クリスマスツリー 2
社長秘書の玲さんが運転する車でに乗り、秀人さんの会社にやって来た。
秀人さんと私は社長室に案内された。そこは日当たりが良く、窓辺には観葉植物が置かれ、空気清浄機が作動して、快適な空間だった。
「社長、本城愛由美さんです」
「初めまして、本城愛由美です。あの……」
社長は笑いながら
「初めまして、社長の氷室啓介です。あ、いやいや、本城さんのことは、立花君からよく聞いていますよ」
「え……」
「自慢の彼女さんだと」
顔が、かぁーと熱くなる。
「さあ、立話もなんだから、お座りください」
秀人さんと一緒に、黒光りするソファーに腰を下ろした。
「どうぞ」
玲さんが紅茶を出してくれた。
「ありがとうございます」
「立花君、休みの日に済まんな」
「いいえ。どうやらいい話のようですし」
「まあ、そうだな。そしてこの話は、ぜひ本城さんにも聞いて欲しいと思ってな」
「え……」
話が意外な展開となり、戸惑った。
「本城さんのご実家は、確か料亭を経営されていましたね」
「はい、北陸の方で≪本城荘≫という料亭をやっております」
「確か、とても評価の高いお店だと」
「いえ、いちおう老舗は老舗なのですが……。何年か前のパンデミックで、以前ほどの勢いは無くなってしまいました」
「もったいないですねえ。口コミでも星が一杯ついているのに」
「こればかりは、お客様が選ぶことですから」
「いや、実はね」
氷室社長が身を乗り出す。
「この会社は、企業の経営コンサルトをしているのですが、顧客の観光会社と北陸地方の目玉プランを考えているんです。その一つが、観光タクシーで隠れた名所を回り、食事は一流料亭で、というもので」
秀人さんが補足する。
「その食事処に≪本城荘≫を使わせてもらいたい、ということらしいよ。昼と夜、限定一組ずつで」
私の知らないところで、そんな話が進んでいたんだ。
「社長、今度直接≪本城荘≫に行って、今回の話をしてみたいと思います」
「おお、そうか。いいかもしれんな。いつごろ行く?」
「プランの練り直しを行って、来年早々に」
「わかった、任せる。本城さん、立花の力になってやってくれませんか?」
「私に何ができるかわかりませんが」
「いや、顔つなぎだけしていただければ」
「……はい」
「秀人さん、私、なにも聞いてなかった」
「びっくりしたか?まあ、ビジネスの話だからな」
「そうだけど……」
「愛由美のお母さんには、こっそり話したんだけど」
「え、ちょっと待って。お母さんのこと知ってるの?」
「ああ。僕の母と愛由美のお母さんは、大学時代の友達だったらしいよ」
「じゃ、じゃあ、私たちのことも話したの?」
「ほんの一部ね」
「一部って?」
「良いお友達としてお付き合いさせてもらってます、って」
「そうなんだ……」
あまりの驚きで、動揺が抑えられない。
「僕の部屋に、よく泊まりに来るとか、そういう余計なことは話してないから」
「あ、あたりまえでしょ!」
私と秀人さんは、セレクトショップにやって来た。秀人さんが、クリスマスイブのディナーの時に着る服をプレゼントすると言ってくれたからだ。
きれいな店員さんが、いろいろアドバイスしてくれる。
「これはいかがですか?」
店員さんが出してくれたのは、ワインレッドのワンピースだった。それはとても素敵だったが、
「い、いえ。ワインレッドはちょっと……」
思わず夢のことを思い出してしまった。
「ではこちらはどうですか?とっても可愛いデザインですよ」
キャメル色が素敵。
「秀人さん」
秀人さんの意見を聞きたい。
「とってもいいと思うよ。着て見せて」
結局、そのワンピースを入れて三着の服と、靴とバッグを買ってもらった。
その後、夕飯に美味しい和食を食べて、秀人さんの部屋に帰って来た。
「ねえ、今夜も泊っていいですか?」
「もちろん、構わないよ」
「久しぶりに……」
声が小さくなる。
「抱いて欲しいんです」
秀人さんは、驚いて私を見た。
「久しぶりって、昨夜も……」
「いいんです。何も聞かないで抱いてください」
秀人さんの目を熱く見る。
「その目には弱いな……」
抱かれた後、秀人さんが語りかけて来た。
「夢から覚めた時、愛由美は長い長い旅から帰って来たようだった」
「はい」
「やっぱりな。愛由美は一日ですごく変わった」
「え……」
「どんな夢を見たのか知らないし、知ろうとも思わない。でも、愛由美にとって、とても大きな意味を持つことなんじゃないか?」
「そうかもしれない……」
「一番変わったのは……」
秀人さんが、悪戯っぽく笑った。
「すごく積極的になった。昨日まで求めなかったことを求めてきたり、自分から攻めてきたり、声をあげたり」
「い、いやぁ」
「でも、そんな愛由美はすごく魅力的だよ。また一つ、僕に心を許してくれたようでうれしい」
恥ずかしい。
「秀人さん」
「なに?」
「お金で、女の子を支配したいと思ったことありますか?」
「過激な質問だね」
「支配される女の子が苦悶するのを見て、楽しいと思いますか?」
「まず、もちろんカネで女性を縛ったことなんかない。ま、人間、ちょっとくらいはサディスティックな意識は持っているから、女の子にイジワルしたいと思うかもしれない」
「やっぱり、秀人さんでもそうなんだ……」
「ただ、僕の場合は愛由美限定で、女の子なら誰でも、というわけじゃない」
「私を、どうやって虐めるんですか?」
「じわじわ感じさせて、昇りつめていく表情や声や、身をよじるのを観察することさ」
「秀人さんも、やっぱりヘンタイだったんだ」
「男なんか、そんなもんだろ。好きな子に対しては」
「私のこと、好きだと言ってくれるんですか?」
「好きだよ……。大好きだよ」
「支配するとか、されるとか言うのなら、支配されているのは僕の方さ」
「え、支配されているって、誰に?」
「愛由美に決まってるだろ」
「まさか」
秀人さんは、懐かしむような目をした。
「初めて会った時のこと、覚えてる?」
「結婚式の披露宴だった。隣に座って……」
「あれ、ホントは偶然じゃないんだ」
「どういうことですか?」
「母親どうしが友達だって話しただろ?」
「うん」
「君のお母さんに頼まれたんだ。世間を知らないあの子が東京で独り暮らしするのは、とても心配だ。しばらく面倒見てくれないか、と。もちろん、そんなに深い意味じゃなく、愛由美にちゃんとした彼氏ができるまで、ということだった。僕にも、付き合っている女性はいなかったからね」
そんなカラクリがあったのか。
「十歳も年下だったし、正直、恋の対象とは思ってなかった。でも愛由美はどんどん僕の心に入り込んできた。湧き上がってくる欲望を抑えるのは大変だったよ。でも最後の一線を越えるのだけは避けようと思った。超えてしまえば、元には戻れないからね」
どこかで聞いたような気がする。
「ある日、僕が帰って来ると、君は白い薔薇のアレンジメントを作っていた。僕の目をじっと見て、花言葉は≪私はあなたにふさわしい≫だと言った。あの時、深く澄んだ瞳を見て、ああ、これは運命なんだと思った。ただ好きとかじゃない。愛由美は何か特別な感性を持っている。選ばれた人間なんだと直感したんだ。その時から、僕は君に支配されている。目に見えない鎖で繋がれているような気がする。僕はこの特別な存在を、一生守り続けるのだろう。だから、一線を越えて、君を抱いた」
そうだったのか……
「僕には見えないものが、君には見える。僕には聞こえない声が、君には聞こえる。それが幸福なのか不幸なのかはわからないけれど」
十二月二十四日。
ベイエリアに
私はツリーの
ああ、私は祝福されている。私には愛する秀人さんがいて、クリスマスディナーを楽しんで、このホテルで一夜を過ごす。
とても大事な話があると、秀人さんは言った。なんだろう。期待せずにはいられない。
もう一度、ツリーを見る。何度見ても美しい。
あ……
ツリーの下に、ワインレッドのワンピースを着た女の子がいた。その顔は真っ青で、まるで病人のようだ。スーツ姿の長身の男の後に従っていく。目に見えぬ鎖で繋がれているように。
男が女の子の方に振り向いた。そして唇が動いた。
アリス―—―
「どうした、愛由美」
秀人さんの優しい柑橘系の香りに包まれながら、声も出せずにそれを見ていた。
秀人さんは、最高の夜を演出してくれた。素晴らしいフランス料理と、素晴らしいワイン。
「キャメル色のワンピース、よく似合ってる」
「うれしい」
「今度、仕事の話で愛由美の家に行く時、僕たちのことも、正式に話をしようと思っている。その前に、愛由美の気持ちを確認したい」
「はい」
「君のご両親の許しが出たら、僕の部屋で一緒に暮らそう。そして愛由美が卒業したら結婚してほしい」
「はい、よろしくお願いします」
世の中には不幸せな人がいる。だからこそ、私は貪欲に幸せにしがみつく。
私たちは、ホテルの最上階にあるセミスイートルームに入った。眼下には光の海が広がっている。
「今日は、これにしておく」
秀人さんは、小さな箱の中から、金の細いチェーンを取り出した。
「
「変なこと言うなよ。愛由美を拘束するつもりなんか、これっぽっちもないよ」
そう言いながら、ネックレスを付けてくれた。
部屋の隅には小さなクリスマスツリーが光っている。
「メリークリスマス、愛由美」
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