第4章 裏切り者

第4章(その1)



 それから数日は、馴れないラクの背に揺られながらの旅が続いた。

 なかなかどうして、馬とは勝手も違い、おぼつかない足取りにならざるを得なかったが、それも何日かすれば少しは要領が呑み込めてきて、先行する隊商に引き離されずに済んだ。

 隊商の方でも、ナイゼルがちゃんとあとを付いてきているかどうかはそれとなく気にかけているようで、誰かしらがちらちらと後ろをふり返っている様子が見て取れた。かといって、わざわざナイゼルのためだけに隊列を止めたりということはなかったのだが。

 野営のさいも、ナイゼルは彼らとは少し離れた場所で過ごし、ほとんど言葉を交わす事もなかった。剣など放り出してこちらから頭を下げて声をかけられていたならまた違っていたのだろうが、それだけはナイゼルには出来ないことだった。

 ただ、毎晩向こうから一人、必ずラクの世話をしに来るものがいて、ナイゼルの分の食糧もその者が持ってきてくれるのだった。ラクの調子や明日の行程など二言三言話すこともあり、決して何の交流もないわけでもなかったのだ。

 やがて隊商はとある小さな村を通りがかった。水と食糧、出来れば一晩の宿を求めての事だったが、どうにも様子がおかしかった。

「……?」

 ナイゼルにも、まだ村に近づかないうちからその異変は察知出来た。何せ、もくもくと煙が上がっているのが遠方からでもよく見えたから、尋常でないのは誰の目にも明らかだった。

 隊商の中から若いのが二人ほど、先にラクを駆って様子を確かめに出向く。ナイゼルも独自の判断で、一歩遅れてそのあとに続いていく。

 近づいてみれば、村は燃えていた。

 誰のしわざかは考えずとも分かる。遠征軍の残党以外に、そのような狼藉を働く者など他にだれがいるというのか。すでに賊は立ち去ったあとなのか、その影はなく、火もすでにおおむね鎮火に向かっていた。

 集落のほぼ真ん中辺りにある広場に、村の住人達が途方に暮れた表情で寄り集まっているのが見えた。幸い誰も彼もが皆殺しという程ではなかったようだが、それでもそこかしこに無造作に亡骸が転がったままになっており、一部の村人達がそんな遺体を一ヶ所に運び集めたり、すでに火の消えた建物のがれきの片付けなどをしている最中だった。まだ燃えている火を消そうと躍起になっているものもいたり、まだ息のある者の傷の手当をしている姿も見られた。あとは憔悴して呆然としているか、家族を殺されたり財貨を奪われたり、思い思いの理由でさめざめと泣きわめいたりしている者ももちろん少なくはなかった。

 いたたまれない光景だった。そんな状況を見かねて、到着した隊商の者達も村人達が立ち働く中に思い思いに混じっていくのだった。

 ナイゼルはと言えば、そんな光景を遠巻きに見守っていた。異国人である彼が瓦礫を片付けるのを手伝ったところで、村人が喜ぶはずもなかっただろう。むしろ姿を見られれば石を投げられてもおかしくはなかったかも知れない。

 その事にもう少し早く気付いて、村の外で待っているなどしていれば良かったのかも知れない。そうやってぼんやりしていると、村人の一人がナイゼルの存在に気付いて、急に騒ぎ立て始めたのだった。

 騒ぎを聞きつけて、他の村人もその場に集まってきて、気がつけばナイゼルはいつの間にかすっかり群衆に取り囲まれてしまっていた。腰に剣を下げた、明らかに武人然とした佇まいは、つい今しがた村を襲った凶賊とどれほど変わりもないように見えたに違いなかった。それでも帯剣している彼に迂闊に手向かってくるでもなく、人々は怒りと警戒の入り交じった表情で、ただナイゼルを押し包むばかりだった。

 そんな人波をかき分けるようにして、年老いた女が一人、ナイゼルの前に進み出てきた。女はよろよろと頼りない足取りでこちらに近づいてきたかと思うと、ぶしつけに何事かをわめき散らすのだった。感情的に手を振り上げたところを、周囲の村人が懸命に押しとどめる。金切り声に耳を傾けてみれば、返せ、返せとしきりに繰り返しているのが分かった。

 そんな騒ぎを聞きつけて、今度は隊商の者がナイゼルを下がらせようと群衆の輪に分け入ってくる。ナイゼルはその者に問いかけた。

「おい、この女は何と言っているのだ。何か、財貨でも奪われたのか」

「娘をさらわれた、と言っている」

 隊商の者はナイゼルに分かるように、平易な言い回しでそのように説明してくれた。

「おい、それはいつの話だ。女よ」

 たどたどしい言葉ながら、いきなりナイゼルの方からそのように詰め寄ってきたので、女は情けない悲鳴をあげてよたよたと後ずさる。足元のおぼつかない老婆を群衆がどうにか受け止めたかと思うと、変わりに血の気の多そうな若い男が、それはほんの半刻ほど前のことだと、吐き捨てるような口調でこたえた。

 そんな若者の態度を気に留めるでもなく、ナイゼルはさらに詰め寄るように群衆に向かって言う。

「では、今からでも追えば、間に合うかも知れぬ。……おい、そこのお前。連中はどっちに逃げた。連中の根城はこの近くなのか。途中で一息つけるような水場など、この辺りにあるのではないか」

 ナイゼルの方からそのように言ってきたので、問われた男も、他の村人達も、うろんに思いながら警戒するように後ずさるのだった。彼らの侵略者に対する憎しみは憎しみとして、異邦の蛮族に突然生活を踏み荒らされた事は、やはり恐ろしくはあったのだろう。彼らがナイゼルに怯えるのも、無理はないのかも知れなかった。

 それでも、村人の一人が、おそるおそる村の目抜き通りの彼方を指し示して、震える声で告げた。

「連中は、向こうに去っていった。道なりにしばらく行くと、小さな水場がある。もしかしたらそこにいるかも知れない」

「そうか」

 分かった、とナイゼルは一人頷くと、彼を取り囲む人の輪から這い出して自分のラクに飛び乗った。そしてそのまま、指し示された通りに道を進んで、村を飛び出していってしまったのだった。村人や、隊商の者達が止めるいとまもなかった。

 砂漠には遅い夜の帳が下りてこようとしていた。ナイゼルは荒れ地に細々と伸びていくかすかに道らしき道をひたすらに進んでいった。彼を引き留めたり、討ち取ろうと村から追いかけてくる者は誰もいなかった。

 どれほど走っただろうか。やがて、聞いた話の通りに小さな水場が見えてきた。ナイゼルがもくろんだ通り、そこには火を焚いて身を休めている者達の姿があった。

 荒れ地はなだらかな地形になっており、遮蔽物らしい遮蔽物もない。彼は水場のずっと手前でラクを下り、目をこらして様子を窺った。

 水場は見通しもよく、相手からもおそらくナイゼルの居場所は丸見えのはずだった。だが彼らは見張りも立てず、警戒している様子はまったく見られなかった。追っ手がかかる事など、まるで想像すらしていないと見えた。

 焚き火には、これは村から奪い取ってきた家畜だろうか、二本足の鶏のようなものが、羽根をむしられた状態で火にくべられていた。すでに焼き上がった他の肉に、火を囲む者達がむしゃむしゃと無言のまま食らいついていた。よほど腹をすかせていたかのように見受けられた。

 その焚き火から少し離れた位置に彼らの乗馬が繋がれていて、そのすぐ足元のあたりに、浅黒い肌をした若い娘が、憔悴しきった表情でうずくまっているのが見えた。手足を戒められ、くつわを噛まされている。暴れたり泣きわめいたりというのはナイゼルが駆けつけるより前に一通りやり尽くしたと見えて、今は気力を使い果たしてしまったかのようにぐったりとしていた。

 ナイゼルはそっと剣を抜くと、そろそろと忍び足で、水場に向かって接近していく。

 さすがに、いくら油断しているといっても、暗がりにうごめく人影に彼らがまったく気付く事がない、というわけにもいかなかった。火の側で食事をしていた一人が、ふと顔を上げた拍子にナイゼルに気付き、声を上げた。

 問題はその先だった。凶賊たちは仲間の一人が声を上げたのを聞いて、慌てて武器を探す。気付かれたと知ったナイゼルはナイゼルで、おもむろに立ち上がって駆け足で距離を詰めていく。果たして両者のうち、どちらの方が素早かったのか……ナイゼルから見て一番手前にいた騎士が、鶏肉を放り出して足元の剣を拾い上げようと手を伸ばす。丁度身を屈めた体勢になっているところに、ナイゼルの剣が背中から振り下ろされる。切っ先は硬い背骨を叩き、そのまま脇腹をかっさばいた。傷口からほとばしった血しぶきが、その場をあっという間に血の海に変えた。

 いきなりの光景にはっと身構える別の騎士に、ナイゼルは返す刀で斬りかかる。切っ先は肩口からななめに走って、その騎士はあっという間に斬り伏せられてしまった。

 あっという間に二人が倒されてしまった。残る騎士達はその突然の凶行が何者によってもたらされたのかを知って、思わずぎょっとした。

 彼らは確かに、それまでまったく警戒などしてはいなかった。これまでに襲ってきた村々にしても、仮に抵抗に遭ったとしてもせいぜい農民達が鎌や手斧を振り回す程度で、それも騎馬で蹴散らしてしまえばそれまでだった。そういう連中が彼らを追いかけてきて襲撃するということなどこれまでに一度もなかったし、来たところでたかが知れていると鷹揚に構えていたのだ。

 だが……。

 今彼らの前に立ちはだかっているのは、砂漠の異教徒ではなく、紛れもなく彼ら自身の同胞であるところの、遠征軍の騎士だったのだ。

 しかも、一味の中に、それが誰なのかを知っている者すらいた。

「……ナイゼル・アッシュマン!?」

「? 貴公、この私を知っているのか?」

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