第3章(その3)

 そうだ。

 その巡り合わせをこそ、呪うがいい。

 ナイゼルは砂丘の上に仁王立ちになり、まっすぐにその騒動をにらみ据えたまま、腰に下げた剣をゆっくりと抜きはなった。

 その切っ先を、これまたゆっくりとした所作で、軽く斜めに持ち上げる。直立した姿勢のまま、何かを待つかのように、深々と呼吸をする。

 まるでそれに呼応するかのように、風がゆっくりと止んでいって、砂塵は徐々に晴れていくのだった。

 彼らはまだ狼藉を働くのに忙しく、ナイゼルの出現には気付いてはいなかったようだった。ナイゼルはその場でじっと目を凝らし、敵を――そう、今となっては彼自身が敵と見なした集団の詳細をつぶさに観察し、やがておもむろに斜面を下っていった。

 相手は騎馬の兵が三人、馬のない者がやはり三人。

 そのうちの騎馬の兵が、逃げまどう年端も行かぬ子供に迫り、今にも背中から斬りかかろうとしていた、その時だった。

 ナイゼルはその両者の間、丁度騎馬の兵士の前に立ちふさがる形で、一同の前に唐突に躍り出てきたのだ。

 そのまま向かってくれば、まずは馬を討つ心づもりだった。だが騎馬の兵士は、唐突に目の前に現れたのが異教徒ではないことを知って、思わず馬を止めてしまったのだった。

 しかもそれが急な所作であったためか、馬首を翻したまま、兵士は転ばぬように馬をあやすので手一杯だった。

 ナイゼルはその隙を逃さなかった。剣の柄を両手でしっかりと握りしめたかと思うと、切っ先ではなく柄の方でもって、思いっきり力任せに馬の腹を小突いてみせたのだった。

 馬の方がこれに驚かないわけにはいかなかった。元からバランスを崩しているところに横っ腹に殴打を受けて、馬は兵士を乗せたまま横倒しに倒れ込んでしまう。

 そのまま、乗っていた騎士は馬から放り出され、砂上に乱暴に投げ出されてしまった。

 何事か、と疑問に思う暇もなかったに違いない。その騎士が砂の上に大の字になったまま首をどうにか持ち上げると、間近で自分を見下ろしているナイゼル・アッシュマンの姿を視界に捉えた。それが先ほど進路を塞いだ曲者であると充分に納得するいとまもなく、ナイゼルは男の剣を握った右腕を、有無を言わさず切り落としてしまったのだった。

「――!!」

 悲鳴を上げる暇もなかった。次の瞬間横薙ぎに切っ先が走り、その兵士は寝そべったままの姿勢で、首と胴を切り離されてしまったのだった。

 一連の出来事は、目にも止まらぬようなあっという間の事だった。次の瞬間、襲撃者の一団は、ナイゼルがその場に何をしに姿を見せたのかを、充分過ぎるほどに理解したのだった。

 近くにいた二人の兵士達が、剣を手に雄叫びを上げながらナイゼルに躍りかかってくる。

 ナイゼルは少しも焦らなかった。大振りに振り下ろされた一人目の切っ先を軽く身をひねって避けたかと思うと、すれ違いざまに胴を横にひと薙ぎした。続く二人目も、向こうが剣を振り下ろすよりも早く、ナイゼルの切っ先が斜めに一閃したかと思うと、胴から胸にかけてざっくりと深い傷跡があたらしく開いて、兵士はそのまま砂上にあっさりと崩れ落ちてしまった。

 あっという間に三人が倒れた。その事実に怯みつつも、続けてナイゼルに立ち向かってきたのは、自身の身の丈の倍はあろうかという長い槍を手にした兵士だった。こちらの剣の間合いが届く距離に接近するのは一見容易ではなさそうに思えたが、ナイゼルはおもむろに左手を伸ばして相手の槍の穂先の付け根辺りにはっしと掴みかかったのだった。慌てたのは槍の主で、無論彼の手を振り払わねば、槍がナイゼルを貫くことはなかったのだった。力任せに振り切られるよりも早く、ナイゼルは身を低く屈めたまま一歩深く前に出て、次の瞬間繰り出した切っ先を相手の胸に深々と突き立てたのだった。

 これで早くも四人が死体になってしまった。隊商の人足どもを遊び半分に斬り捨てていた残りの騎兵たちも、仲間を倒した曲者があることに気付いて、ナイゼルに挑みかかってくる。

 ナイゼルは、最後に倒した男の手から槍を取り上げると、向かってきた騎兵に向かって一撃を繰り出した。

 その槍は、こう使うのが正しいのだ、と言わんばかりに、騎馬がナイゼルに肉薄するはるか手前で深々と胸を貫いたのだった。そのまま男を馬上から引きずり降ろすようにして槍を引き抜くと、迫り来るもう一騎に向かって、ナイゼルは槍を力任せに投擲した。

 鋭い一撃だった。直撃こそしなかったもの、槍は見事相手の冑の頬当ての部分に直撃した。顔の肉が半分こそげ落ちたような醜い傷跡をこしらえつつ、男は馬上から転落して地面に投げ出されてしまった。

 大きく開いた傷口を手で押さえながら、よろよろと立ち上がろうとした男に、ナイゼルは大股で歩み寄る。相手が抵抗するいとまも与えぬままに、地面にはいつくばったままの姿勢のところを一思いに心臓を刺し貫いた。

 それが最後だった。刃物を持ってナイゼルに向かってくる者は、取り敢えずその場には一人もいなくなった。

 ナイゼルは砂上に倒れ伏す亡骸の数々を一瞥すると、襲われていた隊商の者達の方に向き直った。

 見れば、無事に生き残っている者達が、怯えきった表情で身を固く寄せ合ったまま、片隅でただ打ち震えていた。ナイゼルはおのれがまだ血刀を抜き身のまま無造作に下げたままなのに気付いて、彼らが何に怯えているのかを知った。

 刀身の血糊を丹念に拭ってから、鞘に収める。それから隊商の者達に向かって一歩踏み出すが、向こうは一歩以上も後ろに引き下がるのだった。

「……ど、どうしてだ」

 隊商を率いる頭だろうか。人々の先頭にいた年長の男がこちらに向かって話しかけてきた。震える手で、護身用と思しき刃のごく短い刀をかろうじてナイゼルに向かって構えていた。

「どうしてだ。どうしてお前は、仲間を殺すのだ」

 よほどナイゼルに怯えているのか、ほとんど裏返るようなしゃがれ声をどうにか絞り出して、男は問いかけてきた。

 最初のうちは、ナイゼルを今しがたの賊の一味と混同していて、隊商の仲間を殺した非を責めているのかと思った。だがよくよく言葉に耳を傾けてみればそうではなく、ナイゼルが自身の同胞を殺したことを、やはり不審に思って問いただそうとしているようだった。

 彼らがそういぶかしむのも無理はなかったかも知れない、とナイゼルは内心苦笑いせざるを得なかった。そうするべきだと思ったから、そのように行動したまでだったのだが、それを彼らに説明して理解してもらえるとは思わなかったし、そもそもナイゼル自身、それを釈明出来るほどにそこまで彼らの言葉に明るいわけでもない。

「別に、仲間などではない」

 たどたどしく、それだけを答えた。お前たちを殺す気はない、と告げてそのまま背を向けて立ち去ろうとした。

 ……のだったが。

「ま、待て」

 相手がそうやって呼び止めるので、ナイゼルは立ち止まってふり返る。勢い余って、数に頼って刃向かってくる気ではなかろうかと用心したが、そうではなかった。

「お前達北方人はまるで悪魔だ。我らの土地に無法に攻め込んできて、何もかもを壊して、奪い尽くしてしまった」

 その恨み言については、まったく反論するすべが無かったので、ナイゼルは何も言い返せさなかった。

「だがお前は、俺や家族、ここにいる仲間の命を、結果的には救ってくれた恩人ということになる。お前がこの場に現れなければ、我らは今頃皆殺しにされていただろう」

「……」

「命を救われたのだ。このまま礼をせずに帰すわけにはいかぬ」

 男はそう言って、唇を噛んだ。それは喜んで感謝の意を表したいというのではなく、やむなくそうせねばならぬという苦渋の決意のように見えた。ナイゼルは詳しくはなかったが、もしかしたら戒律か何かでそのように定められているのかも知れなかった。

「では、水と食糧を、わずかでもいいから分けてはくれぬか。……それから、私はこれからもう少し人の集まるところに行ってみようと思う。良ければ、道を教えてはくれないか」

 そんなナイゼルの言葉に、男は仲間の元に引き下がって身内同士でひそひそと相談を始めてしまった。おそらくは彼の言葉の真意を推し量っているのだろう。ややあって、先ほどの男が再びナイゼルの前に進み出てきた。

「人のいるところになど、行ってどうするのだ。何かあてでもあるのか。それとも、仲間でも呼んで、一緒にそこを襲うつもりか?」

 これにはナイゼルも返答に困ってしまった。まさか、ここでかつての同胞を斬り伏せたのは、彼らを油断させ接近するために打った一芝居だったとでも言うのだろうか。そのために実際に人を殺すというのはさすがに穏やかな話ではない。

 だが、それを否と釈明出来るほど弁に長けてはいなかったので、ごく短く、そんな仲間などいない、と答えるに留めておいた。

 そんなナイゼルに、男は告げる。

「人のいる集落に近づくのはいい。だがお前はそこで殺されてしまうだろう。今砂漠には、お前の同胞達がそこかしこにたむろしていては、村や町を襲って回っている。どこへ行っても、お前達北方人には警戒しているはずだ」

「なら、お前達も道中は不安であろう。また今日のように襲われるかも知れぬが、何か備えはあるのか?」

 これはごく自然にそう疑問に思ったので問いかけてみたのだが、男は意外そうな表情を見せて、また仲間の元に引き返してしばし相談のやり取りを重ねた。かなり込み入った議論がなされていたのか、少し待たされる事となった。

 ナイゼルが少々焦れてきた頃に、ようやく話し合いがまとまったと見えて、男がまた進み出てきた。

「お前に道を案内したり、連れて行くことは出来ぬ」

 やはりそう言うであろうという、そこまではナイゼルの想像していた通りの返答だった。

 だがそこから先が、彼の想像とは違っていた。男の仲間が、一頭のラクをナイゼルの前に連れてきたのだ。

 何事か、と思っているナイゼルに、男は言う。

「もし、仮にお前ほどに腕の立つ男に、あとをつけ回されたりでもしようものなら、我らとしては追い払う事も叶わぬであろうな。……このラクは命を救ってくれた礼に、お前にやる」

 あとは、好きにするがいい……男はそれだけをナイゼルに告げると、あとは仲間の元へ戻っていってしまった。

 見れば、ラクの背には小さな物入れが括り付けられていて、そこに水筒と食べ物らしき包みが入れられていた。どうやら彼らは、ナイゼルが用心棒として同行する事を期待しているのかも知れなかった。

 どうすべきか、と逡巡したのはほんのわずかな間だった。水と食糧は何にしても必要であったし、仮に目の前のラクを奪って全然別の方角に逃げたとしても彼らはナイゼルを責めたりはしないだろうが、彼にも他に行くあてがあるわけでもないのは確かだった。やがて目的地を目指して再び進み始める隊商のあとを、ナイゼルは一人追いかけていくのだった。



(次章へ続く)

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