第29話 わたしは悪い女【風花視点】

 戌井さんとのカラオケは三時間くらいじゃ全然足りないと思うくらい充実した時間だった。


「じゃあね、戌井さん」

「ああ、またな」


 夜の八時過ぎ。カラオケ店で戌井さんと別れたわたしはお家に帰る最中で戌井さんとの会話を振り返った。


「子川とは小学校の時に同じクラスだったんだ」

「そうだったんだ!? あれ? それなら子川くんは戌井さんのことを知ってるはずじゃ?」

「……いや、ウチは小五の時に県外に転校したから。だからあっちは覚えてねーんだろ。しかもウチの見た目今こんなだしな。分かれって方が無理なんだけどよ」

「……そっか。なんかそれは辛いところがあるね」

「ああ、しかもあっちは昔と変わらずにお節介焼いてウチのこと助けたんだぜ? アイツ、マジで昔から何も変わってねーの。マジでもどかしいわ」

「それは凄く分かる。むしろ分かり過ぎて辛い」

「だろ? 人の気も知らねーでイケメン気取るなよ。せっかく初恋を忘れてたのにまた惚れたつーの」


 小学生時代の思い出話を語る戌井さんの表情は普段の仏頂面とは違って、なんていうか『恋する乙女』の顔だった。


「悪かったな。ウチの嫉妬心の吐口はけぐちにして」

「ううん。理由が分かったから今は納得出来てスッキリしたよ」


 戌井さんの気持ち、共感できるとこあるし。


「かぁー、心が広いな。やっぱそんくらいの器量が無いと男は物にできねーか」

「…………」


 言えない。子川くんとはまだ正式に付き合っていないなんて。


 勘違いとはちょっと違うけど。戌井さんは子川くんとの恋を諦めたから……わたしと友達になってくれたんだよね。


 事実がバレたら振り出しに戻るどころか余計に関係が悪化しそうだし?


 子川くんをNTRれる可能性もゼロとは言い切れないし。むしろ不安しかない。


 あ〜でもでも! 戌井さんと子川くんの仲が悪いのはやっぱり見過ごせないよ!


 子川くんは渡せないけど、友達になるくらいなら問題ないよね?


「ねえ、戌井さん。相談なんだけど……子川くんとも友達にならない?」


 わたしの提案に戌井さんは眉根を寄せて難色を示していた。


「いいって。ウチはこれ以上野暮な真似したくねーし」

「大丈夫、めっちゃムカついたけど、あれ以上の野暮なことなんてないから!」

「お、おう。お前も中々に言うじゃねーか」


 わたしは半ば強引に押し切る方で戌井さんを説得した。


「やっぱり初恋の相手って特別じゃない? なのに仲が悪いままなのは悲しいよ」

「いや、でもよ」

「わたしも協力するから!」

「気持ちはありがたいけど……」

「はい決定! とりま一曲歌ってテンション上げてこー!」


 ほぼほぼわたしの独断と強行だったけど、最終的には戌井さんも子川くんとの交友に前向きな姿勢を見せてくれていた。


 そんなこんなで帰宅途中。


「う〜、うさぴょい、うさぴょい」


 カラオケで歌った『うさぴょい伝説』を口ずさみながら夜道を歩いていると、進行方向の先からバタバタとあわただしく駆ける小さな人影が見えた。


 何事? と、思って人影をジーッと凝視すると、海外製のお人形さんみたいな可愛い感じの女の子が必死の形相でわたしに詰め寄って来た。


「あの、お兄ちゃん知りませんか!?」


 緑色の瞳に胡桃色の茶髪が印象的な女の子。わたしの知る限りでこんなに可愛い容姿をした女の子は一人しか知らない。


 あー、でもでもごく最近になって他にも見た気がするんだけど。気のせいかな?


「……莉奈ちゃん?」


 子川くんが溺愛している義理の妹。名前は莉奈ちゃん。わたしにとっては戌井さんよりも、他の誰よりも厄介な『恋の宿敵』だ。


「子川くんを探してるの?」

「はいっ。貴女ならお兄ちゃんと連絡取れますよね!?」

「取れないことはないけど……」


 よくよく考えたら莉奈ちゃんと会話するのはこれが初めてだった。


 会う度に嫌な顔されていたから間違いなく嫌われているとは思うけど。


「お願いします。莉奈はどうしてもお兄ちゃんに会わないといけないんです」


 そんな風に嫌っている相手にまで協力をお願いする状況が緊急事態なのは間違いないだろう。


「……分かった。とりあえず連絡するけど、あまり期待しないでね? 子川くんって電話するの自体あんまり好きじゃないみたいだしさ」


 スマホを取り出して子川くんに連絡すると案の定というか、何秒コールしても電話には出なかった。


「うーん。これは取り込み中みたいだね。とりあえずメッセージだけ送っておくね」


 L○NEのアプリを立ち上げて子川くんにメッセージを送る。莉奈ちゃんがお兄ちゃんを探してますよっと。これで良し。


「えーと。莉奈ちゃん、返信待ちだからとりあえずどこかに座ろうか?」

「そんなゆっくりしてる時間ありませんから!」


 わたしの誘いをキッパリと断る莉奈ちゃん。苛立ち始めてるあたり、これは相当切羽詰まってる感じだなー。


 ここは何かテキトーに話題振って和ませますか。


「ところで、莉奈ちゃんって化粧品コスメはどこの使ってるの? 見ない間にすっかり大人っぽくなったよね」

「いえ、貴女には何も教えませんので」

「えー、そんなに邪険にしなくてもいいじゃんかさ。わたしは莉奈ちゃんともっと仲良くなりたいんだけど?」

「莉奈は貴女のこと嫌いなんで」

「おおう。面と向かって言われると傷付くなー。まぁ、知ってるけど」


 チリチリと。身体の一部が焼け焦げる感覚を覚えた。


 ああ、身体が焦げ臭い。タバコはもう吸わないって決めたのに。


「……じゃあ、質問を変えるね。ねえ、莉奈ちゃん。子川くんのアパートにいた理由を訊いてもいい?」

「……別になんだっていいでしょ!」


 険しい表情を見せる莉奈ちゃん。自分でも空気読めてない発言だとは思う。けど、やっぱりその事が気になって仕方がなかった。


「いやー、実は子川くんが最近になってから『らしくない』行動してるから気になってだんだよね」

「貴女には関係ないことですから!」

「んー。たしかに部外者のわたしには関係ないけどさ──」


 ちょっと威圧気味に。脅しをかける様な感じで。自分でもちょっと性格悪いとは思ってるけど。


「他でもない『大切な存在の子川くん』に何かしらの被害が及ぶ可能性が1%でもある以上は、わたしは小さいことでも看過出来ないんだよねー。悪いけど」


 安易に人の家の家庭事情に首を突っ込むなって話は分かる。けど。


 それはお互い様だし、受けた恩は別の形でも返さないとね。


 ごめんね子川くん。ちょっと莉奈ちゃんイジメるけど、悪い様にはしないから。たぶん。


「莉奈ちゃんはさ、自分が子川くんにとってどれくらい“大切な存在”かちゃんと分かってるの? まさか大切にされてる自覚が無いなんて舐めたこと、言わないよね?」


 たぶんこの『お節介』は嫉妬心から来ているんだと思う。


 ヤキモチなんて軽い物じゃなくて。もっと心の奥底にある人には見られたくない暗い感情。


「わたしはあるよ。大切にされてる自覚があるから今でも告白を待っているし。これからも子川くんのペースに合わせて歩いていける。でもさ、莉奈ちゃんは違うよね?」

「…………」


 莉奈ちゃんが黙っている事を良いことにわたしは自分の『黒い部分』を徐々に曝け出していく。


「何に焦っているかは知らないけどさ、自分の気持ちを一方的に押し付けてない? それって相手の気持ちを考えてないのと一緒だよ?」


 ああ、わたしってやっぱり性格悪いなぁ。


 一応は大人なんだから、もっと上手に莉奈ちゃんをさとす方法があったはずだ。


「……なんですか、それ。もしかして家族でも、ましてやお兄ちゃんの彼女でもない赤の他人の貴女が莉奈に説教してるんですか? 何様ですか? そういうのいらないんですけど?」


 だから、こうやって噛みつかれる。


「説教じゃないよ。アドバイスというより忠告かな。同じ男の子を好きになった先輩からの助言は今後のためにも聞いておいた方が良いと思うよ?」

「貴女がお兄ちゃんの何を知ってるんですか? 何も知らないくせに偉そうなこと言わないでください」


 辛辣な言葉。義理とはいえ長年連れ添った妹に言われるとその言葉が身に染みる。


「そうだね。莉奈ちゃんに比べれば重ねた年月は浅いし、自分でも知ったかぶりしてるだけの痛い女だと思うよ。それに、実際にわたしはいつも優先順位が“二番目”だったし」

「……二番目?」


 自虐ネタを披露する機会は失恋した時までとっておくつもりだったんだけど。まぁ、いいか。


 わたしが思うに莉奈ちゃんはもっと自分の身の程を知るべきだと思うんだよね。この子はちょっとばかりワガママが過ぎる。


「わたしね、高校生の時に子川くんを花火大会に誘った事があるんだ。しかも『二人きり』でって露骨な前振りを入れてさ」


 そう、それは高校生最後の夏休み。当時のわたしは千載一遇の恋愛イベントを物にするために勇気を出して子川くんを花火デートに誘った。


 わざわざ浴衣まで用意して。あの時の浮かれ具合はわたし史上最大級の黒歴史と言っても過言ではないだろう。


 子川くんならきっと付き合ってくれる。そんな淡い期待を当時のわたしは抱いていた。


「でも、あっさり断られちゃった。その日は別の用事があるから無理だって言われてね」

「………それって」


 そのエピソードに覚えがあるのか莉奈ちゃんは思い出した様に口を開いた。


「……莉奈の誕生日?」


 八月六日が莉奈ちゃんの誕生日だって知ったのは一年後のことだった。その時は専門学校のクラスメイトと一緒だったから二人きりの花火デートにはならなかったけど。


「ここまで言っても分からないならハッキリ言ってあげるね。莉奈ちゃんは間違いなく子川くんに愛されているよ。わたしよりもずっと」


 だから、と。わたしは言う。


「もっと子川くんのこと、お兄ちゃんのこと信じてあげてもいいんじゃないの?」


 そして、わたしはスマホの画面に映る子川くんのメッセージを莉奈ちゃんに見せてあげた。


『こっちは大丈夫だから家で待っててくれって伝えてくれ』


 本当はもっと早い段階で返信が来てたんだけど。ほら、わたしって悪いことするのが好きな性格の悪い女だから。


「…………」


 莉奈ちゃんは画面に映る文字列を確認した瞬間に張り詰めていた緊張感を解いた。


「分かりました。莉奈はこれで帰ります」


 そう言って背中を見せた瞬間に莉奈ちゃんはピタリと動きを止めた。


「あ、あーその……ありがとうございます」


 莉奈ちゃんはバツが悪そうに。


「勘違いしないでくださいね。これはあくまでもお兄ちゃんに言われたから仕方なく言うだけですから」


 そんな分かりやすい前置きを入れて。


「今まで生意気な態度を取ってすみませんでした」


 ペコリと。莉奈ちゃんはわたしに頭を下げた。それはもう深々と。


 うーん。こういう素直なところが可愛いというか、萌えるというか。


 そりゃ子川くんが溺愛してるんだから良い子なのは分かってるんだけど。


「あっ、でも莉奈が貴女のこと嫌いなのは変わらないんで変な期待しないで下さいね?」

「…………」


 前言撤回。本当に生意気だなぁ莉奈ちゃん。


「ねえ、莉奈ちゃん。この質問にだけは答えてくれるよね?」


 今更だし分かりきった質問だけど。どうしても本人の口から直接聞きたかった。


「子川くんのこと、お兄ちゃんのことは好き?」


 莉奈ちゃんはノータイムで質問に答えた。


「世界で一番好きですけど?」


 何を今更なことを聞いてくるんだ、と言いたげな顔にわたしは言う。それはある意味で戦線布告とも受け取れる発言だった。


「わたしも子川くんのこと好きだよ。結婚したいくらい大好き」


 本人にすら言ったことのないセリフを恋敵に言うのは何か変な気分だけど。


「知ってますよ、だから貴女のことが嫌いなんです。でもまぁ、お兄ちゃんの前でだけは猫被りしてあげるんで安心してください」


 最後まで生意気な態度を貫いた莉奈ちゃんはその言葉を最後に帰路に向かった。


 莉奈ちゃんがわたしを嫌う理由は良く分かるから変に仲良くなることはやめた。


 帰ってる最中に戌井さんと莉奈ちゃんに対する認識の違いは何なんだろうと考えて、お家に着いて、お風呂に入ったあたりで、それはおそらく『覚悟の差』なんだと、わたしの中でそう結論付けた。


「恋敵を勝手にランク付けするとか、やっぱりわたしって根っからの悪い女なのかな?」


 誰にも聞かれたくない独り言は炭酸ガスと一緒にチャポンと落ちてシュワシュワとお湯の中に溶けていった。


「まぁ、誰が相手でも『わたしの子川くん』を渡す気はないんだけどね」

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