08

 この部屋に通されるまでのルートを思い出しながら図面と照らし合わせて導き出す情報。イメージで作った映像を辿りつつ向かった部屋の扉を開くと、見えてくるのはこの部屋の中の光景だ。此処に居たるまでの分岐のパターンと移動した距離を考えても、その結論に間違いはないとヴァルは一人頷く。

「で?」

 ここまでの情報を整理したことを褒められたと思っているわけではない。それでも、ブラッドの反応を見て感じてしまうのは脱力感で。仕方ないとは言え、張り合いの無さに無意識に覚えてしまう悲しさにがっくりと落とす肩。そうは言ってもこの相棒のことだ。考えるよりも先に身体が動くタイプの彼にしてみれば、今動くのかどうかの方が重要で、既にこの話題に飽き始めているのだろう。その証拠に先程から欠伸が止まらない様子で連発していた。

「……ったく」

 少しくらいはノリを合わせてくれてもいいのにだなんて。そう思うのは虫が良すぎることなのだろうか。やれやれと緩く頭を振り気持ちを切り替えてから、ヴァルは再び口を開き話を続ける。

「とりあえずさっきも説明した通り、職員が勤務するための主要施設は全部、この別棟に集約されていることが分かるだろ? で、こっち側のデカイ建物の方はと言うと、臨時で稼働させるための管制室以外、職員が待機出来る部屋は数カ所だけっぽいよな」

「ふむ」

 指先を動かし図面に付けていく丸印。言葉だけでは上手く伝わらないことも、視覚情報が在るお陰で大分楽に説明することが出来る。隣に立つ相棒は決して頭が悪い訳では無く、単に面倒くさがりなだけ。不満そうに眉間に皺を寄せながらも、言われた言葉に対しての理解が早いお陰で、余計な茶々は入れらずに済むのが素直に有り難い。

「多分これも職員を常に常駐させる為のものではなく、中の人間が出る、外から新しい人間が入るときにだけ解放されるものなんだろうな。此処を見て分かる通り、建物内を管理するシステムは全て外部からコントロール出来る様に設計されているらしい。と言うことは、つまり……」

 そこで一旦言葉を切りハイエナの方へと向き直ると、ヴァルは鋭く彼を睨み付けて低い声でこんな言葉を呟いた。

「この施設は『一度入ると出られない』。そう言う作りになっているんだろう?」

 目の前のハイエナの顔から表情が消え、肩が僅かに上がる。

「当たり、か」

 その反応から分かることに対しやれやれと頭を振ると、ヴァルは大きな舌打ちを零し瞼を伏せた。

「この施設、対象者が中に入ると、自力でそこから逃れる事が出来ない限り出ることは叶わないんだろう? 第三者の助けがあっても、精々施設の外…………フェンスの向こうに迎えを寄越すのが精一杯ってとこじゃねぇのか?」

「……………………」

「外から来た人間がこの中に入るなんて、ただの自殺行為だよなぁ。まぁ、大規模なイベントなんて頻繁に開催するわけにもいかねぇだろうから、普段はモニタルームで監視、安全性は確保済みってことなんだろうが……それは、あくまで、娯楽の為だけの準備段階って感じじゃねぇのか? 大体さぁ、わざわざこの中に入ってまで関わろうとする人間は、職員の中には一人として居なねぇんだろ? パンドラの箱を解放する馬鹿な野郎は、普通に考えてまず居るはずもねぇからな」

 いつの間にか表情の見えなくなってしまったハイエナ。感情が読み取れないという不気味さに嫌な予感が頭を過ぎる。その予感は気のせいなのか否か。その答えはもう暫くすると見つかるだろう。

「なぁ、所長さん」

 一歩だけ。足を踏み出し詰める距離。

「この仕事、余りにもリスクが大きすぎると思うんだが?」

 未だ俯いたままの相手が顔を上げる気配は無い。

「命の保証。当然それは、キチンと契約に含まれているんだよな?」

 漂う緊張感に空気が凍る。

「それが出来ねぇってんなら、この事は本部に連絡させてもらうし、今回の件はキャンセルして貰うって事になるが……異論はねぇよな?」

「…………」

 異論は無いかの問いかけにハイエナは何も答えなかった。嫌な空気だけが辺りに漂う。

「…………それがアンタの答え……ってことで構わねぇな?」

 この仕事は縁が無いものだった。そう言う結論で話を終わらせようと口を開いたときだった。

「……ほ……報酬額は、提示額のば、倍額を出そう……」

 言葉を遮るようにしてハイエナが口を開く。手に持ったハンカチで汗を拭いながら、挙動不審気味に視線を彷徨わせつつこちらの顔色を覗うようにして行われる交渉。この反応は妙な雰囲気だと警戒しつつ、ヴァルは静かに提案を断る。

「いんや。こういうのは金の問題じゃねぇ。これはそんな単純な話じゃねぇだろう? そうだよな?」

 割に合わない仕事はお断りだ、と。ブラッドの手元で広げられた図面を静かに抜き取ると、軽く畳んでハイエナに手渡し背を向ける。

「し、しかし、君たちはハンターなんだろう?」

 だが、彼はヴァルの答えに納得をしてはくれなかったようだ。どこまでも食い下がるように、未だ尚依頼を受けて欲しいと訴えてくる。

「私は、き、きちんと手順を踏んで、協会に依頼を申請をしているんだ。き、君たちが、派遣されてきた、い、以上、し、仕事を、こ、こなして貰わないと、こ、困るのだよっ!」

 ハイエナは全く引く気が無いらしい。しかし、それはヴァルとしても同じ事だった。

「あんたさぁ、何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、確かに俺達は協会に登録しているハンターだよ。でもな、ハンターだからと言って、闇雲にやばいことに足を突っ込んで仕事をこなすのかっつーと、そんなことはねぇんだわ」

 依頼人と仲介者の間でどのような契約が交わされているのか。その詳細はヴァルには分からない。それでも、その依頼を受けるかどうかは、ハンター個人に一任はされていると、ヴァルは話を切り出す。

「エレナから説明は受けているとは思うが、今回想定されるターゲットは特殊な部類に属するものだと聞いている。仕事をする際のリスクレベルは最も最高位と予想される。そう資料にはあったなぁ。それってさぁ、どうしても専門に請け負うハンターが現地に行くってことになんだけど、そのリスクを冒してまで報酬を得ようとするハンターって、アンタが考えてるよりもずっと少ねぇの」

「…………」

「それはウチの事務所も同じなんだよ。俺らも自分の身は可愛いからな。だからこそウチとしては、ある事を最優先事項として条件を提示し、それを受諾できる物としか契約を結ばないことにしている。その条件…………アンタには分かるかい?」

 ハイエナは狡賢いが脅しには弱い。そんな姑息なイメージは実際のハイエナに失礼かもしれないとは思う。それでも、そんなイメージの通り、目の前の男はヴァルの気迫に怯え縮こまりながら必死に考えを巡らせ視線を泳がせるているのだ。その態度が勘に障り苛立たしく感じてしまう。

「俺達の出す条件は一つ。絶対的な安全性の確保……つまり、この仕事を請け負う際、命の補償はしてもらえるのか、もらえないのか、だ」

 いつまで経っても口を開こうとしないハイエナに痺れを切らしたヴァルは、語気を荒げながら吐き捨てるようにそう言葉を締め括った。

「クッ……」

 この提案は何も間違っては居ないだろう。実に正当な意見であることは間違いない。だからこそ、目の前に立つハイエナは悔しそうに唇を噛みヴァルを睨み付けている。それを見て思わず浮かべてしまった満足げな笑み。エレナには後で小言を言われるかも知れないが、そこはもう諦めることにしてしまおう。この依頼は正式にお断り。条件に合うハンターを再派遣して貰うのが一番良い方法だと鳴らす指。

「命の保証が出来ねぇんなら、交渉は決裂、だな。此処まで足を運ばせた経費は後で本部から請求を回しておいてやる。と、いうことだ。異論はねぇな? 所長サン」

 手の平をひらひらと動かし歯を見せて笑うながら告げる交渉決裂の宣言。此処まで来るのに飛んだ茶番を演じた上、大分無駄足だったがわけだが、ハイエナに八つ当たりをすることで多少はストレスも解放された。さっさと帰って酒でも見に行くか。そう考えた矢先の事だった。

「なぁ、ヴァル」

 今まで沈黙を保っていたブラッドが突然口を開き話に割り込んできのだ。

「でもよ、それだとちょっとオカシイ気がすんだけど」

「はぁ?」

 意外な所からの突っ込みにヴァルは間抜けにも口を開けて振り返る。

「オカシイトコってなんだよ? 何が引っ掻かるってんだ?」

「んー…………」

 含みのある言い方をしたと思えば、直ぐに口を噤み考え事を始めてしまった相棒。彼が気にしている矛盾とは何なのだろう。その答えが分からず、ヴァルは黙って彼の言葉を待つことしか出来ない。その時間がとてももどかしい。気が付けば、落ち着き無く膝が揺れてしまっていた。

「……………………はぁ」

 どれくらい待機すれば良いのだろう。無意識に出てしまった溜息の大きさに自分で驚き目を見開く。

「あー……そっかぁ、あれだ」

「何だよ?」

 漸く口を開いたブラッドが、思い出した様に頷きヴァルの方へと向き直る。その顔に浮かぶのは……呆れ、だろうか。

「お前の言いたいことはわかんだけど、それじゃあ、辻褄合わねぇことがあんだろ?」

「は?」

 この相棒は一体何を言っているのだろうか。辻褄が合わないことと言われても何の事を指しているのかが分からず、ヴァルは不思議そうに首を傾げる。その反応を面白くないと感じたのだろう。ブラッドは面倒臭そうに溜息を吐くと、ヴァルを睨み付けながらこう呟いた。

「忘れてんのか? テメェ」

「だから、何を?」

「写真だよ」

「写真?」

 写真。そう言われて無意識に動かす視線。左上に見えるものはこの部屋の天井。まだ日が高いため付ける必要のない照明が明かりを放つことはないが、代わりにゆっくりとシーリングファンが回転している。それを意識の端で捉えながらも目の前に浮かべるのは切り取られた印画紙の情報だ。

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メビウスの悪夢 ナカ @8wUso

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