第8話 三年後、桜、入学式
春は別れと出会いの季節だ。
今年の桜は長く咲いていたが、午後からの大雨で散ってしまうだろう。
新入生を迎える正門から講堂までの桜並木は、入学式まで出会いの季節を彩る役目を果たした。今や曇天の中で揺れる薄桃色の花たちは、自らの終わりを待つばかりだ。
「───
中等部新入生代表、都築正城」
僕は練習通りに新入生代表挨拶を終わらせ一礼する。広い講堂には中等部と高等部の全校生徒が揃っているが、彼らの席は暗く顔はほとんど見えないため緊張はなかった。
そのぶん明るい壇上の僕は向こうからよく見えただろう。身だしなみは問題ないはずだ。グレーの制服をきちんと正しく着こなし、ショートカットで髪色も焦げ茶、前髪は短くして視線を遮らないように。少し切りすぎたかもしれないが。
僕は壇上から降り、最前列通路側の自席に戻った。
「ふぅ…」
一息ついて体を楽にする。新入生代表は入試一位の証だ。受験勉強はきつかったが、蓋を開ければこの結果。『縁宮に都築の男が進学するならダサい成績はとれねぇぞ』と再従兄弟に脅されていたが、もう少し手を抜けば余計な仕事が増えなくてすんだのに。
………視線を感じたので背筋を伸ばす。教師側の席からは明らかに見られている。僕の後ろの同級生や在校生からも感じる。再従兄弟の脅しの意味がよく分かった。ここでは都築の男は否が応でも注目されるようだ。
八淵市海浜地区にある市内唯一の私立中高一貫校、縁宮学園。最新の設備と実験的な授業制度、さらに充実の奨学金制度と進学・就職の推薦枠を持つ県内屈指の人気校である。
そして重要なのが、ここは都築化学の本社・工場群に最も近い学校であり、それなりの額の支援を受けている事だ。また市内で教育に金をかける余裕のある家庭の多くが都築関連の会社勤めである事から、生徒のかなりを関連社員の子供が占めている。
そのため親の会社の政治が学校内でも延長される面がある。
もちろん僕もそれは承知で縁宮を受験した。だいたい市内なら他校も状況はそれほど変わらないし、縁宮に受からない成績だったのかと馬鹿にされるだけである。
僕は壇上で歓迎のスピーチをする生徒会長のほうを向いて、傾聴しているそぶりを見せながら、背後の視線から意識を反らすよう努めた。こういうことは早めに慣れていかなければ。車で片道一時間半はかかる県外の学校を内部進学するのではなく、市内に通うと決めたのは結局のところ自分だ。
父の影響力から逃れるため、あの時に頼った都築本家が、一族の者は縁宮で学ばせるのを望んでいるという理由があるにせよ、だ。これまで親戚が何人も卒業してきたのだ。僕も変に気負わず後を追えばいいはずだ。
それから何度か起立したり礼をしたり、国歌や校歌を歌って入学式は終わった。講堂を出ると外は真昼にもかかわらず薄暗く、ぽつぽつと地面に雨の跡がつきはじめた。予報ではこのあと酷くなるらしい。
早めに帰りたい所だが、午後も施設案内などのオリエンテーションがあるのだった。
「じゃあ三組のグループはこれだから。よろしく」
「よ、よろしく都築くん」
入学式後の休み時間は和やかなようで焦りと不安が水面下でひりついている。このSNS時代では最初にIDをどれだけ交換できるか、どのグループに入れてもらい、誰と繋がるか、初手でその後の人間関係が大きく左右される。誰もが仲間外れを恐れて、まだよく知らない相手と意気投合したかのように振る舞い、手早く繋がっていく。
もちろん、今話しかけに行った彼女のように、流れに取り残される者もいる。僕だって本来の性格はそちら側の人間だ。この名前と成績という肩書きで回避したにすぎない。
成り行きで僕が主催する流れになったクラスのグループだが、やるからには漏れなく繋げてやりたかった。友人になるか以前に、必要な連絡もとれないのは心苦しいことなのだから。
SNSの画面にある、顔と名前が一致しない新しいアイコンを数えている途中でも、僕の頭から離れないのはただ一人だった。この一覧に入れることができなかった、本当に繋がりたかった人のことだ。
あの事件も四月だった。そろそろ三年になるのか。僕はこの三年間、どう生きてこれただろうか。
父との関係の決着は思ったよりもすぐについた。僕が曾祖母への連絡方法を考える前に、検査を口実に数日入院させられた病院に曾祖母は見舞いにきた。自身の通院のついでという体だったが、僕が話す前におおよそ真相の見当はついていた気がしてならない。いつもはもっと付き人のいる曾祖母だが、その日は車イスを押す一人だけだった。
僕が緊張で酷く吃りながら「お話ししたいことがあります」と伝えると、曾祖母はすぐに人払いをした。二人きりの病室で、僕の下手くそにもほどがある経緯の説明をせかすことなく、頷きながら静かに最後まで聞きいた後の発言は、
「たいへんな目にあいましたね」
たった一言だけだった。それだけで、絶対的というのに相応しい存在感に満ちていた。
僕が知ってる静かな曾祖母はここまでだ。そのあとの話は都築本邸に同居している再従姉妹からの伝聞になるが、父が呼び出された部屋から聞こえたの声は「窓ガラスが割れるかと思った」とのことだった。
その叱責の先には二つの道しかなかった。すなわち関係の仕切り直しか決別か。僕たち親子は後者に至ったのだと思う。言い切れないのは本人から絶縁を告げられてはいないし、僕からもそうだという点だけだ。
退院する僕を迎えに来たのは本家の人であり、そのまま本家で面倒を見られることになった。急すぎて当時は困惑したが、まぁ有難い話なのだろう。
問題はあの人の、迫水さんの連絡先を聞きだすつもりだった秘書とコンタクトがとれなくなった事だった。彼はあくまでも父の秘書であり、僕個人とは縁がない。だから事件の後に会うことも無く、携帯の弁償や服の返却がどうなったかも分からない。まさかやっていないという事はないと思うのだが。
一応、自力で上川の家への道を調べようとしたが、ネットで見られる地図は不完全で、あの家までの道は分からなかった。山奥すぎて交通手段もほぼ無い。
現代は人と人が離れていても繋がれる時代などというが、僕はこの通りだ。血縁があっても決別した父と、仲良くなれても見知らぬ土地の他人だった迫水さん、真逆ではあるが、縁というものの脆さを思い知った。
休み時間が終わり、僕は教室後方の窓際の席に戻った。ごうごうと春の風が吹き、窓を打ち付ける雨音が響いている。
あの人は今、どこかで苦しい思いをしているのだろうか?
雨の日はそれだけが気がかりでならないのだ。
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