第5章 神のために

第5章(その1)



「……ええと」

 あまりに衝撃的な話ゆえに、アルサスはもはや相づちをうつことすら満足に出来ずにいた。

 戦地で現実を目の当たりにした失望感は、何となく分からぬでもない。だがそこから先……怒りに駆られ同胞に刃を向けたこと、そのまま成り行きから敵に加勢する事になるになるに至ってはもはやアルサスの理解の範疇を超えていた。

 そんな彼を、卑怯者、裏切り者とそしっていられればまだ簡単だったのかも知れない。だが彼の感じている絶望、失望が少しも共感出来ないわけでもないがゆえに、頭ごなしに批判する事が出来ないのだった。

「それで……あなたは結局、それからどうしたのですか?」

「どうもこうもない。ハールマルドの誘いを受け、転戦を重ねる彼の部隊にしばしの間、厄介になっていた」

「でも、それって要するに……裏切り者、ということになるのではないですか」

「まあ、それはその通りだな」

 ナイゼルは苦笑いしながら、その事実を素直に認めただけで、目立った反論はしなかった。

「我々は彼の地では非道の侵略者だ。あの場で問答無用で討ち取られていたところで本来は文句の言える筋合いではなかった。誘いを断っていれば、ハールマルド自身が言っていたように私は捕縛され、そのまま奴隷にでもされたか、まともな裁判も受けずに公開処刑にでもされていたか……いずれにしても、ろくな末路は迎えられなかっただろう」

「でもあなたがその指揮官の申し出を引き受けたのは、何もそういった保身が目的ではなかったわけですよね?」

「……まあ、それは確かに、そうだな」

 ナイゼルの相づちが曖昧なのは、もしかしたらそういった保身からそのような判断をする、という選択肢に、ここで今言われて初めて思い至ったからなのかも知れなかった。

 そういう生き方が、出来ない人なのだな、とアルサスは知った。


     *     *     *


 ハールマルドの部隊に同行するようになってから先は、転戦の日々だった。

 遠征軍の残党が潜んでいると言われるその辺りの地方一帯を巡回するように、村から村に旅を続けては、人々を襲っている凶賊がいるという情報が得られればこれを追跡し、叩いた。今まさに襲われている村に救援のため駆け付けたこともあったし、逆に彼らが隠れ潜んでいる洞穴なり水場なりを、こちらから急襲することもあった。

 なかには一度、遠征軍の残党に占拠されたという村に、ハールマルドに是非にと請われて、仲間を装って潜入したことすらあった。

 街道筋から少し外れたところにあるというその村を襲った賊が、そのままそこを占拠して居着いてしまったという話だった。

「いいのか? もし私が、そのまま連中に説得されるなどして、向こうに付くことになったらどうする?」

「その時は、賊と一緒に討たねばなるまいな。……まあお前ほどの手練れを相手にするのは骨だが、それは仕方がない」

 ハールマルドとそのようなやり取りを交わしたのちにナイゼルは部隊を離れ、一人でずっと逃走を続け放浪を繰り返していた、というふりを装って単身その村に乗り込んでいった。

 遠方よりたった一人で――馬は部隊に置いて、徒歩での接近だった――村にたどり着いてみると、彼を出迎えたのは槍をもった二人の兵士だった。

「止まれ!」

 割れるような声で制止され、ナイゼルは立ち止まる。見たところ身分の高い騎士ではなく、農民出の兵卒達のようだった。

 事情を知らない地元の者や旅人が通りすがる事はあっても、同胞の剣士が訪れる事などまず無い事だったのだろう。彼らももちろん初めのうちは唐突な来訪者に警戒をしていたが、それが味方だと知るや、是非にと招き入れられる事となった。

「アッシュマン卿! そなた、アッシュマン卿ではないか!」

 恰幅のいい年配の騎士が、そのように彼を出迎えた。

「貴公も本隊に見捨てられてしまったのか。よくぞここまで、たった一人で無事に逃げ延びてきたものだな」

 その年配の騎士に、ナイゼルは見覚えはまったく無かったが、国元では名だたる剣の名手として名の通っていた彼を知るものはどこにいてもおかしくはなかった。

 村には騎士だけでも十数名、あとは下々の兵卒が十五人から二十人程度いただろうか。これまで出くわした中では一番規模も大きく、軍隊らしい様相を保っていた部類の一団だった。

 ナイゼルはその晩、そこで相応の歓待を受ける事となった。簡単ではあったが宴席のようなものが組まれ、食事と酒がふるまわれた。

「この酒は、一体……?」

「異教徒どもは戒律で酒を飲まぬと聞き及んでおりましたが、何か祭礼用に使うのか、神殿のようなところに樽がいくつかありましてな。……なに、貴公のような立派な武人を迎え入れるのです。今日祝杯をあげずに、いつ祝うというのか」

 ささ、と薦められるがままに少しだけ口を付ける。独特の苦みのある酒だった。祭礼用というからには村人にとっても貴重品だったのでは、と思うと、元々あまり酒をたしなまないのもあってそれ以上手を付ける気にはなれなかった。騎士達はといえば、ここぞとばかりに苦い酒に酔いしれ、陽気に騒ぎ立てはじめる。そのうち、異教徒を何人殺しただの、どのようなむごたらしい目にあわせただの、そのような不愉快な自慢話が始まったので、ナイゼルは気分が悪くなったといってその宴席を中座した。

 夜も更けて、宴はナイゼル抜きでも充分に盛り上がっていた。彼は宴席となっていた邸宅を離れ、村を散策し始めた。広場には兵卒どもが歩哨に立っているのが見えた。その一人を捕まえて、元々ここにいた村人はどうしたのか、と質問した。

 その兵士はなんら悪びれる事のない口調で、こう答えた。

「異教徒どもは皆殺しにしました」

 広場を離れ、村はずれにまでたどり着くと、片すみに何かが黒々とうずたかく積まれているのに気付いた。そっと近づいて、星明かりの下それを見やる。

 それは、火で焼かれてすっかり炭と化した、人間の亡骸だった。

 呆然とそれを見やるナイゼルに気付いて、見回りをしていた兵卒の一人が近づいてきて、説明した。

「異教徒どもです。亡骸をそこいらに転がしておくわけにもいかぬので、ひとところに集めて焼きました」

 そのような役目を言いつかわされて、なかなか大変でしたよ、と兵士は笑って答えた。

 ナイゼルは暗澹たる気分にさせられた。いくら言葉の通じぬ異教徒どもとは言え、皆殺しにした亡骸がここまでうずたかく積まれたところで、何の痛痒も感じぬということがあるのだろうか。一人や二人ならまだしも、消し炭になっている中には明らかに子供や赤子と思われるものまであったというのに。

 その場をあとにしたナイゼルは、広場に戻り、宴席の場に取って返した。正体なく酔いつぶれる騎士達を、ナイゼルは片っ端から一方的に斬り伏せていく。酔いの浅いものが慌てて剣を抜き返そうとするが、ナイゼルの相手になるような手練れは誰もいなかった。

 一人残らず斬り殺したあとで、ナイゼルは何食わぬ顔で再び広場に戻って、見張りの兵卒達にご苦労、と一声かけたかと思うとそのまま入ってきた村の入口の門のところまでやってきた。そこで、灯したたいまつで彼方の闇に向かってあらかじめ決めておいた合図を送ると、程なくしてやってきたハールマルド率いる討伐隊が、村に突入を開始した。主だった騎士達はすでにナイゼルによって始末されたあとで、残る兵卒達もあっという間に討伐部隊によって蹴散らされてしまった。

 結果的に、だまし討ちのような形になってしまった事については、騎士らしくない戦い方だったと恥じ入るところは無くもない。だが討伐部隊に参画したこと、そうやって彼らを討ち果たした事自体には、これという後ろめたさを感じる事もなかった。むしろこれこそがおのが使命であるとばかりに、その後もナイゼルは率先して兵士達の先頭に立ち、剣を振るった。

 そんな彼が、戦いの中で対峙してきた相手の大半は、神のための戦いを続ける、と言いながら野盗くずれに身を落とした者たちばかりであったから、そんな敗残兵同士で何かしら結束するそぶりを見せたり、せめて情報を持ち寄って交換したりといった活動さえ望むべくもなく、ナイゼル・アッシュマンが裏切って敵の側に回ったということも、ほとんど彼らには知られる事もなかったのである。

「あの頃の私は、自分こそが、神の名を騙る者どもへ鉄槌を下す代行者である、とすっかり思い上がっていたのだ。あのむなしい遠征行を経て、それが神のご意志ではなく一部の者の言葉に踊らされていただけなのだと、そう気付いたのは本当に私だけだったのだろうか。惨めな敗走を強いられた者であれば尚更それはよく分かる事ではないのか……そんな風に思っていた事もあったが、残党狩りで多くの同胞と対峙してきた中で、私と同じように考えていた者には、ついぞ巡り会えなかった」

「……」

「恐らくそういう者は、あとに控える者のために進んで前線に残り戦いの中で死を選んだか、早々に本国への帰途についたのであろう。異邦の地に取り残された連中は、結局は何も分からぬ愚か者ばかりだったということだ。……この私も含めて、な」

 ナイゼルはそこでひとつ、ため息をついた。

「私はそのうち、自分が何をしているのか分からなくなってきた。一体何のために戦っているのか、と」

「アッシュマン卿……」

「はじめは神のための戦いだったはずだ。だが最初の遠征行、カラルフラルの戦いで私は一度神に絶望した。続く二度目の遠征行、神の御名を騙る者達に自ら鉄槌を下すことで、神の怒りを私自身が体現しているのだと、私はずっと自分に言い聞かせてきた。だが、戦えば戦うほど、神の姿は私から遠くなっていった。……神は確かにおられるのだ、と、その実感が失われてしまった」

「……」

「アルサス殿。私は異端なのだろうか」

「……それは」

「神の存在を感じることの出来なくなった私は、異端ではないのか」

 そんなナイゼルの言葉に、アルサスは何も言えなかった。一体どう返事をすればよいというのか。今ナイゼルが言ったような事を疑問に思うだけで……自分が異端ではないか、と自問すること自体が、今の王国の風潮からすれば充分に異端であると言えた。その事実をずばりと指摘出来ぬのであれば、アルサスは口をつぐむより他になかった。

 と、丁度その時。

「アルサス殿、静かに」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る