第9話 縁宮学園にようこそ
「新入生の諸君、西棟へようこそ!ここには高等部教室の他に理科実験室、視聴覚室、PC室など君たち中等部も頻繁に使う事になる教室がたくさんある。これから順に案内するよ」
雨に打ち勝つ快活な声で、案内役の女子学生は僕たちを先導した。
縁宮学園の校舎は大きく分けて4つのエリアがある。中等部と芸術系教室のある東棟、高等部と理系教室のある西棟、講堂・食堂・図書館・事務職員室のある本部棟、グラウンドを挟んで体育館・部室棟だ。東西と本部は各階が連絡通路で繋がっていて、本校舎とも呼ばれている。
流石は私立の学園だけあり、施設の新しさや設計のデザイン性は贅沢さを感じた。本部棟の吹き抜けのエントランスや大きな窓のあるテラスなどは受験の時にも見たが、これから実際に使えると思うと少しそわそわする。ここに比べたら僕がいた所を含めて近隣の小学校はただの箱である。クラスメイトがはしゃいで統率を欠いてしまうのも無理はない。
「高等部の教室だからといって気にすることはない!我が校では中高の交流は大いに奨励されている。どんどん遊びにきてくれよ!な、マサキ!!」
な、じゃない。案内中に個別に話しかけるんじゃない。
「私は4組なんだけどマサキは?部活どこ?生徒会って興味ある?てかLINEやってる?」
「なんですかそのノリ…」
親戚なんだからとっくに知っているでしょうが。案内役の三年生は僕の再従姉妹の
僕と曾祖母が同じで、祖父の姉の孫、つまり本家の都築化学のお嬢様。
まだ名乗っていないため、ほとんどの一年生は彼女の案内を聞くよりも各々の写真撮影や歓談に耽っている。だが親兄弟から彼女について聞いているのか、僕たちのやりとりをじっと見ている人もわりといる。シンプルに恥ずかしい。
「こうな、はしゃいでる新入生を見ると私も楽しくなってくるなぁ。思い出すよあの頃…マサキは友達100人できそうか?」
「貴方まで浮かれポンチになってどうする…。この状態のままでオリエンテーション進めていいんですか?」
最後の煽りはスルーして僕は尋ねた。
「今日は教室で授業をやってるわけでもないし、少しくらいうるさくてもお目溢しするのが生徒会の方針だよ」
高等部には新入生の他には案内役の学生しかいなかった。入学式後は何らかの係がある学生以外は帰ったようだ。梢さんの腕には生徒会の腕章がある。たしか副会長だったはずだ。
そういう方針ならいいのか…と僕はひとまず納得した。僕らに注目していた一部の学生たちも、その言葉を聞いて安心して自分たちの会話に戻ったようだ。
僕も梢さんとの話を切り上げようとしたが、彼女は三歩、僕との距離をつめてきた。
ふわふわとした茶髪が目と鼻の先で揺れている。
「それにね、軽く自由にさせる事で見えてくるものがある」
梢さんは小声で僕にしか聞こえないように話を続けた。
『どんな輪ができはじめているのか、誰が中心にいるのか、また外れているのか、
この集団は節度をわきまえていられるのか、扇動されてハメを外しやすいのか』
観察されているのだ。生徒会の方針という事はあとで各クラスの結果を共有されるはずだ。
ここにいる何人が、見られている事に気づいているのだろうか。
「…マサキも都築の男なら人間観察は得意にならなくちゃね」
言い終わると彼女は目を細めてニヤリと笑った。
快活で調子のいい先輩から、鋭い視点を持ったリーダーの顔へ。家にいる時に彼女のこういった面は見たことがなかった。
「…頑張ります」
まさしく、身が引き締まるような思いだった。
これからの学生生活、ぼやっとしていたら自分の扱いはどうなってしまうのか。不安で心まで曇りかけてくる。
まずは彼女の言う通りに周囲に気を配るべきなのだろう。
西棟オリエンテーションは順序よく進んだ。物理、生物、地学の理系教室を通り、最終地点は化学実験室だ。
さすがは化学企業のお膝元、実験室は複数ありどれも設備は充実していた。
類は友を呼ぶという言葉のように、僕は勉強が得意かつ好きそうなグループに収まり、友人たちとここでやる授業への期待や、受験勉強の思い出などを話しながら周った。
浮き気味だった奴にも僕から話しかけ、ひとまずここに入ったことで、男子は全員が問題なくオリエンテーションを楽しめたと思う。
僕が気がかりなのは女子の方だった。SNSの交換の時から孤立している子がいた。
今は化学教室後方でうつむいている彼女は、長い前髪で表情が伺えない。移動の時から一番後ろをついてくる足取りがやけに重かった。もしかして、孤立による心理的なものだけでは無いのかもしれない。
「…あの、もしかして具合が悪かったりする?」
「…!!」
驚いて彼女は顔を上げた。顔色が明らかに悪い。
「あ、あの…少し……気持ち悪くて……で、でも」
「保健室に行こう」
彼女は遠慮していたが、放ってはおけない。
保健室は前を通っただけだが、本部棟の職員室向かいにあったはずだ。
「先輩すみません。具合が悪い子がいたので保健室に連れていきます」
「大丈夫?気づかなくてごめんね。よろしく頼むよ」
梢さんは心配そうに女生徒に謝った。しかし本当に気づいていなかったのだろうか…
訝しむ僕の隣から、小さな声がした。
「……ありがとう都築くん…」
今は身内のやり方を気にするよりも、彼女のために保健室に急ごう。
僕たちは教室を抜け、本部棟への連絡通路へ向かった。
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