狂い始めた世界

帝国の逆襲

-フォークランド紛争に於ける新聞の見出し-


1941年、欧州戦線


ユーラシア大陸を一気に流れに乗って前進するドイツ軍は、一挙に支援の合衆国機械化軍団・及び航空軍団の制空権下が原因であった。

事実上戦略空軍を持たない戦術組織でしかないルフトヴァッフェや国力から実現できないイタリア、論外とすら言える他の加盟国と違い合衆国戦略空軍は連日長躯してソ連の大地を蹂躙していた。

ルフトヴァッフェの戦略重爆推進派であるウーデットの事故死を、ゲーリングあたりの差金と判断した第八空軍司令部はドイツ参謀本部を完全に信用せず、スウェーデン領空を飛び越えノルウェーから連続攻撃を繰り返していた。

結果としてバルト海沿岸諸都市は悉く灰燼に帰し、レニングラードはキーロフ鉄道のレールが20キロ以上にわたって爆砕されるに至り飢餓へと陥った。

特に合衆国重爆隊が穀物倉庫を吹き飛ばし、連日の爆撃に最近は時限信管を加えて復旧作業を妨害する事で急速にレニングラードの都市行政及びインフラは崩壊していった。

さらにフィンランドに上陸した諸部隊がラズーリ級艦隊型空母<レジェンド>艦載機隊の援護を受けつつ、砲艦の支援射撃を受けて前進していた。

オラニエンバウム要塞やクロンシュタットの火点及び赤色空軍はこれらに対して何らの作戦的成果を生み出せなかった、派遣艦隊は艦隊型空母1、コロラド改級戦艦1、重巡洋艦等13ほどの戦隊であったが合衆国海軍航空隊は艦隊の管制とチームプレーによってモスカやイシャクをキルスコアに変換していった。

仮に突破したところで、赤色空軍に対艦攻撃という訓練は乏しく艦隊への攻撃のルートを考えるのも難しかった。

SB-2の水平爆撃は当たるはずがなかったし、ペシュカの突入はたちまちに対空射撃が飲み込んでしまった、そもそも突入出来るかが怪しいのだ。


対する陸上部隊であったが、休養と再編、さらに増援の第三次支援軍団約4個師団の到着もあって、合衆国単体で14個師団近い作戦軍だからこその大胆な作戦に出ている。

山岳師団等の一部を捻出してヘルシンキなどを解放、シャーマン戦車は散発的な戦闘を難なく超えてカレリア地峡へ進撃していた。

フィンランドは形ばかり傀儡として抵抗し、武装解除され、ソ連軍はムルマンスクを事実上失陥したと言えた。

既にアルハンゲリスクは合衆国軍の機雷封鎖を受けており、ムルマンスクへ伸びるキーロフ鉄道線が崩壊している以上凍えて死ねと合衆国軍は無視している。

レニングラードも戦艦<ティルピッツ>が、時折遊弋して湾内やオラニエンバウム要塞を攻撃する事を阻止出来なくなりつつあった、抵抗線が完全に崩れ出した。


T-34とKV-1は前線を更新し、度々独軍を足止めしようと測ったが合衆国軍の北部攻勢ではそうもいかない。

ドーントレスやデバステーターが地上支援をしているのもあったが、派遣軍のシャーマンは76mmを遺憾無く使っている。

PAKフロントもその意義を成し遂げる事が出来なかった、圧倒的国力を以てバルト海を掃海すると輸送船から進発した工兵隊は重機材に物を言わせてノルウェー産の鉱石資源で出来たレール、スウェーデン産の枕木で鉄道兵站線をこさえてみせたのだ。

まったくもってイカれた光景であった、兵站段列が改善されている機械化軍を止めるには犠牲が必要である、しかし止めるにあたって大事な熟練の機甲軍や航空支援は遅すぎ少なすぎた。

日中韓との不正規戦が発生している以上、ソ連軍は陸海空の全戦線で敗退を続けていた。

1941年7月にはウラジオストクや朝鮮半島北部も切り捨てて全域で敗退していたのである。


1942年へ年が変わる頃、レニングラードの白宮殿には星条旗がはためいていた。

困窮する人民に合衆国製の塩辛いスパム、スパム、スパム、エッグ、スパム、スパム、ソーセージ、スパムと大量の食糧配給すらなされ、更には救世軍やバチカンなどから派遣された司祭達によって大量の死者が埋葬されていった。

それは現代に再びローマ軍の秩序と繁栄が再現された事を意味した、サードローマを名乗りながら今やバルバロイの様に扱われ始めたロシア国粋主義者にとって、この光景はあまりに強烈に過ぎた。

もう第三帝国もルーシの栄光もない、それを名乗るゲルマンの蛮族とスラヴの蛮人の時代でも無くなってしまった。

いまや、新大陸にローマがあるのだ・・・。


なお、レニングラード郊外での戦闘でウラジーミルと言う姓名のとあるソ連兵士が戦死者リストに載っていた。

彼が死んだ事で、将来のロシア政治家の面子が少し変わってしまった事を知る者は当然だがいない。

そしてそれが良いのか悪いのか、誰も知らない。




再び"奪還"された北方の島に日章旗がはためいているが、その頃から急速に変容が発生していた。

長く続く戦争と混乱、十数年前の5月15日以来から政治的安定と言うものがない大日本帝国では厭戦とは違う感情が出始めていた。

ジンゴイズム、帝国の道を邪魔する奴らは全て排除してしまおうという世論だった。

マスメディアも意図せぬ世論の現出、政府としても困った世論の現出、しかし規制をする根拠がない。

役所にそう言う類の判子が無いは、役人の行動を縛る理由としては十分過ぎていたし、しかもそう言う思想の根源も無ければ中核も無いのだ。

ましてや団体も存在しない、賛同者もない、あるは共通の思想だけ。

日本は制御不能の戦争機械に操縦を奪われて、ハワイ反撃作戦に打って出た、もう事態を止められる者はいない、民がそれを望んでいる。


その真逆の例もあった、戦争機械をなんとか乗りこなそうとする者達、アメリカ連合国だ。

連合国の国民は戦争の色がどんどん色濃く、ドス黒くなっている点を誰もが認識している。

カンザス州での小競り合いの後、再編作業を完了したスタンレイは旅団戦闘団の編成を終わらせ、アトランタに輸送された。

機械化された予備部隊として、連合国総司令部の直握となった。

それについては良かった、スタンレイは妻に会える期待をしていたのである、しかしそんなわけがなかった。

来て荷解きをろくにしないうちに敵の攻勢が開始されたからだ。

スタンレイは「俺が何をしたと言うんだ」とぶつくさ文句を言い、この世の何もかもに蹴りを入れたくなった。

そして彼はある意味確信を持った、自分が妻と何気ない日常を過ごす為に北軍は攻勢能力を失ってくれねばならない。

無論望みうるなら合衆国が滅んでくれると良い、出来れば止めは私以外がしてくれると尚良いのだが。


合衆国軍ポトマック作戦集団は泥濘が終わり、土が乾いたのを見て再編を完了した装甲戦力を集中投入し、アトランタ包囲計画を開始した。

作戦は全く以て理路整然で油断と破綻と無縁に計画され、総攻撃作戦開始にあたって久方ぶりの制空戦闘が繰り広げられた。

レーダーサイトは集中攻撃を受けて破壊され、防空網は各地で穴が開けられ、戦略空軍は都市でも軍でもなく、アトランタ後方の道路や橋梁を猛爆した。

速やかな増援の陸上輸送は困難だった、対地攻撃機があちこちで飛び狂い、連合国空軍が対処療法にてんてこ舞いとなってる現状では無理だ。


後方からの予備隊移送も戦略空軍による全力の兵站攻撃を受けている。

1941年5月、アトランタは陥落の危機を迎えた。



アトランタへの総攻撃が開始され始めた頃、ニューオーリンズを出るイギリス海軍巡洋艦にアイカはいた。

本国は彼女の観戦義務を打ち切った、イギリス軍の戦略会議では連合国は42年から43年かけての時期に起こるであろう決戦次第ではあるものの44年にはその継戦能力が破綻すると考えている。

それが何故アイカを本国へ送り返す事となったかの理由であるが、前線を良く観測した彼女の報告を必要としたのである。

彼女にはやや気が重い仕事であった、彼女が報告すべき相手には王室御用達のSISがいた。

彼女の給料分は二つの場所から出ているが、そのもう一つの出所であった。


「介入はすべきなんだろうけどなあ」


アイカはキャビンで独り言を呟いた。

絆されたと言うより実益上の理由、合衆国が連合国を撃滅した際の結果が理由である。

ISAFが結論を出した様に円卓である程度予想がついていた、間違いなくイギリスの為にならない存在になる。

奴らは再びカナダを狙う、パナマの支配権を奪わんとする、太平洋と大西洋を寸断しようとする、英連邦を寸断する、絶対に許せない。

貴族としての教育と軍人として受けた教育と何となく持て余し続けている戦略論の学識が彼女に楽しくない未来を見せていた、そんな世界が生まれたら島国は楽しいわけがない。

世界は二分される、合衆国の気分次第で世界の海上通商は寸断される、広大な権益を有するリヴァイアサンの存在など絶対に許せない。

絶対に、絶対に、絶対にNEVER

旧大陸でみみっちい大戦争を楽しむナポレオン気取りのボヘミア製クソ伍長のお笑いコントに適当に相槌を打つのだけでイギリスは手一杯である。

アイカには特に知らなくて良いことだが、チェンバレンはアメリカかナチスのどれかは打倒されねばならないと確信していたし、その後に続く二人もそれを確信している。

チャーチルは「とっととナチスを殺して本国の安全を確保しろ」と主張している、アトリーは「将来イギリスが唾つけて独立させる植民地との連絡線を絶対に寸断させてはならない!」と叫んでる。

意外にも海軍と陸軍も対米脅威論を叫んでいた、海軍は「アメリカ海軍が大手を振って歩くなんか許せるか!」とアレルギー反応に近くなっている。

陸軍の脅威論は「主な陸上戦が発生する大戦線の二つ目なんか作られたらたまったもんじゃない」と言う心底財布絡みの理由である。


「・・・介入をする場合、43年から44年にかけての両軍が攻勢と戦争の限界点に達しつつある際、最も重要なタイミングに行うべし」


アイカは祖国のためになる様努力した。

全てそれが為である、何故なら自分はそれで給料を貰っているのだ。

自分のハンティング趣味のためのクラックヨルゲンセン銃も、それで買うつもりだった。


州防衛軍青年将校の手記


5月4日

北軍の砲撃苛烈を極むる。

徹底的熾烈を尽くした移動弾幕射撃極めて巧緻技量卓抜なるを認めざるを得ず。

近頃ますます北軍の戦力我を優越。


5月6日

北軍いよいよ総攻撃を開始、敵装甲戦力およそ連隊規模で我の大隊陣地に突入。

24時間壮烈な遅滞戦を大隊全力で敢行するも、敵機械化歩兵大隊3個の直掩の下敵弾顧みぬ猛攻続く。

指揮下小隊対戦車砲及び肉弾攻撃を以て戦車2、装甲車1及び敵兵230名余りを打ち倒すも小隊42名の内の38人を喪失。

私の右目も失われ、既に小隊は軽機1と小銃兵2、衛生兵と我を残すのみなり。

大隊480名中362名を失ったと統計を受け大隊本部は残存将兵完全に戦列の維持を困難と判断。


5月8日

所属する郷土防衛旅団大胆なる夜襲伏撃を敢行、敵先鋒二個旅団はこれに対し果敢な逆襲挑み戦闘はたちまち白刃戦闘に切り替わる。

敵軍将校瞬く間に奇襲の衝撃から立ち返りて突撃砲中心の逆襲部隊を編成、我の旅団主力による白刃戦の側背に浸透し撃滅を図る。

我が軍夜襲の利を活かせず戦列瓦解、敵味方被害甚大なるも我が軍に比して敵軍損害小なり。


5月15日、ペンシルバニア州地下政府指揮バンカーレイヴンロック<SiteR>


キング海軍作戦部長は最初それを聞いた時、それは本当か?と耳を疑った。

スターク海軍艦隊司令長官をキングは好かなかったと言うのもあるが、彼からの報告は誰が見ても驚くべきものだった。


水無月島MIへの上陸作戦失敗。敵日本海軍潜水艦により輸送船団襲撃受け壊滅。

 海兵二個師団を喪失、兵員4割を海没の可能性大。

 ただし敵戦艦<キリシマ>以下艦隊戦には勝利、敵18インチ砲級大型戦艦に直撃弾2ないし4を認む。

 

追伸。

 解読した暗号文は、敵連合艦隊司令長官の"イソロク"が戦死したと記載あり。

 事実かの確認を要請する。」


キング海軍作戦部長は慌ててOSSを呼び出し、数日ほどで確認が取れた。

日本軍は公式に艦隊司令長官の戦死を公報したからである。

日本海軍は飛行場のある諸島の防衛成功の英雄として、山本五十六を盛り立ててやって戦死を認めたのだ。

これは海軍内部のアレコレと言った問題がある、かいつまんで言ってしまうと五十六があまり好意的に思われていなかったのだ。

暗殺が嫌だから大和に居座ってると言う噂も立つ様な男であったと言うのもある、しかもタチ悪い事に彼は人の金で博打を打っている。

つまるところ、人間の命を賭けた博打陛下の金で賭けをする

ただ、彼を嫌う人間でもその死に様は何とも呆気ないと驚くべきことだった。


モートン・デヨ提督の戦艦部隊はターナーからの船団に対する敵艦隊突入の回避の要請を受け、コロラド改級戦艦5を中心とする部隊でこれと交戦した。

船団護衛にはラズーリ級艦隊型空母<リベルタリア>を中心とする部隊が残ることになったが、<リベルタリア>は前日に水無月島より出撃し、被弾した99式艦爆が体当たり攻撃を仕掛けられた際の損傷もあった、艦爆が引き起こしを断念してそのまま突っ込んで来たのだ。

戦闘自体は反航戦だったが五十六が船団突入を断念して後退を決意した、理由については海軍の情報認識のミスが原因だった。

この頃日本海軍はスパイから「敵18インチ砲級大型戦艦<ラーン>と<ネプチューン>が戦闘任務に就き出した」と言う噂を耳にしていた。

実際のところ、それは誤認だった。

合衆国海軍は太平洋戦域に投入するのは42〜3年だと考えている、実は<ネレイド>と<ポセイドン>があと1ヶ月ほどで就役するからだった。

追撃戦の最中、それが起こった。

安穏とした無駄飯喰いの憂き目に遭っていた<大和>の艦橋に、1発の砲弾が飛び込んだのである。

その際の揺れは艦橋を上下左右に激しく揺れさせ、運悪く艦橋の一部に艦隊司令長官は頭をぶつけてしまった。

それで全てが終わってしまい、しかも残存の将校たちも死亡を認識した訳ではなかった。

高級将官が負傷したので医療要員に連れて行かれ、軍医が死んでいると気づいて報告したが、それは何故かすぐに届かなかった。

追撃戦で隊列の伸びた敵を駆逐艦が嫌がらせして打撃を加えていたが大和艦橋の将校等にそれが関係してる訳ではない。

理由は酷いことに、海軍が人材面で量的限界を迎えているのである。

無理もなかった。


潜水艦伊19号が大型輸送船5隻の撃沈を成功した事により水無月島上陸作戦が失敗したが、日本海軍は突然の事態をどう飲み込むべきか迷い迷った。

まず艦隊決戦論者たる山本が死んだ事で都合が良かった人間もいた、正直あんな勢いで搭乗員擦り減らす阿呆な金遣いされちゃ困る!と海軍航空閥が珍しく陸攻と艦隊勤務揃えて文句を言う。

取り敢えずとして横須賀鎮守府で司令長官をしていた古賀氏を席次と政治と紆余曲折(山本と親しかった事を使い山本派への配慮)によって連合艦隊司令長官が選出された。

が、早速問題が出てきた。

永野の「海軍航空戦力と陸軍航空戦力の総力を持って大宮島を中心とする絶対国防圏」を死守すると言う考えと、古賀による「積極果敢に打って出て機動防御作戦をする」という案が対立し出した。

これにより日本の海軍戦略が二転三転し始める事となる。

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