第6章(その3)

 その謎はおそらく、この先に見える明かりの元にあるのではないか、という気がして、ナイゼルは彼らを捨て置いて、さらに斜面を下りていった。

 その明かりの元に――何と言えばいいのだろう、祭壇か何かといった様子の石の台のようなものがそこにはあった。

 自然の石が偶然そのような形状になるはずがない。それは明らかに何者かの手で人工的に切り出され、磨き上げられたものだった。そのようなものが荒野の真ん中にぽつんと置かれているのも異様な光景だったが、ナイゼルがことさらに目を見張ったのは、その台座の上に、うら若き一人の乙女の姿があった事だった。

 それも、ただそこに佇んで休息をとっているわけではなかった。彼女はその祭壇のような大きな石の上に、手足を拘束され身を横たえていたのだ。

 盗賊どもが、どこかから拉致してきたのだろうか。だが村では誰かがさらわれたなどという話は聞かなかった。それに少女が身にまとっている黒い衣服はこの砂漠の村々のどこででも未だ見たことがなかった。日差しのあまりに強すぎるこの地では人々は浅黒く焼けた肌を布で覆い隠すが、その娘の装束は白い肌を大胆にあらわにし、まるで何かの典礼用の晴れ着のようにも見える。いや、その漆黒の闇に塗り込められた装束は、むしろ喪にでも服するためのものであったか――。

 そもそも、彼女がそこにいることと、盗賊達が斜面の上で骸を晒している事に、どんな関係があるというのか。

 ただならぬ事が、今ここで起きようとしているのだ――そのように直感し、ナイゼルは身を固くして様子を窺った。

 果たして、彼のその直感が、当たっていたというべきか――。

 ふと前方を見やると、乙女のいる祭壇に向かって、四つ足の生き物がゆっくりと近づいてこようとしているのが見えた。

 どう形容すればいいのだろうか。大きさは犬や狼よりもよほど巨大で……馬かラクほどの大きさがあったが、足は直立してはおらず、まるでトカゲかヤモリのたぐいのような低く這うような姿勢のまま、ずるり、ずるりと祭壇に近づいていく。全身は黒いふさふさした体毛に覆われ、猫のように両目は顔の前方の近い位置にあって、前方をしかと見据えていた。

 その巨大さもあって、ナイゼルは人知れず息を呑んだ――そこで何も声を上げなかったのは正解だった。その四つ足に続くようにして、向こう側から他にも異形の者が姿を見せつつあったのだ。あるものは鋭い鱗に全身を覆われ、馬のような足で軽やかに砂を叩きながら、やはり祭壇を目指してやってくる。あるものは水辺に棲む蛙か何かのようにぬらぬらと水気を含んだ嫌な光沢を放ちつつ、竹馬のようにひょろりと長い足を、砂に突き立てるようにして大股でやってくるのだった。

 そのうち、数えるのもばかばかしくなってきた。その場に現れるのはどれもこれもナイゼルの見たこともないような不思議な、そして不気味な生き物ばかりだった。大きい図体のものもいれば、小さな身体のものもいる。すばしこいのもいれば、のろくさいのもいる。あとからあとから、連中は無数に姿を現してくるのだった。

 そして彼らは一様に祭壇を目指していた。そして、他の者どももまた同じように祭壇を目指しているのだと知ると――昆虫のような複眼を持った四本腕が、口から細い器官をぶら下げた一ツ目に向かって、勢いよく掴みかかった。

 それが合図だというように、彼らはお互い視線を合わせたかと思うと、我先にと相手を蹴散らしにかかるのだった。

 身体の大きいものが有利かというとそうでもない。中にはすばしこくて捕まらないものもいるし、翼を使って空を飛ばないまでも、大きく跳躍して宙に逃れるものもいる。爪や牙といった凶器を振るうものもいれば、怪力に任せるもの、怪しげな器官から怪しげな毒液を吐き散らすもの、様々なものたちが様々な手段で戦っていた。殴り合い、切り裂き合い、ちぎっては投げるようにして、群がるものどもを蹴散らしていく。

 ナイゼルは岩場の斜面に身を潜めて、事の成り行きを息を詰めて見守っていた。

 ひとつ言えるのは、彼らの狙いはやはり祭壇の少女であろうということだった。

 幾多の化け物が、まるで少女に食らいつかんとばかりに飛びかかってきては、横から邪魔が入って叩きのめされる。誰かが少女を義侠心から守っているということもなく、誰かが邪魔をして相手を叩きのめしたかと思えば、次はそいつが少女に向かって魔手を伸ばすのだった。そこにまた横から妨害が入って、あとはその繰り返しである。

 そんな事を幾度となく繰り返した結果、やがて生き残ったものが数体に限られてくる。

 やはり身体の大きなものが有利なのだろうか。遠目に見ている事もあって、祭壇と少女の姿がなければ、おおよそ目測で大きさを測る事も出来ない。ナイゼルの見ている位置からは子供の玩具になるような不格好な人形細工が並んでいるようにしか見えなかったのだ。もっともその玩具には牙や棘や爪があって、相手をちぎり飛ばしては踏みにじるのだったが。

 祭壇の少女の側では存分に暴れられないということなのか、生き残りが数体になってくると徐々に戦いの場が向こう側へと離れていく。それを見て、今が好機とばかりに、ナイゼルは異形の化け物どもに気付かれないようにそっと斜面を下り、身を低くしたまま祭壇の方に近づいていく。

 すぐ傍らまで近づくと、少女がナイゼルを見て声を上げそうになったので、慌ててその口をナイゼルは塞ぐのだった。

「シッ、静かに。連中が争いにかまけている間に、ここから逃げるのだ」

 成り行きがうまく把握出来ていないのか、呆然とする彼女をよそに、ナイゼルは両腕を縛る縄を小刀で切り落としていく。爪先の側に回って足首の方に取りかかろうとすると、少女が小さくあっと声を上げるのだった。

 振り返ると、生き残りの異形の怪物は二体にまで減じていた。その二体が、ナイゼルの存在に気付いたのか、揃って祭壇の方に視線を向けている。

「――――!!!」

 声にならない咆吼が響きわたった。奪われてなるものか、と怪物どもは息せき切って祭壇の元へと殺到してくる。どちらも本当に大きな図体をしていた。巨体を支える脚にしてからがあきらかにナイゼルの胴回りよりも太い。二体とも二本足で立って歩くという意味では人間と一緒だったが、片方は両腕の指の一本一本が牙のごとく鋭利な刃となっていて、もう一方は肩から先が無数に伸びて蠕動する、ぬらぬらといやらしい無数の触手状になっていて、相手をからめ取ろうとしていた。

 両者はお互いが同じ目的地を目指して駆け出したのがよほど気にくわなかったのか、走っている間に何度も小突きあい、やがてはもつれるように取っ組み合いをはじめて、結局両者にらみ合っての殴り合いとなるのだった。触手が相手をがんじがらめにしようとすると、爪がその触手をざんばらと切り裂いて、やがて腹部にその爪が深々と突き立てられると、相手は淡い緑色をした毒々しい体液を嫌と言うほどまき散らして、それ以上の動きを止めてしまったのだった。

 残った爪の巨人が、今度こそナイゼルに向かって突進してくるのだった。

 巨体に似合わぬ俊敏さだった。両者の距離があっという間に詰められてしまう。剣を抜き、構えたところまでが精一杯だった。巨体が繰り出す爪の一撃が、次の瞬間にはナイゼルの鼻先に届いていた。身をのけぞらせてこれを避けるが、続く二撃目に繰り出された爪が、ナイゼルの横っ腹をひと薙ぎにした。

 相手にしてみれば爪の先を少し掠めた程度だろうが、ナイゼルの方は腹部を深くえぐられ、ずたずたに引き裂かれていた。

「――!」

 灼けるような痛みが走る。

 だがナイゼルもそこで怯みはしなかった。相手に腹を引き裂かせながらも、身を捻りつつ一歩前に踏み込んで、巨人の懐に潜り込む。

 考えても、迷ってもいられなかった。とにかく後は切っ先を振り上げて、相手に叩きつけるだけだった。かつて戦場で散々唱えていた聖句が、今更のように無意識のうちに口から漏れてくる。手にした切っ先がほのかに光を帯びるのに、果たしてナイゼル自身は気付いていたかどうか――。

 切っ先は巨人の腹部に深々と突き刺さった。ナイゼルはそれをねじりあげるようにして、ひと思いに引き抜く。紫色をした毒々しい体液がどぼどぼとあふれ出して、周囲の砂地をしたたかに濡らすのだった。

 巨人が苦悶の叫び声を上げる。ナイゼルは再び、剣を異形の怪物に突き立てて、もう一度引き抜いた。開いた傷口から、次の瞬間いきなり相手の身体がそれこそ音を立てて、ばちんと弾けて裂けてしまったのだった。

 怪物は真っ二つに引き裂かれ、巨躯が右と左にそれぞれ別の方向に倒れていく。軽い地響きすら起こったあとに、最後にそこに立っていたのはナイゼルだった……いや、立っていたと言えるだろうか。ナイゼルはがくりと膝を付くと、もつれるようにして化け物の血肉で汚れた地面の上に崩れ落ちた。

 腹部が灼けるように熱かった。

 ここが彼にとっての最期の土地となるのだろうか。

 カリル・ハジャが言ったとおり、彼は悪魔の形をした災厄に襲われ、その命をここで散らせる事になるというのだろうか。

 ここを悪魔の谷と最初に呼んだ者は、果たしてこの谷が本当にこのような悪鬼の巣窟であることを知って、そのように名付けたのだろうか……次第に薄れ行く意識の中で、ナイゼルはそのようにどうでもいいことを、あれこれと思案を巡らせるのだった。

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