第30話 幸せなシェアハウスルートはアリですか?

「私、離婚しようと思っているの」


 虚な目をしたお義母さんが発したその一言だけが未だに俺の中で渦巻いていた。


 妹の出生にまつわる話、父親側であるミュラーシェフとの裁判に関する話、そして妹が今現在抱えている原因不明の味覚障害の話。


 知らなかった情報が多過ぎて頭の整理がまるで追いつかない。


「……悪いなミア、変なことにまで付き合わせて」


 午後八時半頃。お義母さんが去った後の喫茶店は人気がなくとても静かだった。


「ううん。気にしないでミアも関係者だから」


 前回の話し合いに同席していたミアも流石に今回開示された情報には驚きを禁じ得なかったらしい。


「……そっか、やっぱりママは病死じゃなくて自殺だったんだ。訃報ふほうを知ったのはずいぶんと昔だけど……やっぱり理由を知ると辛いかな」

「…………」


 飲み終わったアイスコーヒーの氷を寂しそうに見詰めるミア。涙は流さないもののミアの表情はいつ泣いてもおかしくないほど悲しみに満ちていた。


 妹の出生にまつわる話に出てきた実母の死の真相を聞いて一番ショックを受けているのは他でもない娘のミアだ。


 こういう時に気の利いたことを言える奴が真のイケメンなんだろうな。


「……その、なんだ。ハンカチ一つ出せない気の利かない男だけど、ミアが落ち着くまでは帰らないから」

「綾人は優しいね。あの子がお兄ちゃんと離れたくないって言った理由、今なら良く分かるよ」


 本当に不本意な形で事実確認をしてしまった。お義母さんとの邂逅かいこうが原因で俺が妹の『お兄ちゃん』だとミアに知られてしまった。


 まさか学校の玄関先で俺を待っているなんて。お義母さんはそこまでして俺に話をしたかったのだろうか。


 いや、あれは恐らく責任から逃れたかったのだろう。なんとなくだけどお義母さんの気持ちは分かる気がする。


 誰だって抱えている物を話して、離して楽になりたいはずだ。


 ミアの手前もあり俺はどうしてもお義母さんを責めることが出来なかった。


 しかし、妹の処遇は一体誰が決めるのだろう。もうすでに俺が口出し出来る状況ではないことは分かってる。裁判沙汰になればこちらに勝ち目がないのはさっきの説明で嫌というほど思い知らされた。


 だけど──


「綾人。ミアはあの子の……莉奈の意思を尊重したいって思ってる」


 実の姉は生き別れの妹の意思を尊重してくれている。諦めるにはまだ早い、か。


「あーでも、離れ離れはやっぱり寂しいからたまにで良いから会わせてね? ミアも暫くは日本に住むわけだし」

「俺の許可なんて必要ないよ。いつでも好きな時にアイツの相手をしてやってくれ」


 ありがとう、そう言うミアの顔は少しだけ赤味を帯びていた。


「……それに綾人ともプライベートで会いたいし。もっと知りたいし仲良くなりたい」

「…………」


 モニョモニョ何かを口籠もっているミア。どうやら平常心は取り戻せている様だ。


「いや、待てよ。ミアが綾人と結婚すれば莉奈とも離れ離れにならなくて済むし解決策としては一番の落とし所なんじゃ?」

「…………」


 独り言にしてはずいぶんとクソデカな発言だった。


 妹といい将来の展望ビジョンはもっと真剣に考えてから行動して下さい。思いつきダメ絶対。


「ところで、ミアはそろそろ帰った方が良いんじゃないのか? お父さんも心配してるだろ?」

「ん? パパは今頃お偉いさんに接待されてるだろうから気にしなくて良いよ。それにミアはホテルだから時間とか気にしなくて良いし」

「あっ、そうですか」


 まずい、このままだと帰るタイミングを逃してしまう。何とかしてミアを帰らせないと。


「そういえば綾人って一人暮らしなんだよね。住んでる場所は学校からは近いの?」

「いや、アパートは駅一つ分くらいは離れてる」

「交通手段は?」

「バイクで通学してるけど?」

「ふーん。そっか」


 妹で積んだ長年の経験が姉のミアにも適応出来るなら、その意味深な視線は絶対によからぬ事を企んでいるに違いない。


「ねえ、綾人。シェアハウスとか良いと思わない?」

「いや、そこはまず「良い物件知らない?」とかだろ!」


 あまりの神速な行動力に思わずツッコミを入れてしまった。流石はあの妹の姉、グイグイ来るのは血筋なんだろうか。


「ん? 良い物件ならミアの目の前にいるけど? 将来性とフィーリング二重丸の良物件が、ね?」


 パチリ、と。ラブラブな光線をウインクで発射するミア。あまりの可愛さにハートを撃ち抜かれそうになった。


「まさか、ミアは一目惚れとか信じるタイプなのか?」

「あながち否定は出来ないかな」

「嬉しいけど、俺には先約があるんだ」


 小虎という相手が。というか、良いなシェアハウス。金銭的にも助かるし、将来を踏まえて小虎と同居する事を考えてみるのも悪くないな。


 いや、妹の問題があるのにそんな浮ついたことやってられないだろ。


「それってつまり恋人がいるってこと?」

「まぁ、ゆくゆくは」

「……そっか。綾人くらいの男の子なら彼女がいるのは当たり前、だよね」


 俺の断りを受け再び悲しみの色に支配されるミア。何ということだ、余計に帰り辛い状況になってしまった。


「ごめんね。一人で勝手に盛り上がって。なんでかな、ミアって好きになった相手はいつも恋人がいる人ばかりなんだよね……」

「…………」


 気まずっ。急に失恋の話始められるとリアクションに困るんですけど!


「しかも、まだ付き合ってもいないのに彼女からは泥棒猫呼ばわりされるし……本当にミアって恋愛方面だけは不運なんだよね」


 悲しみを通り越して虚無にすらなりつつあるミアの瞳からは光が失われていた。あの、怖いんで目からハイライトを消さないでください。


「はぁ、この歳で未だに処女ヴォージンとか完全に恋愛弱者だよね。やっぱり彼氏出来ない女って何かしらの原因があるのかなぁ……」

「…………」


 帰りたい。なんか色々と居た堪れない。

 ミアってこの容姿なのに彼氏がいないんだよな? 何か複雑な事情があるのだろうか?


「いっそ一夜だけの愛ワンナイトラブでいいからミアに優しくしてくれる人いないかなぁ……」


 誘うような流し目で俺を見るミア。


「いないかなぁ(チラッ)」

「…………」


 何か色々と腑に落ちた。ミアに彼氏が出来ない理由が今この瞬間になんとなく分かった。こんな見える地雷に手を出す男はそうそういないだろう。いや、知らんけど。


「……ミア、君はもっと自分を大切にした方がいい」

「うん。ミアが好きになったひとはみんなそう言ってミアを遠ざけてた」


 だろうな。むしろ納得しかない。


「逆に考えるんだ浮気する様なクズ人間を好きにならなくて良かったって。大丈夫、ミアならきっと良い人が見つかるよ」

「そう思って日本に来たんだけど、今しがた失恋したんだよね。もう立ち直れないかも」

「大丈夫、恋愛相談ならいくらでも乗るから。それに俺たちもう友達だろ?」

「……うん、ありがとう。綾人って本当に優しいね」


 帰りたい一心でとんでもない約束をした気がするけど……今はとりあえずこの場から離脱するのが最優先だ。


「ちなみに綾人って彼女とはどこまでの関係なの? エッチはもうした?」

「……ノーコメントで」

「もしかしてまだだったりする?」

「ノーコメントで」

「まさか、彼女がエッチさせてくれないとか? それ絶対に地雷だからはやく別れた方が良いよ!?」

「やってられないんでもう帰らせてもらいます!」


 漫才コントの幕切れの様に「良い加減にしろ」とツッコミを入れた俺はそのまま席を立った。


「……やっぱり綾人は彼女と上手くいってないんだ。ならミアにもワンチャンあるじゃん!」

「ねーよ! また学校でな!」

「うんバイバイ。綾人、これからよろしくね!」


 出来ればよろしくされたくないと思った。あんな感じだから泥棒猫って言われるし彼氏が出来ないんだろうな。そう思って俺はミアを置いたまま喫茶店を出た。支払いはお義母さん持ちだから何の気兼ねもなく帰れる。


 なんていうか、話せば話すほどミアが面倒な女だってのが分かるんだよなぁ。


「とんだ交通事故に遭ってしまった。早く家に帰らないと」


 家に帰って、俺にはやらなければいけないことがある。

 こんな時だからこそ、妹を元気付ける物が必要なんだ。

 勝負で作った残り物だけど。

 試食は済ませた、味もお墨付きだ。

 今回のケーキに失敗はない。


 たとえ味が分からなくてもこのケーキだけはちゃんと食べさせてやりたい。

 

 妹にケーキをプレゼントする。そこで俺の本当の気持ちを伝える。


 長い長い自問自答はもう終わりにしよう。

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恋と勝負とウエディングケーキ「お兄ちゃんのこと大好きな妹(義理)ですが、何か問題でも?」 くぼたな @kubotu

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