第7話 会えてよかった

 お兄さんはトイレではなく、居間から一番遠い寝室に入った。それから苦々しい顔で、早口にこれまでの話を教えてくれた。


「手短に話すと、君はキャンプ場で一人で遊んではぐれた事になっている。警察は昨日の七時頃に通報を受けて、キャンプ場を捜索。深夜は中断して朝から周辺に捜索範囲を広げている。報道はまだされていない」

「キャンプ場じゃないよ…」

「分かってる。あの男は子供を山に置き去りにした。罰を受けるべき犯罪者だ。それを誤魔化すために嘘をついた」


 あの男、という呼び方には強い軽蔑がこもっている。


「警察もオレの電話に狼狽えるわけだ。絶対に一晩でつける場所じゃない所で見つかったんだから。あの男の虚偽の通報で見当違いな所を捜索させられてたって猿でも分かる。

 都築のお偉いさんには逆らえない。それでも捜索部隊を動かしてるから後に引けない。だから君がここで見つかったことは内々に処理して、キャンプ場周辺で見つかったと報告書を書ければ一件落着だ」


 早口に怒りが乗っていく。僕に説明するというよりは、やり場の無い自分の気持ちを吐き出すようにまくし立てている。

 それでも抑えきれず、ドン!と壁に拳をあてた。


「ふざけるな…!!」



「味方してくれてありがとう、お兄さん。もう十分だよ。仕方ない…ことだし…」


 僕は頑張って、なるべく心配をかけないように笑顔を作ってお礼をいった。このために二人きりになりたかったのだ。お父さんの前では流石に作り笑顔も難しい気分だろうから。

 子供の僕は結局帰ってあの人と暮らすしかない。本当の事が明かになり、捕まりでもしたら社員の皆さんにも迷惑がかかるのだろう。それは僕にとっても心苦しく避けたい事だった。だから僕のことはもう仕方ない。

 あとは、せっかく味方してくれたお兄さんとのお別れは楽しいものであるように…



「………君にそんな顔を、させたくなかった」


「うまく笑えてなかったかなぁ」


 見破られるともう取り繕えなかった。情けなさと別れの不安が押し寄せてくる。


 お兄さんは屈んで、僕の肩に手を置き、うつむく僕と目線を合わせた。あの森の泉のように澄んだ綺麗な瞳だと思った。子供だからとか、可哀想だからとかじゃない。僕自身をまっすぐ見つめてくれている。

 それからお兄さんは、噛み締めるようにゆっくりと、大切なことを伝えてくれた。


「君はもっと怒っていい」


「もっと自分を思いやって。キャンプ場から探したら、君を置き去りにした所まで捜索範囲が広がるのに何日かかる?あの山で怖い思いをしたんだろう?もし、もしオレが見つけなかったら、君は……」


 昨日の夜を思い出す。暗く冷たい夜だった。何もかも終わってしまうかと思った。けして無かったことにはできない。

 そんな僕よりも泣きそうな声で、お兄さんは肩に置く手に力を込めて言った。


「謝られて許すのはいい。だが謝ってもいない奴を諦めて、自分の気持ちを殺さなくていい」



 最初は真っ黒な森の夜で、そして今。また同じ気持ちになった。僕は心底この人に助けられたんだと思う。


「……怒ってくれてありがとう。全然仕方なくなんてないよね。気持ちに嘘はつけないよね」


 このままやられっぱなしは嫌だ。嫌だって思っていい。お兄さんに勇気をもらったので、僕も今思い付いた奥の手に出ようと覚悟を決めた。


「お兄さん、僕にも計画がある。お父さんは都築の力で警察より上っぽいけどさ、都築で一番偉いのはひいおばあちゃんだ。なんとかして本当のことを言いつけてやる」


 家の力で不正をねじ曲げるなど本来あってはならないことだ。身内の不始末は身内の一番偉い人がつけるのは当然のことだ。むしろ一族の人間として報告の義務すらあると思う。


「………あぁ、それで君がちゃんと守ってもらえるなら、一番いいのかもしれない。証人が必要ならいつでも呼んでくれ」


 お兄さんは僕の計画の有効性ついて、少し考えてから首を縦にふった。肩の手がそっと離れていく。お兄さんは立ち上がり姿勢を正す。


「君のほうが視野が広かったな……。俺に出来ることは何でも協力するから」

「視野?そうかな?」


「オレはさ、自分でなんとかできたらって考えてた。だから出来ることが思い付かなかったんだ。力が足りないのを思い知って悔しいばかりだった…。

 偉そうなこと言ったくせにこれだからなぁ」


 お兄さんは笑いながら言った。それは自嘲というにはふっきれた、爽やかさを感じる笑顔だった。


「オレももっと頑張らないとな。雨の日が嫌いとか言ってられない。君に年上ぶれるような、ちゃんとした奴になってみせるさ」


「お兄さんはもうすごいって!何回も助けてもらったもの。自分の気持ち誤魔化さないようにしようって思えた。恩返しはするから!」


「…ありがとう。まずは戻って頑張らないとな」


 お兄さんは僕の頭をぽんと撫でて、ドアの方へ歩きだした。僕も追って踏み込む。

 居間に戻ると警察官が座りもせず壁際に立っていて、お父さん…、父はもう玄関だと教えられた。せっかちなのか、脱走を警戒したのか。いずれにせよ、僕も向かう。


「遅かったな。帰るぞ」

「…分かった」


 靴を履いて振り替える。お兄さんは靴は履かず、ここで見送るようだった。挨拶はさっき済ませたし、父に聞かせてやることもない。僕はもう一度笑うと、お兄さんも笑い返してくれた。僕たちにはこれで十分だ。



 庭には見知った父の車と多分警察の車が停まっていた。運転席には僕もよく知る父の秘書がいて、ずっと待っていたようだ。僕を後部座席に乗せると、父は警察と話をしにいき、車内には僕と秘書だけが残った。


「正城さん。本当に大変な目に…大丈夫ですか?」


 髪を短く整えたスーツ姿の彼は、僕の学校の送り迎えにも時々きてくれる人だ。真面目な人柄で優秀な仕事ぶりは信頼できる。元々は都築化学本社で働いていたとも聞く。


「まぁなんとか。この家のお兄さんが助けてくれたんだ」


 経緯を話そうとして、僕は大事なことを思い出した。


「助けてくれる時にスマホが壊れちゃったみたい。あと、今着てるのはお兄さんの服だから洗って返さないと」

「手配します」


 これでよし。僕は連絡先を聞きそびれたが、あとで彼に教えて貰おう。

 他に今のうちにやる事を探す。車にはドライブレコーダーがついていて、これを押さえることができたら証拠になるのでは?しかし操作方法がさっぱりわからない。彼に聞きたいところだが、彼にも生活があるので、父を告発する企みには乗ってくれないだろう…


 怪しまれずに聞く方法を考えていたところで父が戻ってきた。父は助手席に座ると市立病院に向かえと指示し、それきり黙って仕事の資料を読み始めた。


 やっぱり謝らないんだな。

 僕はいまさら悲しくなった。それでも昨日までは信じていたのだ。誤魔化したり諦めたりするのをやめれば、やはり父と僕は本当の意味での家族とは言えないだろう。

 そんな無機質な家に戻る道を車は走り出す。


 父が今回の件で僕に思い知らしたように、僕もこれから父に思い知らせることになる。向こうは僕が息子だから従順に黙っていると楽観しているところに、そうではないと教えてやるのだ。


 車は庭からでて曲がり、山道を下りはじめる。僕は窓から、離れていくお兄さんの家をじっと見ていた。すぐ木の影に隠れてしまうだろうから。


「あっ」


 お兄さんが道に出てきて、こっちに手をふっている。

 僕は考えるより早く窓を開けて、身を乗り出し、山に響くような大きな声で叫んだ。


「またね!!」


 お兄さんにちゃんと聞こえたと思うが、その反応を見る前に山道は曲がり、彼の姿を木々が覆い隠した。そのままの体勢で、家が見える隙間が出てこないか見つめ続ける。だが望みは薄いだろう。こんなにすぐ景色が森に飲まれてしまうなんて、ここに家があったのが嘘のようだ。

 危ないですよと秘書さんに注意されてしまった。もう座るしかない。


 その時、ふと緑の間に薄桃色を見つけた。


 桜だ。麓ではもうとっくに散ったのに

 この山では確かに、別れと出会いの季節を告げる桜が咲いていたのだ。



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