第11話 再会

 堰根先生に教えてもらった迫水さんのクラスには、すでに誰も居なかった。

 僕は扉の前で肩を落とした。急いで来たが、やはり帰り支度は済ませてから僕を探しに来たんだろうか。


 振り返って窓の外を確認する。高等部2年のある階の廊下からは、外への唯一の出口である正門が見えたからだ。

 色とりどりの傘をさした人影はまばらで、みんな外へと進んでいく。止まって誰かを待っている人はいない。

 もし晴れていたら、必ず通る事になる正門で待つのは十分あり得るだろう。だがこの土砂降り。わざわざ外で待つわけがない。


 そうだ。きっと迫水さんも帰ったに違いない。

 だって明日会えばいい。お互いのクラスは分かっているのだから、当然だ。


 しかし僕の心がどうしたいかは理屈と違った。


 やっと接点ができたあの人と早く会いたいという正直な気持ち。それが向こうも同じだったことが信じられない。

 体調が悪いなら、入学式直後の本降りになる前に帰ってもよかったのに、残って僕に会いに来たのだ。走り出したいほどに嬉しかった。


 そう、休んだおかげで僕の体調は万全だ。

 あとは心がやりたいことを選べばいい。


 そもそも急いで帰りたくなるような家か?それに気づいた時、窓ガラスに写る顔がふふっと笑った。



 まず中等部と高等部の玄関口に向かった。続けて本部棟へ。食堂は閉まっている。図書館には生徒がまばらにいたし、落ち着いて座って休めるのはここなので、念入りに探してみた。

 それから本部棟の休憩コーナーを見て回る。自販機ごとにジュースの種類がけっこう違う。

 オリエンテーションのやり直しみたいだと思う。そういえばさっきは新しい人間関係に気をとられすぎて、ゆっくり学校を見ていなかったのだ。

 学園生活で楽しみな事ができた今、校舎もさっきより色鮮やかに見える。




 ……さて、人がいそうな所はこれで全てだ。

 小一時間ほど探しただろうか。まだ日没には早い時間だが、外はもう夜のように暗い。


 流石に踏ん切りがついた。

 明日は朝早く登校して、始業前に挨拶に行こう。


 僕は外に出て、正門へと向かった。ビニールの傘に小降りになった雨がパタパタと当たる。

 途中、ふと僕の目にとまったのは正門の右手側、照明が当たらない暗がりの中にある建物だった。


 なんだろう。それほど立派な作りではない。倉庫のようだが二階建てだ。上下階どちらも明かりがついていない。

 僕の足は明るい方ではなく、その暗がりの方へ向かっていた。何故だろう。ここまで探索してきたからだろうか。


 得体の知れないものを明らかにするのは、何かを探すことの本質なのかもしれない。

 僕が見つけられないものは、僕が知らない所にある。


 だが建物の正体自体は、歩く途中で分かった。正門側にドアのない真っ暗な入り口がある。そして校舎側からは見えなかったが、反対側、塀と建物の間に二階へのスロープがあった。駐輪場だ。壁も屋根もあるから分かりにくかった。

 しかし、それなら照明がついていてもいいのでは。


 僕は校舎の中の時と真逆の気持ちで目を凝らした。こんな暗い所に居ないでほしい。ちゃんと今頃、明るくて暖かい家に帰っていてほしい。


───突如、そんな僕の願いを上から見るように、灯りが地面を照らした。


「うそだろっ!?」


 その下を見るやいなや、僕は全速力で駆け出した。

 スロープの下、雨を避けられる僅かな場所に体をすくめて、座り込む人がいる。見間違えるわけがない。あんなに会いたかった人なのだから。


「迫水さん!!」


 僕は傘なんて放り投げ、うつむく彼の両肩を掴んだ。

 照明が急についたのは人感センサー式で、近づく僕に反応したからで、それはつまりこの人が動いていなかったという事で、それは、それは……

 名前を呼んで駆け寄っても、肩をゆすっても反応がない。意識が無いのか?気が動転して、こういう時にどうすればいいのか思い付かない。頭が真っ白だ。最悪の想像ばかりが浮かぶ。



 その時、澄んだ水の色と目が合った。

 あの日見た、冷たく暗い水底から救い出してくれた瞳。

 救ってくれたのに、何故か救われたような涙を浮かべていた人。


 見開かれた目から今再び、一筋の雫が頬を伝った。



「よかった……。びっくりさせないでください」


 心から安堵した僕の口元がほころぶ。目も熱い。最悪の事態ではなかったというだけで、こんなに喜んでる場合じゃないのに。


「………あ、……して……」


 視線ははっきりと僕を捉えているが、顔は生きているのか疑うほどに青白い。震える唇は何か言葉を紡いでいるが、小さくてよく聞こえなかった。

 まずはこんな所にいるべきじゃない。僕は放り出した傘を拾いに行く。幸い水たまりには落ちていなかった。


「立てますか?」


 僕は傘をさし、片手を差し伸べて返事を待った。

 震える白い指先がそっと、何かに怖気づくようにゆっくりと、僕の手をとった。


 僕はその遠慮がちな手を、そんなことないという気持ちが伝わるように、強く握る。ぐいと引っ張ると、ふらいついてはいるが、肩を貸さなくても立ち上がれた。

 やっぱり背が高い。あれから僕も伸びたが、向こうもちろん大きくなった。本当に久しぶりに、僕たちは会って話ができる。


「……ありがとう、マサキ」


「お久しぶりです、迫水さん。

 今日からは迫水先輩、ですね」


 今夜の空に月はないが、鏡のような水たまりには白く輝く光点が反射している。


 その灯りに照らされて、地面にはまだ色鮮やかな花びらが、水に浮かぶ絨毯のように揺れる。

 嵐に散らされてもなお、出会いの季節の花は美しいままに、僕たちの再会を待ってくれていた。




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