第2話

「彩、今日はこのまま泊まっていきな」


「……ごめん。ありがとう」


「良いよ。お風呂入っておいでー。パジャマ貸してあげるから」


「……うん」


 今、あたしの心臓はうるさいくらい高鳴っている。

 あたし——水谷みずたに美波みなみは彩子に密かに恋心を抱いていた。彼女と出会ったのは大学生になってから。その時既に彼氏が居た。諦めていた。けど、こんな形で別れて、弱っている彼女を見た瞬間、捨てかけた恋心が戻ってきてしまった。連れて来たのは、決して下心があったからではない。放っておけなかったから。そう。放っておけなかったから。今なら押せばいけるかもしれないなんて思惑が一切ないと言えば嘘になる。だけど、弱みにつけ込むような卑怯な真似はしたくない。フリーになったけど、今はグッと堪えるべきだ。

 浴室のドアが閉まる音を聞いてから、平然を装ってパジャマを持って脱衣所へ向かう。脱ぎ捨てられた服と下着が視界に入る。上下セットのピンクの可愛らしい下着。『今度初めてお泊まりするから勝負下着選んで』と彼女に頼まれてあたしが選んだ奴だ。好きな女に、男に見せるための下着を選ばされたあの時間は地獄でしかなかった。

 ちなみにあたしに相談したのは、そういう経験が豊富そうだからとのこと。正直、男ウケする下着については全く詳しくない。何故ならあたしは男性経験なんてないから。女性経験ならそこそこあるけど。


「……彩ー、パジャマここ置いとくよー」


「あ、うん。ありがとう」


「下着はちゃんとおろしたてのやつ出したから!」


「ごめんね。わざわざ」


「服どうする? 一緒に洗濯しちゃってもいいけど、別が良い? 持って帰る?」


「一緒で良いよ」


「はーい。じゃあ、突っ込んどくよー」


 と、つい言ってしまった。心を無にして、下着、服、靴下を一つ一つ洗濯機に入れる。


「じゃ、じゃあ、あとはごゆっくり。あ、バスタオル適当に好きなの使ってね」


「……美波」


「ん。どうした?」


「……ごめんね。何から何まで」


「……そこはありがとうだろ」


「……うん。ありがとう」


「おう。……ゆっくり入って、身体あっためて、今日はもうさっさと寝ちゃいな。ベッドも整えとくからねー。あ、化粧水とかメイク落としも遠慮なくバシャバシャ使っていいからね」


 脱衣所を出て寝室向かう。そういえば、予備の敷き布団なんてない。仕方ない。ソファで寝るか。


「美波。お風呂ありがとう」


「ん。おう。ちょうどベッドメイキング終わったとこ……ろ……」


 少し濡れた髪、ブカブカのパジャマ。

 なんか、エロい。あと、すっぴん可愛い。


「……どうかした?」


「いや……なんか、あれだね。彼シャツみたい」


「あははっ。思った」


 あたしは170㎝、対して彩子は150㎝。ちょっとぽっちゃりしているものの、小柄な体格だ。そういえば彼女は、出会った頃は今よりもっと細かった。さっきの浮気相手の女も細かった。あたしは今の彼女の方が健康的で良いと思う。


「……美波はスタイル良くて羨ましいな。……私もダイエットしなきゃ」


 ベッドの上に座ってそう呟く彼女の心には、まだ彼の言葉が刺さっているのだろう。正直、ダイエットなんて必要ないと思うし、痩せてあのクズの元に戻ろうと思っているなら尚更応援したくない。


「そのままで良いよ。彩は」


「……気休めなんていらないよ」


 そう言われると思った。


「……分かったよ。手伝うよ。ダイエット。なんか今の彩子、無茶なダイエットしそうで心配だから」


 隣に座ってそう返す。本当は手伝いたくはないけど仕方ない。無理されるよりはマシだ。


「……」


「……どうした?」


「……美波、優しいね。美波みたいな人が彼氏だったら良かったのになぁ」


 ぽそっと、涙と共に溢れた言葉があたしの心に突き刺さる。

 今まで好きになった人達に口を揃えて同じことを言われてきた。『じゃあ付き合ってみる?』なんて冗談っぽく返して、一瞬時が止まったあと、笑って流されて、家で一人で泣いた。

 その言葉は彼女の口からは聞きたくなかった。


「……じゃあ、そうしなよ」


 懲りないなと自分自身に呆れつつそう返すと、今までと同じように時が止まった。あぁ、彼女ともこれで終わりなんだろうなと思いながら恐る恐る彼女の顔を見る。彼女は一点を見つめたまま固まっていた。今までの女の子達の反応とは少し違うように思えた。

 いけるのかという期待を胸に、距離を詰めて手を重ねる。びくりと跳ねて恐る恐るこっちを見た。目が合う。見つめ合ったまま、指先を愛撫する。彼女は目を逸らして、ぎゅっと目を瞑った。


「……彩。冗談じゃないよ。あたし、本気だよ。ずっと彩が好きだった。今も好き。彼氏居るから遠慮してたけど、別れたからもう良いよね?」


「……」


 彩子は目を逸らしたまま答えない。手を払うこともしない。だけど、彼女の身体が微かに震えていることに気づく。すぐに手を止めて、人一人分の距離を取る。


「……ごめん。調子乗った」


「……ううん」


 気まずい空気が流れる。

 そのまましばらくお互いに顔を合わせないまま沈黙して、先に口を開いたのは彩子の方だった。


「……びっくりした。……そんなこと、考えたことなかった」


「……うん。だろうね」


「……美波は、レズビアン? なの?」


「……うん。男を好きになったことはないよ」


「……いつから……? 私のこと……」


「……覚えてない。けど、下着買いに行った時にはもう好きだった。マジで地獄だったわ。あの時間」


「ご、ごめん……」


「いいよ」


「……彼氏だったら良いなって思ったのは本当だよ。けど……女性である美波を恋人に出来るかは……分からない」


「分からない……ねぇ」


「……ごめん。ずるいよね」


「良いよ。分かんないなら確かめてみれば良いだけだから」


「確かめるって……? わっ……」


 再び距離を詰めて、ベッドに押し倒す。彼女は怯えるような目であたしを見つめて、目を逸らして、そして硬く閉じた。

 彼女の頬にそっと触れる。彼女の唇から、ふぅ……と震える吐息が漏れた。身体も震えている。だけど、決して抵抗はしない。


「……彩。抵抗しないならこのまま抱いちゃうよ。良い?」


 最後の警告をすると、彼女は目を開けて、恐る恐るあたしを見て、そして再び顔を逸らして「いいよ」と震える声で呟いた。


「本当に良い? 自暴自棄になってない?」


「……ちょっとなってる」


「だろうな」


「……今は何にも考えたくない。頭空っぽにしたい。して」


「……分かったよ。じゃあ遠慮なく抱くけど、嫌だなとか、気持ち悪いなと思ったら抵抗してね。蹴っても殴っても構わないから。あたし、彩のこと好きだから、嫌がることはしたくない」


「うん……」

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