晴れますが、引き続き土砂災害などに警戒が必要です…』


 雨上がりの朝、潤った新緑に眩い朝日が降り注ぎ、春が呼吸をはじめる。


 早起きしてしまった僕は、自分で適当に朝食のトーストを焼き、食べながら朝のニュースを聞いていた。


 今日は1日晴れの予報だが、河川の水かさが戻るのにはまだ時間がかかるので注意が必要だ。ニュースでも昨日の痛ましい被害が流れているが、八淵市内の川は、急に増水する事が多い。

 そのぶん市も治水事業にはかなり力を入れているのだが、昨日の降水量は4月では記録的だった……と気象予報士が話を続けている。


 海の方はあの後また大雨になるということはなく、心配だった先輩の体調も、少し休んで話しているうちに回復していった。


 そう昨日、本当にあんなに驚いたことは人生でもそうなかった。そして嬉しかったことも。そのせいで今日は早起きしてしまったのだ。






 先輩は歩けるようだったので、僕達は一度校内に戻り、休憩する事にした。

 2階窓際のカウンターになっている休憩コーナーにいる生徒は僕たちだけだ。いやこのフロア自体にもう生徒は残っていないかもしれない。


「生き倒れとかはじめて見ましたよ!びっくりさせないでください!」

「ごめん。久しぶりなのに、本当に情けない所を見られてしまったな」


 僕は先輩の分の温かい緑茶のボトルを手渡し、隣に座る。

 お茶を受け取った先輩は、疲れた声と虚ろな眼差しで肩を落としていた。


「いえ、見つけられてよかったです、本当に。どうして駐輪場なんかに?」

「中等部の玄関口の外で君を少し待ってたんだが、思ったより悪くなってきたから帰ろうとして、門の近くまできたら急に。まぁ、倒れるなら屋根ある所のほうがいいかなって」


「場所のいい悪いの問題じゃないですよ!」

「はは…ごもっとも。いつもの事だから変な慣れがあってさ」


「いつもの事って……。もっと自分のこと大事にしてください!

 待っててくれたのは、それは、嬉しいですけど……」


 心配から刺々しくなっているが、不養生を叱りたくてここにいるわけじゃない。

 ずっと会いたかった。先輩もそう思っていてくれたんですかって、それが一番話したい事だったのに、いざ面と向かって言うのは恥ずかしかった。


「嬉しい…?ならよかった。君はオレの事忘れてて、変に思われるかもって覚悟してたから。あれからどうしてたか、ずっと心配してたんだ。

 新入生代表が君で本当に驚いた。いてもたってもいられなくてね」


 でも、この人は照れないで、はっきりと気持ちを伝えてくれるのだ。


「入学おめでとう。言うのが遅くなってしまったな」


 先輩の顔色には赤みが戻り、瞳はまっすぐ僕を見ている。

 僕にとっては、その輝くような笑顔が今日一日の何よりも祝福に違いなかった。


「あ、ありがとうございます」


 お茶をごくごく飲む。照れが顔に出まくっているのか、先輩はそんな僕を見て、くすくす笑うのだった。


「ところで、マサキは何でこんな遅くまで残ってたんだ?通学は自転車?」


 飲んでいたお茶でむせそうになる。そうですね先輩。僕が貴方のことを居残りして探し回っていたとまでは思ってないですよね。うんうん。


「え!? いや、市バスですけど。まぁ色々ですよ。用事があって残ったり、色々です」


 とっさとはいえ、これ以下はない酷さの誤魔化しをしてしまった。

 だが先輩はあえてそこにはつっこまず、壁の時計を確認して言った。


「色々……?は置いといて、学校前発のバスならもう時間がない。市街方面だろう?次を逃すと40分時間以上待つことになる」

「あ、じゃあ、そろそろ帰りますか……」


 もう少し話をしてもよかったが、流石にいつ学校側に追い出されてもおかしくない時間になっている。先輩が大丈夫そうならここを出るべきだ。



 僕たちは席を立ち、正門へ向かった。心配だった先輩の足取りは、駐輪場から来た時よりもかなりしっかりしていて、ほぼ普段通りといった様子だった。


「先輩は自転車?バス?今どちらに住んでるんですか?」

「オレは歩き。第三工場のあたりに一人暮らしだから」


 工場地帯のど真ん中だ。あまり学生が住んでいるイメージは無い所だが、たしかに学校からは歩いていけるはずだ。海沿いの道と、臨海地区の地下道を通ることになる。

 あの周辺は工場の大型車両がひっきりなしに通って危険なため、長い歩道が地下に整備されているのだ。


「この雨でも地下道って通れるんですか?」

「あそこが冠水するレベルの大雨だったら、工場はみんな水浸しだって」


 それは確かに。しょうもない事を聞いてしまった。僕はずいぶんと心配性になってしまっているようだった。



 僕たちはいよいよ正門から通りに出てしまった。バス停は先輩の家の方向とは逆にあるので、ここでお別れだ。

 なのに、不安が去らない僕はまだ先輩を引き止めるような事を言ってしまう。


「本当に一人で帰って大丈夫なんですか?また急に悪化したり、」


「それは大丈夫。

 ───今日はもう終わったから」


 先輩は食い気味に答えた。峠を超えたという意味だろうか。吐き捨てるような響きで出てきた『終わった』という言葉が、僕は少し気になった。

 もう大丈夫ならそれは良い事のはずなのだが、先輩は唇を噛んでいた……気がする。


「そう、ですか……」


「はあ、もう。今日は君に心配ばっかりかける。

 明日はもっとちゃんと話せるよ。そうしないか?」


 先輩はため息をつくと、携帯を取り、差し向けながら言った。

 僕も慌てて鞄から取り出す。僕たちは3年ごしにようやく連絡先を交換した。


「これでよし。これ、あの後に君の家の人がくれたやつでさ。オレが使ってたのより全然高くて性能いい機種だった。ありがとう。

 あれからお互い色々あっただろうし、話題はしばらく尽きなそうだな」

「はい!あの、明日のこととか、あとで連絡します!」


 その時、ちょうどバスが近づいてくるのが見えた。交換が間に合ってよかった。この繋がりが、僕に安心をくれる。僕たちにはもっと素敵な続きがあるって。


「ああ!また明日!」


 そして先輩は手を振り、バス停へと走り出す僕を見送ってくれたのだった。

 ここまでが昨日の話だ。





 さて、先輩はもう起きているだろうか。休むのに邪魔になると悪いので、昨日の夜は『よろしくお願いします』の一言しか送っていなかったのだ。

 僕は既読がついたメッセージの画面を見つめながら、タイミングを考えていた。

 そこに、通知音と共に新着がひとつ。


『おはよう』


 先輩が同じ朝に起きている。僕は嬉しさに心を弾ませながら、返事と今日の予定についてすぐに入力をはじめた。ランチを一緒に食べるならどこがいいだろうか、食堂は混むだろうか?


 一緒ならどこでもいいと僕は思った。

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