第6章(その5)

「それで、私はどうなる。捕らえられて、処刑にでもなるのか」

「あなたがそう望むのならば、それもよろしかろう。……だがその前に、あなたには『悪魔の谷』で見聞きしたことのすべてを説明してもらう必要がある。怪我の事もあるからあまり無理はかけぬようにするが、明日以降あなたから話を聞き取り、調書にまとめさせてもらう。その後身柄を帝都に移送し、然るべき場にて証言していただくことになろう」

 ナイゼルはハールマルドの方を見やるが、彼も肩をすくめるばかりだった。どうやら他に選択の余地はなさそうだった。

 彼が収容されているのは牢屋ではなく療養施設のような場所だったが、それでも逃亡を防ぐために居室の戸口には番兵が交代で詰めており、強引に抜け出そうとすれば悶着は避けられないところだっただろう。

 だがその晩、ひとたび就寝したナイゼルの元を尋ねる人影があった。

「……誰だ?」

「怪我も軽くなかろうに、眠ることも知らないのか」

「気配で目が覚めた。……カリル・ハジャか。一体何をしに来たのだ。昼間、何か私に言いそびれた事でもあったか」

「ハールマルド卿からあらためて話がある。外まで付いてきてもらうぞ」

 寝台から立ち上がったナイゼルに、カリル・ハジャは持参した衣服を投げ渡す。ここで着替えろと少年が言うので、ナイゼルは渋々従う。

 いかにも砂漠の民が着るような現地の衣服だった。ハールマルドやカリル・ハジャが着ているような軍服とも見るからに意匠が異なる。どういう事かといぶかしむナイゼルだが、結局は少年に従うしか無かった。

 戸口にいたはずの番兵の姿は無かった。そのまま少年のあとに付いて、建物の裏手の庭のような場所に出ると、月明かりの下に確かにハールマルドの姿があった。

「一体何事だというのだ」

「カリル・ハジャとも話し合って、おまえをここから逃してやることにした」

「何だって……?」

「『悪魔の谷』でおまえが何を見聞きしたのかはおれも大変に気になる。しかし帝都に送られてしまえばおまえはそれこそ虜囚として、鎖に繋がれて余生を送ることになろう。思えばおれの気まぐれで共に戦うことになったわけだし、そういう意味ではおまえには大変に世話になったからな」

 そう言って、ハールマルドは持参していた一振りの剣をナイゼルに渡した。

「おまえが大事にしていた、おまえの剣だ」

「いいのか。私を逃したりすれば、貴公らも罰を受けるのではないか」

「正式に釈放することも出来ぬかと思ったが、おれの権限で釈放するとなると相応に理由が必要になるし、それに僧侶どもにも立場というものがあるからな。警備が甘くて逃げられてしまったということであれば、僧侶どもの責任ではないし、追う追わぬに関してはおれの権限で判断が出来る」

「だが、逃げられた責は負うことになる」

「まあそうだが、そこはおまえが心配するほどの事ではない」

 どのような目算があるのか、ハールマルドはそう言ってにやりと笑うのだった。

「谷でおまえの身に何があったのかはおれも今更無理に聞き出そうとは思わん。だがおまえは谷から生きて帰ってきた。おまえの神はそこまでおまえを見放したわけではないということだ」

「……だと、よいがな」

 ナイゼルはそう言って曖昧に笑って返すよりほか無かった。

「馬の一頭も用意してやれればよかったのだがな。一人で行くなら、しばらくは徒歩の方が目立たずに済むであろう。……そうそう、あらためて言うことでもないが、そなたら北方人の異教徒の軍勢は北のナルセルスタの砦が陥落したのを最後に、砂漠から退却していった。残った残党どもも確かにいくらかは潜んで悪さを続けているが、大方の見方としては、我らは侵略者を追い返す事に成功し、我らの勝利で戦争は終わったという事だ。異国の甲冑姿でもない限りは、異教徒が一人歩きしたところで、言葉も通じることでもあるし大した騒ぎにもならぬであろう。そのまま街道を北へ向かい、砂漠を出て故国へと帰るのが一番よかろう。……道中必要な物があれば、食い物なり何なり、この金で買い求めるがいい」

 そう言ってハールマルドは、小さいがぎっしりと中身の詰まった革袋をナイゼルに手渡した。

「ただ働きさせたとあっては悪いからな。ここまでの給金だと思って受け取ってくれ」

 そう言われて中身をちらりと確かめてみると、ぎっしりと詰まった銅貨の他に金貨も何枚か混ざっており、相当な額になると思われた。

「一人斬れば金貨一枚と言ったが、それには及ばず申し訳ないがな」

「いや、これだけあれば充分だ。ありがたく頂戴しておこう」

 そう返事をしつつ、ナイゼルはカリル・ハジャの方を見やる。

 ハールマルドの一存で決めた事であれば、わざわざカリル・ハジャと相談したなどと前置きをすることも無かっただろう。あるいはこの企みはカリル・ハジャが言い出した事なのかも知れなかった。

「カリル・ハジャよ。貴公にも礼を言っておこう。谷の出口まで駆けつけて私を救助してくれた事も含めて、な」

 ナイゼルの言葉に、少年は照れくさいのか、ふん、とそっぽを向いたまま何も言わなかった。それもまた、この若者らしいとナイゼルは苦笑した。

 それがこの両名と顔を合わせた最後であった。ナイゼルは夜のうちに収容されていた宿舎を離れ、日が高くなってから露店で食料など必要なものを買い求めると、まずはハールマルドの忠告通りに街道筋を徒歩で行くことにした。怪我が癒えぬうちではあったが、一応は逃亡者であったから形ばかりにも追手がかかっていないとも言えず、ひとところに留まることはなるべく避けて少しずつでも北を目指していくのだった。

 一人の旅の身の上となって、そこで初めて彼は今までの成り行きをじっくりと振り返ってみる。『悪魔の谷』で見聞きしたことを思い返してみれば、残党狩りになぜあそこまで頑なに執着していたのか、今となっては不思議とすら思えるのだった。ハールマルドらの部隊の任務はあれからも続いたか、それともナイゼルの件があって彼は任務を外されたか……それはともあれ、こうやって一人街道を行く分には、道中どこかの村が襲われるところに遭遇するという事も全く無かったし、異教徒としてうろんな目で見られる事はあっても、石を投げられるという程でもなかった。北へ向かうという隊商に行き合い、これに同道させてもらうなどしつつ、やがて友軍が敗走していったという草原地帯の街道筋を通って、ナイゼルは一人故国への帰途についたのだった。



(次章へつづく)

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